チャンス #3
文字数 4,785文字
かっぱらいの常識――見当もつかない。
そのとおり――いちいち正しい松本の説明。おれの脳みそは、どうしてこうもとんちんかんなのか。
ときどき肝を冷やすようなことをいう松本。今度冗談をいったら軽くぶっ飛ばしてやる。
松本がどんな表情をしているのか、おれにもわからなかった。暗さのせいだ。板壁の小穴から差しこんできていた光はもうない。吹きこんでくる風もさっきより冷たくなっている。
松本がランドセルからなにかを取りだす。カチッと音がしたのと同時に白い光が宙へ伸びた。
積みあがっている木箱の一番高い場所へ懐中電灯が斜めにして置かれた。いろんなものの影が扉に向かって伸びていく。きちがいどもの顔が一瞬、闇に浮かびあがってきたように見えた。
白っぽい箱のようなものが投げられてきた。
タバコだった。松本の口にはもうそいつが刺さっている。
おれは白いそいつ=マイルドセブンを木箱の上へ置いた。
武田眞路=パチンコ屋の息子。美滝小きっての不良。染川蘭子=豚みたいな顔をした生徒会長。
松本がポケットから赤いライターを取りだし、大人がそれを吸うときと同じようなやり方で火をつけた。
しゃがみこみ、目をつぶってうな垂れる松本。ここまできて、いったいなんの真似だ。
軽い処刑と飯抜きは決定。今さら焦ってもしかたがなかったが、だからといってこれ以上遅くなるわけにもいかない。うっぷんの花が再び開きはじめる。
怖くはない。別につきあってやってもかまわなかった。ただしそれはこの話=大金をかっぱらう計画を全部聞いてからだ。
いらだちと気恥ずかしさ=おあずけを食らった犬の気分。
松本の手からライターをぶん取り、木箱の上のマイルドセブンを引っつかんだ。
箱からタバコを抜きだしてくわえる――生まれてはじめて吸うタバコ。松本は地面へ座りこんだまま、こっちを見てにやついている。馬鹿にされている気がした。
ライターを握りなおし、丸くなっている鉄の部分に親指をかける――まわす。火花が散り、オレンジ色の炎が顔の前で揺らめいた。
松本が煙を宙に吹きだしながらいった。タバコの先を火へ近づける。
いわれたとおりにした。くわえたタバコの先が炎のなかで真っ赤になっていく。口のなかが苦かった。むせ返りそうになるのを息を止めて堪える。それから少しずつ、ゆっくりと煙を吐きだしていった。
体中の血を一気に抜き取られた気分。にやつき顔がチカチカして見える。おれは立っていられなくなり、その場にへたりこんだ。
松本がゆっくりと立ちあがっていう。
にやつき顔から満足顔へ=おれを仲間にするかどうかのテスト。地面に両手を突いて体を支えていなければ横か後ろへぶっ倒れちまいそうなぐらい、おれは目がまわっていた。
口のなかの水分がなくなるまで唾を吐く。煙の味はそうでもしなきゃ死んじまうんじゃないかと思えるほどに情け容赦のない苦さだった。
そんなことを今さら聞いてくる意味を考えたが、頭がちゃんとまわってくれなかった。
最後の唾を吐き終え、懐中電灯の光がまともに当たっている松本の顔を見た。けろっとしてやがる。ひょっとしておれはタバコの吸い方をまちがえたんだろうか。まあ、それはどうでもいい。これを最後に二度とこんなものは吸わない。
松本の念押し。おれも四百八十万――いや、百四十万という金額まで聞かされて話から降りるつもりはない。やり方がまずければ、ふたりでまた練りなおせばいい。
松本がランドセルのなかからなにかを放ってよこした――キャッチ失敗。テトラパックのコーヒー牛乳。今日の給食に出たやつだ。
手を伸ばしてストローを受け取る。指先が震えていた。タバコはたぶん、猛毒だ。
拾いあげたパックにストローを突き刺しながら頷く。
週番=六年の三クラスから名簿順にひとりずつ集められ、クラブ活動をしている生徒以外を下校させたり、教室や体育館の鍵をかけてまわったりする当番。ひと月かふた月にいっぺん順番がまわってくる。
学校から金をかっぱらおうなんて考えたこともないおれは、そんなところまで注意深く見たことがなかった。
話を聞く限りじゃ今も同じ場所にある可能性が高い。だが、念には念を入れておく必要がある。
松本の調べどおりなら木曜の昼には金がなくなる。ということは今日明日のうちになんとかしないと大金は手に入らない。
計画に抜かりはない。これだけ機転が利くのに、どうして兄貴に負けるのか不思議でしょうがなかった。おれは飲み干したパックを左手で握り潰し、積みあげられている木箱の上へ放った。
松本がそれを見たという日は事務室に金がない日だ。何百万もの金を集めてるときに、そんな簡単に見つけられるような場所=火災報知機の裏なんかへ鍵を隠すだろうか。
松本にどう責任が取れるのかわからなかった。
何百万もかっぱらう晩に『欽どこ』はないだろう。松本は本当にやる気があるのか。
なめた返事にいらっときた――我慢した。
札束といえば金庫――おれの想像。実際がどうなのかは知らない。
一発逆転のかっぱらい。やると決めたからには成功させたかった。遊びじゃない以上、どんなに考えても考えすぎということはない。
松本がけらけら笑いだす。
運なんかでなんとかなるもんじゃ……いや、だけどそいつもたしかに必要だ。
いいかけてやめた。
運がよかったためしがない。口にしたらこの計画が失敗しそうな気がした。
ついてない心配屋と運のいいのんき屋。単純に算数をしてもこっちに損がまわってくることはなさそうだ。今はこの話がでたらめじゃないことを祈るしかない。
ママさんバレー=生徒の母親同士が集まってやるお遊び。面倒をみてるのはたしか……佐東。
カズ=石森和宏。おれがこの学校へ転入してきたときのボス。今はただのちくり屋。家は松本んちの近くらしいが、詳しいことは知らない。おれは松本んちへ行ったこともなければ近づいたこともなかった。
松本や石森、豚の母親たちがやっているママさんバレーと札束をいただくことにどんな関係があるのか。
どこまでも気のまわる松本。そいつができないばかりにおれは今までさんざんな目にあってきた。この頭がい骨のなかに松本と同じ脳みそが生まれつきで入っていれば、おれの人生もここまでぶっ壊れちゃいなかっただろう。
グラグラしていた頭はいつの間にかなんともなくなっていた。コーヒー牛乳がタバコの毒に効くのは本当らしい。
もうすぐ手に入るかもしれない大金。頭のなかじゃ気の早い聖徳太子どもがどんちゃん騒ぎをはじめている。