名前 #3

エピソード文字数 6,061文字

 終鈴がぶち鳴らされると、気配だけでおれを攻撃していた羊どもはなにごともなかったかのようにてんで(・・・)バラバラの行動を取りはじめた。


 ようっ!――背中に衝撃。

……ってえな。

 文句を口にしながら首を後ろへひねる――机の上でバッタの親子みたいな格好をしているおれたち。

なんだよ。

損した。

 ハの字眉で返されてきた答え――いやな予感。今夜の計画に関係した損だとするとうまくない。

廊下へ出よう。

どうして?

どうしてって、ここじゃその……まずいだろう。

まずい? 自習ってわかってたら宿題なんかやってこなかったのにって話が?

 鼻でため息をついた一秒後に別の意味で驚くおれ――くそまじめな松本。肩にあったパンダ模様の顔が脇腹のほうへと移動してくる。

やばすごいね、顔。

じろじろ見るな。

朝わかんなかったけど、またパワーアップしてんじゃん。なんで?

人のこといえる顔か。

 昨日のケンカ――松本の攻撃で受けたダメージはほとんどゼロ。お互いにそれはわかっている。興味剥きだしの目はそれ以外の理由=自分がまるで敵わなかった相手をここまでぶちのめすことができる暴力の正体を知りたがっていた。遠慮というものを知らない目玉に指で突く真似をしてやる。

ガイジンにやられたんだとよ。

 武田がおれと松本の顔を見比べる。

だけど松本の顔もハンパねえな。

 生傷の品評会なんてものがもしあれば、おれたちはきっといい線を狙えるにちがいない。

ホントは松本とケンカしたんじゃねえのか?

だからさっき――

したよ。ボク、負けた。

 松本が武田に対して照れ笑いをする。おれに対して『そうだろ』という顔をする。

なんだよ、ババアのシワザじゃねえじゃねえか。

松本ともケンカしたし、外人にもやられたんだよ。

なんだそりゃ。だいたいそのガイジン、マジでババアの仲間だったのか?

――それは武田、お前がいいだしたことだろう。

なに!? ぶっかけばばあって仲間いるの!? ボク、見たことないよ!

 質問を無視して教壇の脇へそれとなく目をやる。やわらかな声とやさしい言葉で豚を慰めている聖香。休み時間だというのに。きっとその心には天使が住んでいるにちがいない。


 ふいに気持ちが高まった。もう会えなくなることを聖香に伝えたい。すぐにそれができないことにも気づく。気持ちをうやむやにするために札束のことを考えた。頭のなかを飛びまわる、どこか笑顔の聖徳太子たち。札に印刷されている顔のヒゲが消え、髪が伸び、顔がそっくり聖香のそれになると次には誰の顔でもなくなった――顔のない札。

よんだか。

――消えろ。


 化けものが心のなかのあちこちへ唾を吐く。

岡崎見てる。

 背中越しにぼそっと聞こえてきた声。焦りを顔に出すことはしない。気持ちや考えていることを隠すのは奴隷の得意技。体を後ろへねじる。パンダ顔の右目がやたらとぱちくりしていた。

なんだよ、ちがうよ。

 松本が小さく首を振る――繰り返されるまぶたの動き。口には出せないなにか=家出の計画は内緒。

……ああ、わかってる。

 おれは小声で早口し、左手で腰の脇の太ももを軽く叩いた。

だけどオメエら、ケンカしたわりには仲いいな。

 マジソンバッグをごそごそやりながら武田がいう。

そりゃそうだよ、だってボクたち今晩――

 たった今、口にしないと決めたことを口走る松本。武田からは見えない側の肘で後ろの脇腹を小突く。あ、ごめん――息で返されてきた言葉。おれはさっきの合図の意味がまったくわからなくなった。

あ? 今晩なんだって?

今晩じゃねえよ。昨日の話だ、昨日の。

 武田の耳の記憶をぶっ飛ばす。

昨日は虫のいどころがお互いちょっと悪かった。そういったんだ。

そうそう、悪かった。昨日。ちょっと。虫の。お互い。いどころが。

 言葉を変な順番に入れ替えて松本がオウム返しをする。

 タイマン=一対一のケンカ。MG5を塗りたくった髪にドクロマークの櫛を入れながら、わざわざ痛い思いをしたいという武田。もっと早くにそいつを聞いていればデブ殺しに誘ってやれたが、それも昨日までの話。あいにくだ。

三組のキタやっちゃえばいいよ。

ムチャいうな。

 三組のキタ=北沢(きたざわ)敦司(あつし)。くじゃく屋の向かいに家がある、めったに口を開かない学校一の大男。忘れものをしてもすぐ取りに戻れることを羨ましく思ったことはないが、馬鹿みたいにでかい体のほうはいつ見ても羨ましかった。

なんでさ。あいつぶっ飛ばしちゃえば武田が美滝小のボスじゃん。

 クラスこそちがうが、六年も同じ学校へ通っていてふたりはなんにも知らないんだろうか。北沢はボスなんてガラじゃない。小学生離れした体格をしているだけで、根っこの部分はまるで臆病だ。


 いつだったかおれは駅前のゲームセンターで、常盤小(ときわしょう)のやつらに囲まれていた北沢を助けたことがある。あいつは殴られてもいないのに泣き、そいつらをおれがぶちのめしている間も泣いていた。でかい体でおれに抱きついてきたときもそうだし、とにかくずっと泣きっぱなしだった。

オマエがいけよ、松本。オレら後ろで見ててやっから。なあ、サームラ。

 本人の思いとは裏腹に、そのでかい体と無口のせいでまわりからやばく思われている北沢。さすがに松本じゃ無理だろうが、武田が本気でぶん殴りにいけば十秒もかからずに決着がつく。

あんな高校生みたいなやつ相手に、百三十七センチしかないボクが勝てるわけないじゃん。

 でかいくせに泣き虫の北沢と、奴隷なんか望んじゃいないのにそういう扱いをされているおれはどこか似ている気がした。

というワケでサームラ、オマエの出番だ。

勝手に人を巻きこむな。

 目の端でラベンダー色がふわっと広がる。みぞおちにもふわっときた。たぶん、おれに文句をいうつもりだろう。特急で心の準備をする。

大丈夫だよ、沢村ならいけるって。みんなビビってるけど、どうせはったりだよ、はったり。でくのぼうに決ま――

話してるところ悪いんだけど……

 聖香が松本に話しかける。

なんだよ、岡崎。男の話に口出してくんなよな。

 後ろ向きに手を振り、おれたちから離れていく武田。あとには床屋のにおいだけが残った。

沢村くんに話があるの。

 聖香の目線が松本からおれに移ってきた。みぞおちの痛みがまともに金属バットを食らったときのそれに変わる。

 いいに決まっていた。どういう理由であれ、聖香は今おれと話そうとしている。久しぶりに間近で見る聖香の顔=天使の顔立ち。話の中身なんてこの際どうだっていい。

なんでだよ。いいじゃん、別にボクがいたって話せば。

 よくねえよ。いいからどけ――心のなかで文句をがなる。

お願い、ちょっとでいいから。

じゃあ、給食のプリンちょうだい。

 天使が困った顔をする。なんでだ? そんなものは断ればいい。なんならおれのプリンをやるぞ、聖香。

だめなの? じゃあいいよ。どかないから。

 強気な態度に出る松本。それに対してどこか弱腰な聖香――気に食わない。ふたりの間に流れている妙なふんいきがおれのみぞおちを揺さぶった。

わかった。あげるから。

 サンキュー――(かん)高い声が耳障りだった。机から跳び降りた松本がラベンダー色の肩をなれなれしい手つきで叩いていく。かちんときた。拳を握りしめた。聖香と目が合った――心がかたまった。

あのね……染川さんがいいたかったのは――

 おれのせいでプリンを失った聖香が案の定の名前を口にする――くそ、松本め。豚め。

卒業まであと半年も――

 みぞおちが落ち着いていくのと入れ替わりで、今度は心臓の動きが派手になっていった。なに食わぬ顔を作りながら机を降りる。体をいくぶん斜めにして聖香のほうを向いた。おなじみの髪留めに目がいく。

だからみんなで――

 夏の頃に比べて目の位置が少し高くなっていた――ちょっと大人になった聖香。左手を伸ばせばその髪に、肩に、腕に、今なら触れることができる。その気になれば抱きよせることだって――

――ったんだよ。ねえ、聞いてる?

あ? ああ……

 ラベンダー色の腕が胸の前で組まれる。腕の隙間からのぞく細い指がゆっくりと二の腕を叩きはじめた=聖香のくせ。機嫌が悪くなるに連れて指の動きも速くなる。今はまだ、序の口。

もう一回いうよ。染――

岡崎。

 聖香の声にかぶせていった。

面倒くせえんだよ、そういうの。

 背が伸びたな、というセリフを勝手にちがう言葉へすり替えるおれの口。

女の子にあんな暴力振るっといて、そういういい方ないんじゃないの。

 もっと普通に、できれば明るく笑いでもしながら口が利けたらどんなにいいだろう。みぞおちの痛みがぶり返してきた――かまわなかった。今日が終わればもう死ぬまでみぞおちが痛くなることはない。好きなだけ痛くなれ。

暴力って、別に当たってねえじゃねえか。

当たってたらもっと大変なことになってるよ。

 聖香の目が少しきつくなっていた。リズムを取っている指のスピードもさっきの倍になっている。

染川さんに謝って。

冗談いうな。

 このまま話していても楽しいおしゃべりにはなりそうもない――思いで作りもここまで。

ひと言『ごめん』っていってあげてよ。かわいそうじゃない。

もういい。

よくないよ。

いいっていってんだろ、うるせえな。

 帽子を取って声を荒らげた。聖香の瞳が揺れる。おれはなにをしているのか。

……みんな怖がってるよ、沢村くんのこと。

 なんてひどい顔してるの、この人。表情から読み取れた聖香の心のなか=瞳が揺れた理由。

どうでもいいわ、そんなの。好かれようなんて思ってねえから。

――お前以外には。

どうして?

なめられて馬鹿にされるぐらいなら、ビビっといてもらったほうがこっちとしてもありがたい。まあ、こんな化けものみたいな顔してりゃ、誰だって怖がるけどな。

ちがうよ。

ちがわない。聖香だって今そう思っただろう。

そういう意味でいったんじゃ……ないよ。

 天使の顔が下を向く――図星。

……ごめんね。

 発作がおさまりかけてきた豚を、坂巻ともうひとりの女が教室の外へ運びだしていった――肉になる前の家畜。一刻も早くパックに詰めてもらえ。豚肉は前扉を出てからも、泣き腫らした赤い目でおれを睨んできていた。

なに謝ってんだよ。

気分悪くさせたから……

 目の前のくちびるが動くたびに、いちいちそこへ吸いよせられるおれの目玉。キスしたときのことが頭に浮かぶ。夏草の青いにおいまでもがよみがえってきた。聖香はもう忘れちまっただろうか。ほかのやつらは知らない、ふたりだけの秘密を。

あと……

 困り顔の天使の目がまっすぐおれに向く。

人前で名前呼ばないで。お願い。

 釘を刺された。

あ、いや、悪りい……

 二学期のはじめにもそのことはいわれていた――聖香のルール。忘れていたわけじゃない。気をつけてもいた。が、つい口が滑った。いったいどこで――いや、だけどそれぐらい……聖香を聖香と呼んだって別にいいだろう――みぞおちがぐちをこぼす。


〝沢村! 六年二組、沢村怜二! 大至急、職員室!〟


 佐東のがなり声だった。わざわざおれを指差して笑う松本と武田――目障り、耳障り。

呼びだされちゃったね。

 あんなものはどうだってよかった。それよりもおれは今、聖香の言葉にノックアウトされている。

あの、くそ豚女。

 気をまぎらわすためにいった。

岩倉先生じゃないから、そういうこというと(はた)かれるよ。

 聖香を名前で呼ぶ――そいつが許されるのは聖香に一番近い男だけ。夏休みのはじめまでおれはその位置にいた。今はそうじゃない。岡崎聖香を下半分で呼び捨てできるかどうかにはそういう意味があった。

豚は豚だ。ほかにいいようがない。

もう。
 予鈴がぶち鳴らされる。話の中身はともかく、こうして聖香と話せたことは旅の前のいい記念になった。

肝心なこと話せなかったから、後で……昼休み、いい?

 肝心なこと――おれが期待するような話じゃないのはわかっている。それでも聖香とおしゃべりができるなら――思いでを増やせるなら、おれはどこへでも行く。ただ、昼休みはちょっと都合が悪い。

放課後じゃだめか?

今日、公文あるから……

じゃあ、いいわ。どうせ豚のことだろ。

またそういうこという。

 聖香のくちびるがすぼむ。そいつを見つめそうになるおれ。慌てて顔を背けたが目玉だけはいうことを聞かなかった。みぞおちがもう勘弁してくれと悲鳴をあげる。

次、移動教室だから行くね。沢村くんも早く佐東先生のところへ行ったほうがいいよ。

昼休みは無理だぞ。

 聖香が身をひるがえす。ラベンダーの背中へ伸びそうになる手を握り拳にして、自分のみぞおちを小突いた。

いいよ、放課後ね。

 それだけいうと聖香は教室を出ていった。代わりに武田たちが近づいてくる。

いいフンイキだったじゃねえか。なあ、松本。

 垂れ目を垂れに垂らした武田が、わけのわからない片足ダンスのサービスつきで冷やかしてくる。松本は武田の問いに返事をしなかった。

百倍に拡大したミジンコみてえだな。

ツイ、ストって、いえよ、ツイ、ストって。

 世良(せら)公則(まさのり)とふとがね金太(きんた)の顔が頭に浮かぶ。

そんな名前のがいるのか、ミジンコに。

オメエ、ロックン、ロール、なめてん、だろ。

 息を弾ませながら文句を返してくるミジンコ。横浜銀蝿を見て勉強しろともいってきた。

けどよかったじゃねえか、仲なおりできて。

 ミジンコから人間に戻った武田のちゃかし。

そんなんじゃねえよ。話の中身は豚の文句ばっかだ。

そいつでうめえことホーカゴのデートに持ちこんだんだろうが。ナニいってやがる。

 おれのために聖香がなにかをサボるなんて、いったいどれぐらいぶりだろう。嬉しい気持ちに寂しい気持ちが、その上にじんとこみあげてくるような思いが重なっていく。こういうのをほろ苦い気分というのかもしれない。がなり声がまた聞こえた。

佐東先生、めちゃんこ怒ってんじゃん。どうすんの?

あんなもの、勝手に怒らしときゃいい。

 豚をかまったおかげで聖香と口が利けた。久しぶりに。そして最後に――いや、最後は放課後か。いずれにしろ、それを思えば佐東の説教ぐらいなんてことはない。

ま、記念にバッチシ絞られてこい。

なんの記念だよ。

そんなの人生バラ色記念に決まってんだろ。気合入れてけよ、気合。

 手に教科書やらノートやら筆箱やらを持った松本と、そういうものを一切持っていく気がない武田が揃って前扉を出ていった。

まあ、バラ色っていえばバラ色か。

 誰もいなくなった教室。五日前から手首に食いこんでいる髪留めを外し、人差し指でそいつをまわした。馬鹿みたいに。あほみたいに。くるくる、くるくる、くるくる。


 放課後、会えなくなることを聖香にいおう。意味なんか通じなくてもかまわない。とにかくちゃんと、さよならだ。


 三度めのがなり声が聞こえた。どうでもよかった。ぶっ叩くでもなんでも好きにすればいい。おれの人生はもう決まっている。檻にでもぶちこまれない限り、バラ色のそいつが変わることはない。

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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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