女スパイ #2

エピソード文字数 4,377文字

 ほんとは染川さん嫌いなの、わたし。自分だけがえらいと思ってる。やな感じ――頷いてやった。


 でも本人にはいえないの。あ、これ(きよ)ちゃんにも内緒――頷いてやった。


 聖ちゃんがね、うるさいの。武田くん不良だよ、怖いよって。おもしろいのにね――秘密なのかどうかわからなかったが、頷いてやった。

武田くんて将来やくざになっちゃうのかな。
知らねえよ。

 しゃべってることがもう秘密じゃなくなってきている。児島が残念そうな顔をした。

やくざは困るの。秘密を扱うスパイとしては。

 完全にぶっ壊れた児島のイメージ。竹の子族に目がないただ(・・)の女かと思っていたが、なかなか変なやつだ。

そんな言葉、よく知ってるな。

 そんな言葉=やくざ。刑務所にいるおれの父さん。父さんのまわりにいたやつらも同じ。

こないだ弟とそういう映画見たの。やくざがたくさん出てきてお金持ちがさらわれて殺されちゃうやつ。

 映画のあらすじをしゃべりながら、のんきにガムの包みを剥きはじめる児島。お前だってそのうち同じ目にあうかもしれないぞ――言葉が声になる前に喉の奥で押し潰す。

でも馬鹿みたいと思った。やくざかっこよくない。ねえ、どう思う? 武田くんの将来。お兄さんたち、うるさいオートバイで走りまわってるよ。

 この女は本気でそんなことを心配しているんだろうか。

ならねんじゃねえか。あいつんちの父ちゃん、やくざじゃねえし。

そっか……そうだよね。映画にオートバイ出てこなかったもん。沢村くん、本物のやくざ見たことある?

 たくさんある、という代わりに『ない』といった。児島がさっきよりもっと残念そうな顔をする。

意外とよくしゃべるんだな。そんなになまってもねえし。

沢村くんはちっとも方言出ないね。都会の人みたい。

しゃべれねんだよ、方言が。覚えらんねえっつうか。

 きちがいどもと同じ言葉をしゃべるなんてまっぴらだった。考えただけでもぞっとする。

ふうん。ヒロくんに会いたいなあ。

――ヒロくん? 誰だそれ。

 歌う女スパイ。話の飛び方が武田よりひどいうえに、垂れ目の彼氏とは似ても似つかない沖田(おきた)浩之(ひろゆき)に会いたいときた。この女は冗談抜きでおかしい。


 曲の一番を歌い終えた女スパイの目線がおれを飛び越える。振り向く前に扉の開く音が聞こえた。

あなたたち怪しいわね。なにしてたの。

 空色のシャツの上へマントのように白衣を引っかけて現れた女。手には書類=何クラス分かの成長記録を持っている。

相馬先生、お帰りなさい。

 児島が宙に目をさまよわせながらいう。

ただいま。具合はどう?

 体調の悪そうな表情をとっさに浮かべる児島――カメレオンのような早技。さすがはスパイだ。ただし顔色のほうは追いついていない。追加で頭痛、腹痛、筋肉痛。どういうわけか尻まで痛いといいはじめている。これも作戦か。

どうしてここにいるの? 授業はどうしたのよ。

 話す相手を変えてきた相馬。スパイじゃないおれは本当のことをいった。

サボったって、あなたもずいぶんはっきりいうわね。で、誰もいない保健室で逢引き?

 机とベッドの間にある窓が開けられた――なだれこんでくる秋のにおい。冷たくもぬるくもない風が顔の傷をなでまわしていく。おれは上履きを脱ぎ、身長計の柱へよりかかった。


 アイビキってなんですか=児島の質問。


 相馬がベッドのまわりで揺れまくっている白い布を括りながら、アイビキについての説明をはじめた。児島がおれと同じタイミングで、そうじゃないといった意味の言葉を口にする。おれはそこに絆創膏の予備をくれといい足し、それから身長計の針を読んだ――百五十四センチ。春に測ったときからひとつも伸びていない。

あなたたちって、クラス別よね?

 メガネの位置をなおした手がおれに伸びる――絆創膏。たったの一枚。けちな保健医はおれの抗議には取りあわず、部屋の隅の給湯器をいじくりはじめた。

岩倉先生の留守をいいことに遊びまわってると、後でこっぴどく叱られるわよ。

 岩倉はめったに怒らない。おれや武田がなにかやらかしても、面倒くさそうな顔をするだけだ。

担任でもない佐東のほうがおれのことをよく引っぱたく。

 壁に貼りつけられた全身を映せる鏡で、顔や首、肩の傷を確かめながらいった。

先生を呼び捨てにするような生徒は叩かれて当たり前よ。

 本当の肌の色がわからなくなっているおれの体。傷はいつもとは逆=左側に集中していた。デブの馬乗り攻撃に老いぼれが輪をかけたかたちだ。おれは左肩のどす黒くてぶよぶよしているところを指で軽く押してみた。

()て。

それから――

 思わず出た声と相馬の説教が重なった。ガムが口から転げ出そうになる。左肩の痛みは一旦無視。というより、今日はもう触らないでおくことにした。

どうしたの?

なんでもねえよ。で、それからなんだよ。

 相馬がおれを差した指で自分の口もとを叩き、『休め』の格好=小言専用のポーズを取ってくる。

 後で追加の絆創膏をもらうことを考え、ここは素直に従っておいた。新しいガムの外包みに口のなかのそれを吐き、視力検査表の前にあるごみ箱へ投げ入れる――口を真一文字にした児島と目が合った。頬も顎もマネキンみたいにかたまっている。


 相馬先生――扉の開く音と同時に聞こえてきた声。

……あ、今まずいですね。

 わずか三秒かそこらで閉められた扉。相馬はそいつ=六年三組の担任の顔を見ようともしなかった。

なんか用だったんじゃないのか、渡辺(わたなべ)

いいのよ。

 そっけない態度。教師を呼び捨てにしたのに怒りもしない。いってもわからないガキになにをいっても無駄だと気づいたのか。まあ、それならそれでこっちも気が楽だ。おれは鏡の前から、かけ布団の下で足をぱたぱたやっているマネキンの近くへ移動をした。

ガムどうした。

 小声で聞く――飲んじゃった。ささやきで返されてきた答え。見せてみろともいっていないのに口を開けて舌を動かす児島。おれは歯医者じゃない。

いちゃつかないの。みんな勉強してるのよ。

 この場合の『いちゃつく、つかない』は千葉でも通じる意味のそれ。そんなことはしていないと強めに反発したが、相馬は赤い急須にお茶っ葉を放りこむほうが大事だといわんばかりにおれを無視した。

美滝小へ移ってくる前はたしか……長野市の小学校へ通ってたのよね、沢村は。

 無視から問いへ――頷いた。

そいつがどうかしたのかよ。

 相馬はおれを呼び捨てにする。ほかの生徒にもそうなのか知らないが、児島には『さん』をつけていた。女子にだけそうしているなら、それは差別だった。

私も三年前までそっちにいたのよ。中学校だけどね。長野は詳しい?

だいたいわかる。運動公園や権堂(ごんどう)なんかへはよく行った。

街中(まちなか)ね。それじゃ柳原(やなぎはら)なんて知らないかしら。

 知らないもなにもない。須坂へ来る前、おれはそこにいた。

転校しなきゃ、そこの中学へ行くことになってたと思う。

あら。それじゃあなた、中俣(なかまた)朝霧(あさぎり)

 ベッドの脇=児島の、見えていない足もと近くにある丸椅子へ腰かけながら、はじめに出てきたほうの小学校をいった。

そう。私の家、村山(むらやま)よ。

 その町は千曲川を挟んで須坂市と長野市の両方にまたがってある。どっちなのか聞こうとしたときに、体育で使う笛と悲鳴を混ぜたような音が、行儀の悪いガキどもみたいな勢いで耳に飛びこんできた。両手を耳へ当てる児島とおれ。相馬が窓辺の隅へ駆けていく。ふざけた音は二秒でしょぼくれていった。

――あればいいのにね。

 耳をふさいでいたせいで話の前半が聞き取れなかった。

なにがあればいいって?

クラス替え。

 児島がおれの脇までずれてきて小声でいう。話が微妙にぶっ飛ばされた気がしたが、それにはもう慣れている。宙をさまよっているときとはまるでちがう、強い光を持ったアーモンドの目がおれの答えを待っていた。

そうだな。


 千葉では二年に一度クラス替えがあったが、長野(こっち)にはそれがなかった。入学してクラスが決まったら最後、途中で転校でもしない限り、同じ顔ぶれと同じ教室の空気を六年間吸いあって過ごさなきゃならない。だから美滝小(ここ)のやつらも中俣小のやつらも、クラスメイトのことは気持ち悪いほどよく知っている――といってもまあ、北沢の弱虫についちゃ誰もあまり知らないみたいだが。

武田と同じクラスになれてたかもしれねえしな。まあ、うるせえ担任の声が一番聞きたくねえか。

 児島に関係するところを適当にくっつけて返してやる。湯飲みに茶を注ぐ音がやたらと耳についた。この学校には今、おれと児島と相馬しかいないんじゃないかと思えるぐらい、午後の保健室は静かだった。

沢村くん、一組へ転校してくればよかったのに。不良の子、ひとりもいないから楽しいよ。

 不良がひとりもいないんじゃ、かえって目立つ。それに聖香が同じクラスじゃなければ、おれはたぶん学校へ来ていない。

だって二組は不良ばっかり。三組はわかんないけど。武田くんのこともほんとはあんまりわかんない。それにね――

 つかみづらい話を、小声とは呼べない声でしゃべり続ける児島。話していることの半分は意味がわからなかった。

 相馬が特別サービスだといって、梅だか桜だかの絵が描かれた湯飲みをよこしてきた。たかが色つきのお湯ぐらいでなにが特別だ。

こんなのより絆創膏くれよ。

あげたでしょう。それだってタダじゃないのよ。

 相馬の人差し指がおれの右手に握られている、一枚ぽっちのタダじゃないものに向く。

全然足りねえよ。

 帽子を取り、傷や痣を見せつけるようにしてアピールしてやった。

だいたいそのケガ、ほんとに川原でやったの?

 アピール失敗――帽子をもとへ。

あそこの石はカッチカチで手ごわいんだよ。

なによそれ。

 相馬は笑うきりで、一枚も追加をよこしてこなかった。メガネをかけているやつがどけち(・・・)だという松本の言葉はかなり信用できる。

まあいいわ。それ飲んだら教室へ戻りなさい。児島さんもね。

 湯飲みに顔を近づけた。酸っぱいにおいがする。すぐにゲロまみれのあいつらを思いだした。覚悟を決めて湯飲みのふちに口をつける。茶碗を傾げる。なかの液体をおそるおそる、すする=思ったとおりの味。

おいしいでしょ。体にもすごくいいのよ。

 昆布(こぶ)茶と健康についての話がはじまった。中身がいくらも減っていない茶碗は空いている椅子の上へしらばっくれておいた。

相馬先生。

なにかしら。

 ピントのずれた質問を児島が相馬にぶつける。おれは相馬の顔がこっちに向いたときだけ頷き、それ以外は今夜のこと=特に札束を手にしてからのことを考えていた。
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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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