チャンス #3

文字数 4,785文字

話の続きだ。
どこまで話したっけ?
教師どもから金をかっぱらう方法。
ああ、それは無理。
あ? どういうことだよ。
常識で考えればわかるじゃん。ボクたちはガキなんだって、さっきもいったよね。
 かっぱらいの常識――見当もつかない。
……じゃあ、信金のバイクのほうを襲うのか?
完全に銀行強盗じゃん、それ。先生たち相手にするより手ごわいと思うよ。
 そのとおり――いちいち正しい松本の説明。おれの脳みそは、どうしてこうもとんちんかんなのか。
なら、どうするんだよ。
どうするのがいいと思う?
なんだそれ。お前、ひょっとしてなにも考えてないのか?
まさか。
 ときどき肝を冷やすようなことをいう松本。今度冗談をいったら軽くぶっ飛ばしてやる。
だよな。で、どんな手を使う?
顔がわかんないよ。
顔? 信金のやつのか?
ちがうよ。沢村がどんな顔して話聞いてんのかわかんないっていってんの。
 松本がどんな表情をしているのか、おれにもわからなかった。暗さのせいだ。板壁の小穴から差しこんできていた光はもうない。吹きこんでくる風もさっきより冷たくなっている。
顔なんか見えなくても話はできる。とにかく金をどうやって――
ちょっと待って。
 松本がランドセルからなにかを取りだす。カチッと音がしたのと同時に白い光が宙へ伸びた。
このへんがいいか。
 積みあがっている木箱の一番高い場所へ懐中電灯が斜めにして置かれた。いろんなものの影が扉に向かって伸びていく。きちがいどもの顔が一瞬、闇に浮かびあがってきたように見えた。
……なあ、松本。
吸う?
あ? なにを?
 白っぽい箱のようなものが投げられてきた。
こんなもんやってんのか。
 タバコだった。松本の口にはもうそいつが刺さっている。
今どきの小学生はけっこう吸ってるよ。
うそつけ。
 おれは白いそいつ=マイルドセブンを木箱の上へ置いた。
うそじゃないよ。武田や染川だって吸ってるし。
 武田たけだ眞路まさみち=パチンコ屋の息子。美滝みたき小きっての不良。染川そめかわ蘭子らんこ=豚みたいな顔をした生徒会長。
武田は吸うかもしれねえけど、染川は吸わねえだろ。
吸うよ。一緒に吸ったもの、こないだ。
 松本がポケットから赤いライターを取りだし、大人がそれを吸うときと同じようなやり方で火をつけた。
とにかくおれは吸わない。それより続きだ。どうやって金をかっぱらう?
ふぅ……あー、クラクラきた。
 しゃがみこみ、目をつぶってうな垂れる松本。ここまできて、いったいなんの真似だ。
おい、時間がないんだ。早く聞かせてくれ。
 軽い処刑と飯抜きは決定。今さら焦ってもしかたがなかったが、だからといってこれ以上遅くなるわけにもいかない。うっぷんの花が再び開きはじめる。
その前にさあ……
なんだよ。
なんでそんなに急いでるわけ?

松本こそタバコなんか吸ってんなよ。

意外とまじめなんだね、沢村って。もしかして怖い?
 怖くはない。別につきあってやってもかまわなかった。ただしそれはこの話=大金をかっぱらう計画を全部聞いてからだ。
そんなことどうでもいいだろう、今は。
じゃあ、教えない。
 いらだちと気恥ずかしさ=おあずけを食らった犬の気分。
貸せよ!
 松本の手からライターをぶん取り、木箱の上のマイルドセブンを引っつかんだ。
ちゃんと見てろ!

 箱からタバコを抜きだしてくわえる――生まれてはじめて吸うタバコ。松本は地面へ座りこんだまま、こっちを見てにやついている。馬鹿にされている気がした。


 ライターを握りなおし、丸くなっている鉄の部分に親指をかける――まわす。火花が散り、オレンジ色の炎が顔の前で揺らめいた。

いきなり吸いこんじゃだめだよ。
 松本が煙を宙に吹きだしながらいった。タバコの先を火へ近づける。
軽く吸いこんで。
 いわれたとおりにした。くわえたタバコの先が炎のなかで真っ赤になっていく。口のなかが苦かった。むせ返りそうになるのを息を止めて堪える。それから少しずつ、ゆっくりと煙を吐きだしていった。
ちゃんと吸った。文句ないだろ。
 体中の血を一気に抜き取られた気分。にやつき顔がチカチカして見える。おれは立っていられなくなり、その場にへたり・・・こんだ。
うん。
 松本がゆっくりと立ちあがっていう。
 にやつき顔から満足顔へ=おれを仲間にするかどうかのテスト。地面に両手を突いて体を支えていなければ横か後ろへぶっ倒れちまいそうなぐらい、おれは目がまわっていた。
なにが秘密だ、馬鹿野郎。
 口のなかの水分がなくなるまで唾を吐く。煙の味はそうでもしなきゃ死んじまうんじゃないかと思えるほどに情け容赦のない苦さだった。
ところでさ、この家出計画やるよね? 一緒に。
 そんなことを今さら聞いてくる意味を考えたが、頭がちゃんとまわってくれなかった。
そのつもり、だけど、金を、どうやって、おれたちの、ものにするかまだ、聞いてない。
汚いなあ、もう。
汚いって、そんなの当たり前だろう。やり方を先に――
ちがうよ。唾だよ、唾!
 最後の唾を吐き終え、懐中電灯の光がまともに当たっている松本の顔を見た。けろっとしてやがる。ひょっとしておれはタバコの吸い方をまちがえたんだろうか。まあ、それはどうでもいい。これを最後に二度とこんなものは吸わない。
いっとくけど、話を聞いてからやらないとかはなし・・ね。
 松本の念押し。おれも四百八十万――いや、百四十万という金額まで聞かされて話から降りるつもりはない。やり方がまずければ、ふたりでまた練りなおせばいい。
わかった。必ずやる。
オッケ。まずはさ――
ちょっと待ってくれ。頭がグラグラしてる。
しょうがないなあ。
 松本がランドセルのなかからなにかをほうってよこした――キャッチ失敗。テトラパックのコーヒー牛乳。今日の給食に出たやつだ。
少しは楽になると思うよ、それ飲めば。あとこれ、はい。
 手を伸ばしてストローを受け取る。指先が震えていた。タバコはたぶん、猛毒だ。
職員室の扉の脇に火災報知器があるよね。
 拾いあげたパックにストローを突き刺しながら頷く。
そのスイッチのふたを開けるとなかに鍵があるんだ。輪っかの束でじゃらじゃらしたやつ。
なんでそんなこと知ってんだ?
十月最初の週番はボクだった。そのとき佐東先生がそこから取りだした鍵で事務室の戸締まりをしてた。
 週番=六年の三クラスから名簿順にひとりずつ集められ、クラブ活動をしている生徒以外を下校させたり、教室や体育館の鍵をかけてまわったりする当番。ひと月かふた月にいっぺん順番がまわってくる。
今もそこにあるかどうかわからないだろう。
 学校から金をかっぱらおうなんて考えたこともないおれは、そんなところまで注意深く見たことがなかった。
六年になったばっかの週番のときも見た。夏休み前もね。半年以上、そこが鍵の置き場所になってるのは確かだよ。
 話を聞く限りじゃ今も同じ場所にある可能性が高い。だが、念には念を入れておく必要がある。
確認しないといけないな……
 松本の調べどおりなら木曜の昼には金がなくなる。ということは今日明日のうちになんとかしないと大金は手に入らない。
そう思って明日の週番、島田しまだと代わってきた。
 計画に抜かりはない。これだけ機転が利くのに、どうして兄貴に負けるのか不思議でしょうがなかった。おれは飲み干したパックを左手で握り潰し、積みあげられている木箱の上へ放った。
もし週番のときに鍵を確認できなかったらどうする?
あるに決まってる。今月のはじめにもこの目で見てるんだから。
だといいんだけどな。
 松本がそれを見たという日は事務室に金がない日だ。何百万もの金を集めてるときに、そんな簡単に見つけられるような場所=火災報知機の裏なんかへ鍵を隠すだろうか。
責任はボクが取る。
 松本にどう責任が取れるのかわからなかった。
とにかく鍵があれば金をかっぱらうまでだ。なければそこで一旦諦めるしかない。
オッケ。そしたらいつやる? 今日?
今日は火曜だ。水曜に金を持っていくやつらもいるだろうから、明日のほうがいいんじゃないか? 鍵の確認だってあるわけだし。
そっか……締めきりギリギリに持ってくるやつって、どれぐらいいるんだろう。
さあな。それより時間はどうする?
誰もいなくなってからじゃなきゃできないから……やっぱり夜じゃん。
だよな……そしたら明日の晩に金をかっぱらおう。
決まりだね。(*010)どこ見終わったらあんな家、(*010)いならだ。
 何百万もかっぱらう晩に『欽どこ』はないだろう。松本は本当にやる気があるのか。
テレビなんかどうだっていい。
そうはいかないよ。
おい、松本……
冗談だって。
真剣な話をしてるんだ。冗談とかよせ。
はいはい。
 なめた返事にいらっときた――我慢した。
とりあえず準備するものを決めよう。
別になんにもいらないよ。必要そうなものはボクが持っていく。懐中電灯とかね。
釘抜きとかペンチとかトンカチは?
必要かなあ、それ。だって鍵あるんだよ? 金庫破りするわけじゃないんだからさ。
鍵の束のなかに金庫の鍵があるかどうか、わからないだろう。
さっきから心配ばっかしてる。第一、お金を金庫に置いてるかどうかだってわかんないじゃん。
 札束といえば金庫――おれの想像。実際がどうなのかは知らない。
じゃあどこに置いてあるっていうんだよ。
引き出しとか。
教科書じゃねんだぞ。そんなとこへしまってあるわけないだろう。
だから冗談だってば。
おい、それはよせってさっきも――
沢村はなんでも考えすぎなんだって。
松本が気楽すぎるんだ。
 一発逆転のかっぱらい。やると決めたからには成功させたかった。遊びじゃない以上、どんなに考えても考えすぎということはない。
じゃあ、ちょうどいいじゃん。心配屋の沢村と気楽なボク。
 松本がけらけら笑いだす。
それにさ、ボクけっこう運がいいんだよ。
 運なんかでなんとかなるもんじゃ……いや、だけどそいつもたしかに必要だ。
おれは――
 いいかけてやめた。
おれはなに?
 運がよかったためしがない。口にしたらこの計画が失敗しそうな気がした。
なんでもない。
 ついてない心配屋と運のいいのんき屋。単純に算数をしてもこっちに損がまわってくることはなさそうだ。今はこの話がでたらめじゃないことを祈るしかない。
そしてボクたちはさっそく運がいいよ。
なんで?
ママさんバレーの日と重ならなかった。
 ママさんバレー=生徒の母親同士が集まってやるお遊び。面倒をみてるのはたしか……佐東。
ボクんちのマ……お母さんやってんだよ、それ。
馬鹿教師が張りきってやってるあれか。
そう。カズや染川んちのおばさんもやってる。
 カズ=石森いしもり和宏かずひろ。おれがこの学校へ転入してきたときのボス。今はただのちくり屋。家は松本んちの近くらしいが、詳しいことは知らない。おれは松本んちへ行ったこともなければ近づいたこともなかった。
昔、バレーやってたとかそういうの、聞いたことないんだけどね。お母さんから。
 松本や石森、豚の母親たちがやっているママさんバレーと札束をいただくことにどんな関係があるのか。
……家を抜けだせないってことか?
ちがうよ。晩くまで学校の体育館使ってるじゃん。人が大勢いたら泥棒できないだろ。
 どこまでも気のまわる松本。そいつができないばかりにおれは今までさんざんな目にあってきた。この頭がい骨のなかに松本と同じ脳みそが生まれつきで入っていれば、おれの人生もここまでぶっ壊れちゃいなかっただろう。
なるほどな。完ぺきの完ぺきだ。
だろ? あ、気持ち悪いのなおった?
 グラグラしていた頭はいつの間にかなんともなくなっていた。コーヒー牛乳がタバコの毒に効くのは本当らしい。
札束のことを考えてたら気分がよくなった。
 もうすぐ手に入るかもしれない大金。頭のなかじゃ気の早い聖徳太子どもがどんちゃん騒ぎをはじめている。
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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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