女スパイ #3

エピソード文字数 5,493文字

 金があればなにができる?――ガキのおれでも大人のように生きられる。


 大人のように生きてどうしたい?――やりたいことをやる。


 やりたいこと? それはなんだ?――わからない。ただ、奴隷の暮らしはもうたくさんだ。


 そんなに奴隷はいやか?――当たり前だ。そんなもの好きなやつがどこにいる。


 ふと我に返る。おれは誰としゃべっているのか――顔なし女(あいつ)か。目をつぶり、心のなかをのぞきこむ。

なんかようか。

 化けものは札束を積み木代わりにして不気味なものを作っていた。そいつがなんなのかを聞く。

いもむし。おまえにそっくり。

 相変わらずふざけたことしかいわない化けもの。ぶっ飛ばせる手段がなにもないことにいらつく。


――さっきのはお前か。

しらない。
――じゃあ誰だ。
いもむし。
 話にならなかった。

寝てるのかしら。

 耳もとでいきなり声がした。目の高さもがつん(・・・)と低くなる。

ちっとも聞いてないわね、私の話。

 床から立ちあがり、ぶっ倒した丸椅子をつかんで起こす。尾てい骨が少しだけしびれていた。

聞いてたし、寝てもいねえよ。

そう。じゃあ昆布茶が体にいい理由、いってみて。

はい、先生。昆布茶はカルシウムなどのミネラルをたくさん――

あなたに聞いてるんじゃないのよ、児島さん。

 壁の時計を見た――二時十五分。五時間目は二時何分までだったか。

ほら、答えて。

だからあれだろ。酸っぱさが体にいいとか、そういうことだろ。

『全然聞いてませんでした』っていってるようなものね。なに考えてたの?

なんでもいいだろ。授業じゃねんだから。

 相馬が目を閉じて口をすぼめる。

なんか、生まれたばかりのカマキリ見てるみたいだわ。

 どうせいい意味じゃないに決まっているたとえ――舌打ちだけした。

気にいらない?

うるせえな。

うるせえな、か。そんな言葉づかい、柳原中でもされたことないわ。

 下を向いて笑う相馬――弱々しい笑い。どういう意味でそうしてるのかはわからないが、見ていてなんとなくいやな気分になった。

まあ、そういう年頃なのかしらね。

ガキ扱いかよ。

ほらまたそうやって。

 相馬が顔をあげる。レンズの向こうの目がこっちをまっすぐに見つめてくる。反射的に睨み返した。大人と目が合うと、おれはどうしてもそうなる。

怖い目ね。怒ったの?

別に。

もっとやさしい目をしたらどうかしら。

生まれつきこういう目なんだよ。今さらどうにかできるもんじゃない。

今さらって、あなたまだ小学生よ。

まだ(・・)ってなんだよ、まだって。結局ガキ扱いしてんじゃねえか。

 相馬の口が開きかけて閉じた。口争いはおれの勝ち。

……そうね。今のは私のいい方が悪かったわ。ごめんなさい。

別に謝んなくたってい――

 相馬が――大人の相馬がおれに頭を下げだした。いったいなんの真似だ。児島の顔を見る――まん丸の目玉。おれのそれもたぶん、同じ。首の向きを戻す。目の前のつむじを見ているほかに、なにをすればいいのかわからなかった。

急になんだよ。

なんだよって、謝ったのよ。見ればわかるでしょ。

 頭をあげながら相馬がいう。

謝るだけじゃ足りないかしら。

……いや、そんなことねえけど、だからってそんな、子供に頭なんか下げんなよ。

どうして。悪いと思ったら謝るのは当然でしょう。相手が子供だから謝らなくていいなんて道理はないわ。

 相馬は変わっている。大人は普通、子供に頭なんか下げない。少なくともおれはそんな大人を見た覚えがない。今の話がそのとおりなのはわかるが、ほとんどの大人は子供に対していばっている。だから謝らない。それだけならまだしも、場合によっちゃことの責任をこっちへなすりつけてくるまである。

いいよ、もう。なんか調子狂うわ、そういうの。

許してもらえたのかしら。

 顎で頷く。かなりぎこちない動きでそうしたのが自分でもわかった。

そう。じゃあ、さっきの続き――

 相馬の態度から今までの申しわけなさが消し飛ぶ。

ああいうもの言い、わざわざ自分を弱く見せてるようなものよ。

モノ……なんだって?

も、の、い、い。すぐ人に食ってかかる沢村の悪いくせのこと。

 別に――なにかいい返しそうになるのを顎に力を入れて堪えた。へたなことをいってまた謝られても敵わない。少し間を置いてから、どうしてそれが自分を弱く見せてることになるのか、なるべく角が立たない言葉を選んで聞いてみた。

ことわざにもあるでしょう。弱い犬ほど――

もらいが少ない。

 それは犬じゃないと笑われた。児島までけらけらやっている。正解を聞いてそっちだったか、と思った。が、そんなことは大きなお世話だ。

先生、先生。

ちょっと待って……

 目とメガネの間を魚の柄のハンカチでこする相馬。食ってかかりたい気分が復活してくる。だいたい、そこまでいわれるほどぼろかすに弱いわけじゃない。静恵やハツをぶちのめすぐらいなら朝飯前だ。

……なに、かしら。

 ハンカチを白衣のどこかへしまった相馬が児島に聞く。

沢村くんは弱くないと思います。

あら。弱いなんていってないわよ。

さっき、そういったじゃねえか。犬だとかガキのカマキリだとか。

そう見えるっていったの。あなた実際、ケンカ強いでしょう。

 そういわれると自信がなくなる。同い年のやつらや女のきちがいには勝てても、男のきちがい=デブにはどうしたって負ける。金曜の晩も野球でいえばスコンク負けに近いやられ方をした。きちがいども全員をぶちのめせないうちはミミズも同じ。いや、転がされて、いやおうなしにそいつらを食わされたおれはミミズ以下の生きもの。鉄のスコップはおろか、針金にもほど遠い。

気分としては芋虫だな。

なに、芋虫って。

それぐらい弱いってことだよ。上には上がいる。

いつか蝶になればいいじゃない。

 おれがなりたいのは硬くて丈夫な鉄のスコップだ。鳴きもしないペラペラの虫に用はない。


 結局、昆布茶と健康についての話は終鈴を聞くまで続けられた。話を聞いているふりが効いたのか、相馬は絆創膏の予備を二枚、追加でよこしてきた。メガネを相手にするときは好きなだけしゃべらせてやれ――後で松本に教えてやろうと思ったが、もうその必要もないことに気づいた。

さ、ふたりとも戻って。

 おれは相馬に礼をいい、サービス分の絆創膏をポケットへねじこんだ。

先生、わたしまだ具合がよくないです。

 弱々しい声と例のカメレオンで児島は相馬に体調不良を訴えたが、ものすごく元気そうな顔色が芝居を台なしにしていた。

そういうのはだめよ。

もう吐きそうです。お腹も頭も全部痛いです。

あなたがいつもベッドでスパイ小説読んでること、私が知らないとでも?

 アーモンド型の目がまた宙をさまよう。都合が悪くなると目の上の埃を追っかけたくなるんだろうか。変なくせだ。

今日は、読んで、ません。

 うその咳をしながらうそをつく児島。黙っていた。

沢村がいたからでしょう、今日は(・・・)

 児島は根っからのサボり魔だった。おれや武田みたいな馬鹿ならともかく、たぶんそんなに馬鹿じゃない児島が、こんな調子で勉強についていけるんだろうか――どうでもいい心配。いんちきな咳はまだ続いている。

無駄な抵抗よ、児島さん。

ほんとに具合悪りい……んだと思うけどな。

 助け船――武田の彼女へのスペシャルサービス。派手に宇宙遊泳をしていた目玉が痣だらけの顔に着地する。

どうしてそう思うの?

おれがここへ来たとき、苦しそうに唸ってた。

ほんと?

 病人の顔から笑顔へカメレオン――左目を軽く閉じてくる児島。

もうあなたたち、うそばっかり。

 上手なウインクもここじゃ余計な真似。せっかく手助けしてやってるのに、この女はどうしていらないことをするのか。こんなんじゃスパイなんて到底無理だろう。

担任の先生にふたりのことをバラされたくなかったら、おとなしく教室へ戻りなさい。さ、も、な、い、と――

 的はずれな脅し。武田のことを知らないんだろうか。いずれにしろ、それをされたところで痛くもかゆくもない――いろんな意味で。

わかりました。じゃあ戻ります。

そうよ、児島さん。

別にいいじゃねえか。今の話、ビビることでもなんでもねんだから。

沢村はよくても彼女は困るんじゃない?

 勝ち誇ったような顔にむかついた。口もとのあたりが特に憎たらしい。児島はそして彼女じゃない。

そうやって、ありもしないことをいいふらして生徒に迷惑かけんなよ。

なかなか駆け引きが上手ね。絆創膏、没収しようかしら。

児島も黙ってないでなんかいえよ。勘ちがいですって。ちゃんと武――

戻ります、戻ります。だから沢村くん、もういいよ。ね。

おい、児――
 お願いだからもうやめて――全力でそいつをアピールしてくるこぢんまり顔。しかたなく口を閉じる。

彼女のほうがものわかりいいみたいね。大事にしてあげなさい。

だから、なんでも決めつけんなよ。

そうかしら。ほかの子たちも見てるけど、私の目、けっこう確かよ。

 そこまでいうなら、聖香の名前を出してみろ――鼻息で吐き捨ててやった。

まあいいや。問題児がなにいっても無駄だからな。

 相馬がおれの前に来て腰を屈める。

なんだよ。

見くびらないでほしいものね。

 目の下の痣を反対向きに映しだすレンズ。顔が近かった。

私がそのへんの大人みたいに、あなたのことを色眼鏡で見てると思ってるの?

 相馬のメガネは透明で色なんかついていない。そのへんの大人どもがどうなのかも知らない。それともまたことわざかなんかだろうか。聞くとまたしても笑われた。おれは日本語がだんだん嫌いになってきた。

偏見や先入観……ちょっと難しいわね。思いこみよ。人を見ためやうわさで勝手にこうだと決めつけて、はじめからその人の常識を疑ってかかること。

 馬鹿なおれにもわかる言葉で色メガネの意味を説明してくる相馬。

あなたも含めて生徒たちをそういう目で見たことは一度もないわ。

 そういう目=うそつき、問題児、常識のないガキ、よた者のせがれ、やくなし、うじ虫、ごったく、奴隷――そんなものを見る目。

見てるじゃねえか。色つきメガネで児島とおれを。

あら。じゃあ、また謝らなくちゃいけない?

 謝らなくていいから、決めつけるのをやめろ――口を返す代わりに無視をした。

沢村は誰からもそういう目で……誰になにをいっても無駄だって思ってるの?

別に。他人にどう思われようがおれはおれだ。

なんか悲しいわ。そしてとても残念。

 なにが悲しいのか知らないが、残念なのはこっちも同じ。放課後を最後に会えなくなる聖香のことを思うと、みぞおちが馬鹿みたいにちくちくしてくる。昼を過ぎた今にしたってそんな調子だ。

おれも残念だよ。

 だけどおれは腹を括った。一度決めたことをやらないのは男として最高に格好が悪い。自分の本当の人生を手に入れる代わりに聖香への思いを捨てるのはしかたのないことだった。

誰も『おれ』をわかってくれないから?

 わかってもらいたい相手はいる。だが、その気持ちが相手に伝わることはない。相馬の問いには答えなかった。

わたし少しわかるよ、沢村くんのこと。

 またしてもすっとんきょうを口走る児島。

そういうこというから変に思われんだぞ。

だってわかるもん。

はいはい、ご馳走様。続きは放課後にでもやってちょうだい。

 おれと児島は完全に疑われていた――超色メガネ。こうなったらなにがなんでも武田に登場してもらうしかない。

とにかく沢村を問題児だなんて思ってないわ。私はね。

 うそつけよ――鼻で笑ってやった。

まずそれね。人に――特に目上の人間に対する態度がなってない。なにも年上だからえらいっていってるわけじゃないわよ。

 そうはいっても大人の相馬がいってる以上、そういうふうにしか聞こえない。

勘ちがいしないで聞いて。あなた、かなり損をしてるのよ。さっきも話したけど、だめじゃないのにだめなふり。弱くないのに強がってるように見せちゃう。そういう……なんていうのかしら、あまのじゃくな態度? まあ、ひと言でいうと生活態度の悪さね。人から誤解を受けやすい原因はそこ。わかる?

 問題は生活態度だけじゃなかった。生まれた場所にはじまって、運に頭。けっこういろいろとどうしようもない。

悪いのはそこばっかじゃねえからな。

あら。ほかにどこが悪いの?

なにもかも。特に頭は悪すぎて困ってる。おかげで勉強がさっぱりだ。

 勉強という言葉を口にして笑いそうになった。おれの人生は今夜から、そんなものとは一ミリも関係ない方向へ進んでいくことが決まっている。国語、算数、理科、社会用の脳みそはもう必要ない。

そっちはたぶん、やる気の問題ね。あなたは馬鹿じゃないわ。

 馬鹿なガキへのお決まり文句。ケガや体の調子のことならともかく、馬鹿と利口の区別を保健医にできるわけがなかった。それに馬鹿じゃないことがそのまま利口につながるわけでもない。大人は言葉を使い分ける。便利ないいまわしをたくさん知っている。相馬は慰めのつもりかなんかでそういうことをいってるだけ。今のおれにそんな話をしても無駄だということをちっともわかっていない。

さ、ふたりとも早く教室へ戻って。あなたたちのズル休みが二時間コースになると、私も面倒くさい報告書を作らないといけないの。

 上履きをきっちり踵まで履き、それから扉に手をかけた。

あ、テレビ!

 相馬の前でその話はするな――目で児島にいった。

テレビがどうしたの?

沖田浩之が今夜どっかの歌番組に出るって話。

 でたらめを口にしながら扉を引き開けた。いつもどおりのざわめきが耳に飛びこんでくる。おれは放課後までの時間をどう潰すかペンギンの包みを剥きながら考えた。

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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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