名前 #1

エピソード文字数 5,192文字

 三十三=夜中に数えた傷の数。松本に噛みつかれたところを除けば三十二。金曜の晩から十一個増えた計算。


 おれは登校してきたその足で保健室へ行き、昨夜(ゆうべ)とその前の傷を自分で勝手に手当てした。そのとき保健医に適当ないいわけをして、せんべい布団とはまるでちがう寝心地のベッドへ寝かせてももらった。

堂々とサボりやがって。
 垂れ目の不良がしゃべりかけてくる。
サボってなんかねえよ。ちゃんと保健室にいた。
 黒板を見る――チョークの腹で書かれた自習の文字。本鈴と同時にやってきた教頭が書いていったものらしい。
それ、サボり以外になんていうんだよ。
 本当ならこの時間=二時間目は担任の岩倉が算数をやっているはずだったが、市内の中学校へ通う自分の娘が授業中に倒れただかなんだかで、今はそっちへ向かっているという話をそのへんの女子から聞いた。おれと岩倉はちょうどすれちがい、というかたちだ。

だけど、ひでえ顔だな。

 帽子で隠しているこっちの顔をわざわざのぞきこんできていう武田。

見んじゃねえよ、いちいち。

 おとといかっぱらってきた整髪料=MG5ふたつをランドセルから取りだし、全然小学生っぽくない格好=革ジャンにリーゼントで決めている武田の腹へ押しつける。

いいから早く、金くれ。

 武田が革ジャンのポケットへ手を突っこむ。引っぱりだされてきたのは伊藤博文。

釣りはいらねえぜ。

 手渡されたそいつを四つ折りにして、とっととGパンのポケットへしまう。
そんなものはじめっから用意してねえよ。

 武田んちはとんでもない金持ちだ。だからなにか欲しければ店へ買いにいけば済む。そうしないのはおれに金がないことをこいつがよく知っているからだった。

ヤクザか暴走族(ぞく)にでもぶっ飛ばされなきゃ、そんな顔になんねえだろ。

 冗談とも本気ともつかない顔で武田がいう。おれはほかのやつらからの注文品がまだどっさり入っているランドセルを自分のかばん置き場へ放りこんだ。

言葉が通じるだけ、そっちのほうがマシかもな。

 デブと静恵にやられたところを狙い打ちしてきた老いぼれ。やくざ者のせがれ、うすらごむせ(薄汚い)血ぃの流れている体、ごろつき、ちんぴら、ごくつぶし。おらうちの娘を(うちの娘を)てめの親父ぁ(てめえの親父は)ぼろっぼろにしゃあがった(ぼろぼろにしやがった)。この()み子め!――今夜の計画が頭になければ、おれは昨夜まちがいなくハツを殺していた。

じゃあなんだ、ガイジンかよ?

 武田がかばん置き場の縁に手をかけ、その上へ跳び乗る。

そんなようなもんだ。

もしかしてぶっかけババアか?

どうしてそういう話になんだよ。

 ぶっかけばばあ=校門を出て坂を下っていった先にある駄菓子屋『くじゃく屋』の婆さん。ばばあといってもハツほど老いぼれちゃいない。なんにも買わずに店の前でたむろしていると、バケツに満ぱんの水を容赦なくぶちまけてくる、それぐらい元気なくそばばあ。武田はこないだ革ジャンをびしゃびしゃにされたうえに、ひしゃくで頭までぶっ叩かれていた。

あのババア、年よりのくせしてアメリカ語しゃべるって話だぜ。

 そんな話は聞いたことがなかった。

よくわかんねえけどよ。アニキたちがいうには昔ニッポンじゃねえとこに住んでたって話だ。そんときの仲間じゃねえか?

 鬼のようにとんちんかんな話。武田はこのやられっぷりを本当にぶっかっけ仲間=外人相手のそれだと思っているんだろうか。まあ、それならそれでかまわない。根掘り葉掘り聞いてこられるよりはマシだ。


 おれはその場から後ろへ跳び、武田と同じ場所へ腰をかけた――教室を見渡せる高さ。まじめに教科書を読んだり、ノートを広げたりしているのが七、八人。それ以外は好き勝手にやっている。


 男どもの大半は三日前の日本シリーズ=八年ぶりに優勝を決めた巨人(ジャイアンツ)の話で盛りあがっていた。松本もその騒ぎのなかにいる。おれは壁に貼りつけられた写生大会の絵の色が背中へ移らないように、脇へ積み重ねてあった画板で間を仕切った。

そういやよ。

 武田が低い声=夏に声変わりをしたそれで耳打ちしてくる。

ぶっかけババアで思いだしたんだけど、今度の土曜、ゲンチャでまた集会行かねえか?

 ゲンチャ=チャッピーとかいうバイク。集会=暴走族のそれ。二、三週間前におれは、武田が運転するチャッピーの後ろへ乗っけられて、馬鹿みたいな色をしたバイクや、前がちりとり(・・・・)のようなかたちをした車の集まっているところへ連れていかれた。ぶっかけばばあとどう関係があるのかを聞く。

ババアのことなんかどうだっていいじゃねえか。それよりアレだ、アニキたちがサームラ(沢村)連れてこいっていってんだわ。

 武田の兄貴たち。一番上の兄貴がそこのボスだった。なんとか隊長というのを二番めの兄貴がやっている。わざとやっているのか、それとも自然にそうなっているのか、武田は話をあっちこっちへぶっ飛ばすくせがあった。

暴走族のボスにヤキでも入れられんのか、おれは。

ボスじゃねえ。総長だよ、総長。

どっちだっていい。

よくねえって。

興味ねんだよ、そういうの。

 どのみち土曜の晩にはもうこの街にいない。暴走族の集会なんかよりもっとスペシャルなことがおれを待っている。怖い兄貴がふたりもいる弟は、くそでも踏んばっているような顔で宙のどこかを睨みつけていた。

なんつうかよ。オレらも来年チューボーじゃねえか。そしたらやっぱチーム入って気合入れなきゃダメだろ。

 気合にチームもへったくれもない。武田はそこのところを大きく勘ちがいしている。

そんなの行ってる暇があったら、彼女とデートでもしてこいよ。

 話をはぐらかすと武田はすぐに照れた。今はもう、それについてなにかしゃべりたくてしかたがない顔つき――いつも以上の垂れ目顔になっている。おれが眉をあげると武田は待ってましたとばかりに顔をこっちへ近づけてきた。とっくりシャツの首には銀の鎖=彼女とお揃いらしいペンダントだかネックレスだかが引っかけられている。

真奈美(まなみ)が来週誕生日だっつうから、横浜銀蝿(ぎんばえ)のコンサート誘ったんだわ、こないだ。

 はぐらかしにまんまと成功。友だちにこんなことを思うのもなんだが、ちょろいもんだ。

そしたら真奈美なんつったと思うよ? そんなの行きたくねえっつうんだぜ。じゃあなんだったらいいんだって聞いたら『竹の子族』見にいきてえとかいうんだわ。ダッセェだろ、あんなの。

 真奈美=児島(こじま)真奈美は武田がいつの間にかつきあいはじめていた一組の女だ。聖香ほどじゃないが、まあまあかわいい。

おお、だせえだせえ。

 話をぶっ飛ばす代わりにぶっ飛ばされても平気な武田は、おれが転入してきたときから児島とつきあいたがっていた。今じゃ願いも叶ってバラ色の毎日を送っている。おそらく武田も松本と同じように生まれつき――いや、生まれる前から運がいいんだろう。そうじゃなきゃあんな金持ちの家に生まれてこれるわけがない。それともそういう家に生まれてくると、もれなく運もついてくるのか。ふたりを見ているとおれの運が悪いのはお前たちのせいだと思えてくるときがある。そしてそいつを思うときは決まってみじめな気分もセットになっていた。

それによ、手も握らせてくんねえんだぜ。ガード堅すぎだと思わねえ?

勝手に握っちまえばいいだろう。

やろうとすると手、引っこめちまうんだよ。父ちゃんがどうのとかわけわかんねえこといいやがるし。ひょっとして真奈美んちの家族に嫌われてんのかな、オレ。

 手を握りあうのに児島の家族は関係ない。

まあ、武田みたいな不良と娘が仲よくされんのはどこんちの親もいやだろうな。

オマエにいわれたくねえよ。

 たしかにおれも聖香の家族には好かれていない。というより本人にすら好かれていない。相手の家族はともかく、少なくとも好きな相手には嫌われちゃいない武田がちょっと憎らしくなってきた。

勉強でもがんばってみたらいいんじゃねえのか。そうすりゃ手握るぐらいなんとかなんだろ。

やっぱそうか。んじゃ公文(くもん)行くかな、オレも。

 武田の、どっちかといえば本気に近いその言葉に吹きそうになった。奥歯で笑いを噛み殺す――無理だった。

ナーニ笑ってやがんだよ。やるときゃやんだぜ、オレは。

やる気になってるとこなんか見たことねえけどな。

 武田は大抵のことを金で解決する。日直も、掃除も、給食当番も、宿題も。いっぺんでいいからおれもそんな暮らしがしてみたい、と昨日の夕方までは思っていた。

そこでだ。

 棚へ腰かけたまま、金持ちの三男坊がおれの肩へ手をまわしてくる。おれにとってはどうでもいい、三男坊にしてみたら大事な話をするときのくせ。こないだのときはたしか……聖香と児島を誘拐してきて、三男坊の部屋でずっと面倒みようぜ、とかいう話だった。どうせまたくだらない話なのはわかっている。だが、松本と同じぐらい仲のいいこいつと話すのも今日で最後。馬鹿話につきあってやるのも友だちの役目だ。

たまにはおもしろい話しろよ。

おう。実はオレひとり暮らしすんだわ。

 はじまった。いくら家が金持ちだからといって、小学生の分際でそれは無理――いや、無茶な話だ。

へえ。いつから。

明日からだ。臥竜山(がりゅうざん)の裏っかわだけど、けっこう広いアパートだぜ。

 細まる垂れ目。革ジャンの脇腹を肘で突く。

だからマジだって、マジ。

 実際がどうであってもおれには関係のない話だったが、なんのためにそうしたのかを一応聞いてやった。

こないだも話したろ。ふたりユーカイしちまおうぜって。アレよ、やっぱ親が近くにいたらうまくいかねえと思うんだわ。

 近くに親がいようがいまいが、うまくなんかいきっこない。だが、こういう無茶を考える男がおれは嫌いじゃなかった。

大丈夫なのか。

ダイジョーブってナニがだよ。

その、あれだよ。なんていうか、ひとり暮らしの理由はわか……りそうで、あんまりわかんねんだけど――

なんだそれ。

まあ、聞け。

チョー聞いてんぞ、さっきから。

――じゃあ、黙ってそうしてろ。途中で口を挟むな。垂れ目を二秒か三秒、じっと見た。

冗談にしか聞こえねえよ、誘拐なんて。

サームラよお……

 一段と低い声を聞かせる武田。嫌みなやつだ。

オレがジョーダンなんていったことあるか?

 それはたしかに。ちゃんとやれるかどうかは別にして、口のほうはいつだって暑苦しいぐらいに本気だ。

武田んちの親はそのこと――

知ってたら意味ねえだろ。ナイショでアニキたちに借りてもらったんだよ。

 今回のぶっ飛び話はいつになく本当っぽい。やるときはやる武田をおれははじめて見た気がした。が、計画がうまくいくかどうかはまた別の話――と、ここで疑問。武田の兄貴たちはまだ大人じゃない。アパートはそれでも貸してもらえるものなんだろうか。そのまま武田に聞いた。

フツーは難しいとこなんだけどよ。そこんとこはアニキのセンパイのセンパイのチカラを借りて――

なんだそりゃ。ほとんど知らねえ人じゃねえか。

顔なんか知らなくたってセンパイはセンパイだ。いいか、サームラ。オレたち不良は――

 長くてわかりづらい話をまとめるとこうだ。


 不良グループ――つまり暴走族だが、やつらは先輩後輩の区別にうるさい。うるさい代わりに年上が年下の面倒をみる。大人になって働くようになれば年上のやつらは暴走族をやめていくが、先輩後輩の関係はその後も続く。武田の兄貴のそのまた上の上ぐらいになるととっくに(・・・・)大人で働いてもいて、そいつらに頼めば大抵のことはなんとかなる。秘密のアパートのからくりはそういうことらしい。

――ってワケよ。

 やかましいだけの馬鹿の集まりが暴走族だと思っていたが、頭のおかしい親や親せきよりはずっと役に立つということがわかった。が、だからといって『その仲間になることで今よりも気合が入る』と思っている武田とおんなじ頭の具合にはなれない。この先もそこのところだけはたぶん、変わらない。

で、児島をさらってきて、そこへ押しこんどくのか。

いきなりそんなことしねえよ。

 誘拐は大抵の場合、いきなりやるもの。そうじゃない誘拐というのがいかにも武田らしい。

まずは一緒に公文へ通って、そこで仲よくオベンキョー。話はそれからだな。

 漢字の読み書きも四の段のかけ算も怪しい男がいう。

はじめて手をつなぐのが誘拐じゃ、いくらなんでも悲しいもんな。

 すっとんきょうな計画も金があればこそ。こんなふうに考えるのははじめてだった。すべては今夜手にすることが決まっている札束のおかげ。金があればなんでもできる。いつもなら例のみじめな気分になるところだったが、今日はいい気分だった。金は心の中身まですり替えちまう力を持っている。

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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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