第6話 愚者一

文字数 2,198文字

 第二広場、スポーツの森――テニスコートや野球場がある――と通り過ぎて、人の流れが減った頃、第三広場が見えてきた。三方を山に囲まれた小ぢんまりした広場は、自然を間近に感じられるところがいい。花の下にいるグループも、第一広場のように数珠繋ぎではなく、だいぶ間隔が空いている。

 真一が到着しても、派手な歓迎はなかった。盛り上がりのピークはとうに過ぎてしまったらしく、間怠い空気が場に漂い、三つくらいに分かれたグループがトランプをしたり、将棋を打ったり、と思い思いのことをしていた。

 とりあえず目が合った人間に挨拶していたら、奥のほうから、こっちこっち、と手招きしてくる奴がいた。茶色いくせ毛で、やや不健康そうな顔色をしたこいつは、昨夜電話をくれた岡崎。真一はコンビニの夜勤を始める前、公園下のレストランでバイトしていたが、そのときのバイト仲間だ。煙草好きの岡崎は、陽気で気さくな男である。店に入ったばかりの頃、いちばん話しかけてくれたのも岡崎。おかげで、ほかのバイト仲間とも話す機会が増え、すんなりと職場に溶け込むことができた。地元の大学に通う学生で、年は真一の二つ下。真一のアパートからそう遠くないところに住んでいて、バイトが替わった今も、以前とあまり変わらない付き合いが続いている。

「どうしたんだ、これ。遠くから見たら池かと思ったぞ」

 岡崎の隣に腰を下ろすと、何枚も敷き詰められたブルーシートを端から端まで見渡して言った。シート全体の広さは、実に二十五メートルプールを一回り小さくしたくらいある。ほぼ全員が桜並木側に偏って座っているため、無駄なスペースが余計目立つ。いくら二つのグループが一緒になったからとはいえ、これはやり過ぎだろう。

「松浦が持ってきたんですよ。あいつんち、造園業やってるでしょ。使わないシートが倉庫にたくさんあったらしいです」

 岡崎の視線を辿って、少し離れた所に座っている三人組に目を向ける。川崎という男と将棋を指している体格のいい男が松浦だ。黒髪オールバックでスカジャンの袖をまくり上げ、顎に手を当て次の一手を考えている。対局を見守っているもう一人の男の名前はわからない。松浦には、俺が俺が、と自己主張の強い一面があるものの、面白い遊びを企画できて行動力もあるので、岡崎たちの代のリーダー格に収まっている。一言で言えば、ガキ大将がそのまま大きくなってしまったような性格だ。

「広くていいでしょ。シンさんも疲れたら、あいつみたいに寝そべったらどうですか」

 反対側に岩見沢が詰めてきた。やや時代遅れのロン毛。毛先側にブリーチの痕が残って、意図しないツートンカラーになっている。その指が示すシートの真ん中あたりを見ると、仰向けに寝そべっている奴がいた。三人組の一人と同じく、見たことがない顔だ。灰色のスウェット上下で、腰から白いTシャツがはみ出し、脂ぎった頭髪はぼさぼさ。何だか怪しい男である。飲み過ぎたのか、日向ぼっこしているだけなのか、いずれにしても起き上がる気配はない。

 岩見沢は、岡崎の中学時代の同級生。かつてのバイト仲間ではなく、比較的最近――真一がコンビニのバイトを始めてから親しくなった。工場勤務で三交代制のため、夜勤の真一とも時間が合う日があったのだ。今日は、もう一つのグループのメンバーとしてここに来た。二つのグループは、全員が初対面というわけではなく、互いに何人か知り合いがいる。さすがの松浦も、まったく面識のないグループ同士を一緒にしたりはしない。

 三人で話をしていたら、隣のグループの宇和島という男がオードブルの大皿を回してくれた。次いで、巻きずしやおこわが入ったフードパックも回ってくる。酒は?、と訊かれたが、スクーターの運転があるので断った。宵には人と会う予定も入っている。ホテル時代に世話になった先輩の引っ越しの手伝いをする約束をしているのだ。

「残飯処理みたいなもんですよ」

 オードブルの品々を見下ろしつつ、岡崎が同情してほろ苦い笑みを浮かべた。真一もそう思う。冷え切った唐揚げ、ふやけたポテト、ミニアメリカンドッグとアルミカップにたっぷりのケチャップ、油が白く固まった焼き鳥……。見ているだけで胸焼けがしてきそうだ。

 だが、無理してでも食べるしかない。昼食はここで食べると決めて、アパートでは何も食べてこなかったのだから。

「じゃあ、飲み物はウーロン茶にしますか」
「……そうだな」

 やはり慰めるように言ってくれた岩見沢にげんなりと返して、真一はおそるおそる焼き鳥の串に手を伸ばした。

◇◇◇

 西の山の影が伸びて、真一たちのシートも、いつの間にかその中に呑み込まれていた。広場の花見客もだいぶ減り、祭りのあとの気の抜けた空気が漂う。

 和やかだった場に、ここに来てにわかに暗雲が立ち込め始めた。

 マサオという男が、固まって談笑していた松浦、川崎、五所川原の三人に突っかかったのだ。

 お前らビール一杯でいいから空けろ、と。

 真一が到着したとき、シートに仰向けになっていた奴だ。スウェット上下の怪しい男。ついさっき自分の居場所を離れて、三人の間に割り込んだ。たった今、布団から這い出して来たかのようなぼさぼさ頭。無精ヒゲのちょぼつく顔は茹でダコみたいに紅潮し、目つきもおかしい。最初に見たときはこんなに顔は赤くなかったのだが、あれからいったいどれだけ飲んだのか。
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