第5話 千年桜

文字数 3,227文字

 常世野市の西、平野が尽きて宅地開発された丘陵地帯に至る手前に、蓬莱公園という名前の公園がある。四季折々の花が楽しめる場所として知られ、市内や近隣地域だけでなく、遠方からも多くの人が訪れる。真一のアパートからは、スクーターで十二、三分ほど。四車線の国道を西に向かって走り、私鉄の陸橋を上っていくと、青々と樹木が生い茂る巨大な丘が正面に見えてくる。この丘は丸ごと公園の敷地だ。背後の丘陵地帯から隔絶した独立丘。だだっ広い平野に亀の背中のごとく盛り上がった様子は、大阪、奈良あたりの巨大古墳や、はたまたアボリジニの聖地ウルル (エアーズロック) を思わせる。条件次第で麓に霞が棚引くことがあり、そんなときは、雲の上に島が浮かんでいるような不思議な光景がお目見えする。

 公園はこの丘を中心に、北西部の自然観察ゾーンと、南東から南にかけて広がる親水ゾーンの三つの区域から成り立っている。少し離れた所にある寺の緑地も含めれば、都市公園として最大規模の大きさになるかもしれない。ちなみに、市名の 「常世野」 は、かつて丘の周りに広がっていたすすき野原に由来するらしい。開発が進んだ現在、一部が公園に残されるだけになってしまったが、往時は茫洋とそよぐ銀の穂波が見事だったそうだ。

 陸橋を過ぎてしばらくすると、国道は斜めに進路を変える。変則的な交差点を直進して、裏通り然とした古い街並みの中を進んで行き、緩い坂の途中に現れる歩道橋の下で左折すれば、突き当たりが公園の駐車場だ。

 駐車場の片隅にある駐輪スペースにスクーターを停めた真一は、タイル張りの広場を突っ切って、銀色の時計塔がそびえ立つ噴水池を目指した。「時計塔広場」 と呼ばれるこの場所は、蓬莱公園の正面玄関。駐車場もここの前がいちばん広く、公園を訪れる人の大半がここに車を停める。

 待ち合わせをする人々で賑わう円形の噴水池の脇を通り過ぎると、広場の突き当たりから、冬枯れの山斜面に続く階段を上り始める。幅広の階段は長さもかなりあり、山上の盆地に開けた広場に行き着くまでに、いくつか踊り場を通過しなくてはならない。時計塔広場の端から坂道を使う手もあるが、足に不安がなければ、階段を上ったほうが断然早いだろう。ちなみに、公園の独立丘は、一般の感覚では 「丘」 ではなく 「山」 だ。だから、地元の人々は 「公園の丘」 とは言わず、「公園の山」 という言い方をする。

 時計塔の円い大きな時計の針は、二時を少し回ったところだった。この時間になると、階段を上る人より下ってくる人のほうが多い。手すりの反対側を、綿菓子の袋を手にした子供と両親、学生っぽいグループ、クーラーボックスを担いだ大人の集団ががやがやと歩き下ってくる。皆、花見に来た人々だ。園内を一通り巡って、昼食も済ませて、引き揚げることにしたのだろう。蓬莱公園は、地域随一の花見の名所。今日みたいに麗らかな陽気で、おまけに休日となれば、各方面からどっと人が押し寄せる。

 真一が公園に来た理由も花見だ。ただ、約束を交わした仲間たちは、午前中から集まっている。春先からコンビニの夜勤を始めた真一は、彼らと時間を合わせることが難しくなった。バイトが終わったのが朝六時、アパートに帰ってベッドに入ったのが七時頃で、起きたのは一時過ぎ。眠らずに来ることもできたが、最近はアパートに帰ってすぐ寝ることが習慣づいていたので、いたずらに生活のリズムを乱したくなかった。

 ゆうべ電話をくれた岡崎によれば、今日集まっているメンバーは十五、六人。うち約半分は真一が以前働いていたバイト先の仲間で、残り半分は松浦の高校時代の同級生が中心だという。二つのグループは、元々別々に花見をやる予定だった。ところが、数日前、松浦がもう一方のグループのメンバーと電話で話をしていたとき、たまたま同じ日に花見をやることがわかって、その場のノリで一緒になることにしてしまったらしい。強引に物事を決めてしまうのは、松浦の悪い癖だ。受話器越しに岡崎も、「初対面の奴だっているんだし、何を話したらいいかわかんないですよね」 と愚痴をこぼしていた。

 階段を上り終えると、切り通しの坂道を下って、ふわっと花霞が包み込む広場にやって来た。公園でいちばん大きい第一広場だ。芝生の真ん中で子供たちがはしゃぎ回る一方、桜並木の下でたくさんのグループが飲食を楽しんでいる。遊歩道沿いには、色とりどりの暖簾を掲げた屋台が出並び、焦げたソースや醤油の匂いが鼻を刺激する。

 人の波を掻き分けながら、真一は南を目指した。岡崎の話では、仲間たちは盆地の最奥にある第三広場にいるそうだ。駐車場から遠いこの場所は、休日でも空いていて花見の穴場。まだ道のりは長いが、急ぐ用事ではないし、ゆっくり景色を楽しみながら歩いていくことにする。

 第一広場を過ぎると、坂の下に大きな池が現れた。「龍神池」 と呼ばれるこの池は、池畔がよく整備され、人工の池と誤解されがちだが、元からここにある自然の池だ。唯一、東側に浮かぶ島だけが、公園造成時に出た土砂を利用して築かれた。

 池沿いの道をしばらく歩いて、桜の枝間にその島が迫ってきた。真一は少し寄り道したくなって、八の字に腕を広げる赤い袖高欄のほうに足を向けた。遊歩道から島へ行くには、赤い反橋を渡る必要がある。花時の桜並木と反橋の取り合わせは、なかなか絵になる構図。橋の入り口でカメラを構えていた人や、真ん中付近で横に並んで記念写真を撮っていた人たちがいたが、合間を縫って島へ渡った。

 石垣で周りを固められた島は、平坦で南北に長い。北側に公園のシンボルとも言える一本桜が植わっている。樹高十六メートル、枝張り最大二十四メートル、幹周り七メートルという威風堂々たる桜だ。品種はヤマザクラ。根元が土盛りされているため、看板に出ている樹高より高く見えるかもしれない。この桜、「常世野の千年桜」 という名が付いているが、推定樹齢は四百年前後だそうだ。「千年」 は字義通りに捉えず、「長い時間」 くらいに受け取っておいたほうがいい。実際、人の寿命に比べたら、四百年だってとこしえに等しいのだから。

 桜はこのあたりの旧家が所有する土地に生えていたものを、宅地開発に際して公園に移植したらしい。郷土の誇りの桜を切り倒してしまうのは忍びない、という地元の人たちの声を受けてのことだったという。公園には約二千本の桜――ほとんどがソメイヨシノ――が植えられているが、ひときわ大きい千年桜は、数多の桜の母と言えそうだ。

 人が群がる大桜の前を通り過ぎ、島の西側の浮御堂を目指した。赤と白を基調とした六角堂。池の水面の上に立っていて、短い橋で島と結ばれている。弁才天を祀っているが、普段は中を見ることができない。ただ、この日は桜祭りの期間中とあって、特別に開帳されていた。
 浮御堂の弁天像を目にするのは初めてだった。参拝者が橋の外まで溢れていたため、対面できた時間はごくわずか。白木の坐像だった。仄暗い堂内で微光を放ち、真新しく、香り立つような質感があった。漠然と福々しい姿を想像していたので、モダンな顔立ちと体型をしていたことには少し驚かされた。

 この女神は、本来インドの川の神だという。梵名は 「サラスヴァティー」。神話上の大河の名前であると同時に、「水を所有する者」 という意味だそう。水は作物を育むから、水の神は豊穣の神とも言える。弁才天は日本では、弁舌、音楽、芸能、財福の神としても信仰されているが、本源的な性格はやはり、水分神であり、豊穣の神だろう。

 インド神話では、創造神ブラフマンとの間に人祖――つまり、この世で最初の人間だ――マヌを生む。

 ペルシャのアナーヒターとは同一の神。

 無造作に膝を崩していたせいかもしれない。成熟した女性像だったが、その面差しは、そこはかとなく無邪気な幼さを残しているようにも見えた。
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