第59話 海水浴 その三~波行~

文字数 2,180文字

「洗えー、洗えー、洗濯機だーっ」

 西脇が腕をぐるぐる回しながら叫んでいる。

 だが、その西脇もまた、白波に吹き飛ばされる。真一も簡単に足元をさらわれた。周りでは、仲間たちがボウリングのピンのように弾け飛んでいた。

「後ろっ、また来てる」

 体勢を立て直したところで、久寿彦の声がして振り返ると、二発目の波が迫っていた。とっさに砂浜側へ逃げようとするも、引き波の力が強く、なかなか足が前に進まない。激流の川で、流れに逆らって歩いているようでもどかしい。もう一度振り返ったら、白い網目模様を残した大波が、間近で逆巻いていた。この上なく、まずい状況。

 前を向いたのと同時に激しい倒壊音。爆発した白波に捕まり、海中に引きずり込まれる。闇の中、誰かとぶつかったが、メチャクチャな水流で体の自由が利かず、組んず解れつの状態で砂底を転がされる。踵や肘が相手に当たったが、自分の意志ではどうすることもできない。

「シンさん、俺の腹蹴ったでしょ」

 暴れ狂う水流から解放されて、やっとの思いで立ち上がると、すぐそばで益田が脇腹を押さえて顔を歪めていた。

「す、すまん。わざとじゃ……ぶっ」

 気を取られた隙に、三発目の白波を食らってしまう。横からの直撃で踏ん張りが利かず、いとも簡単に水中に引きずり込まれた。激流にもみくちゃにされながら、抵抗しても無駄だと悟って、体の力を抜く。波に躍らされる自分は、どんな格好をしているのだろう。軟体動物のように、とんでもない体勢を取らされているのだろうか。ヤケクソの意識で、これはもう 「滝行」 というより 「波行」 だな、と思った。

 結局、大きな波は四発続いた。

 最後の白波が遠ざかるのを見て、真一たちはやっと緊張から解放された。大きな波は頻繁に来ないから、次の一群が来るまで、しばらく海上は落ち着くはず。

 沖合で、松浦が呆けた顔で突っ立っている。先ほどの西脇は三途の川を見てきたような顔をしていたが、焦点が定まらない松浦は、川を越えてしまった亡者のようだ。

「成仏!」

 岡崎がビシッと指さして、どっと笑いが上がる。松浦は、笑われていることにさえ気づいていない様子だった。

◇◇◇

 ちょうどそのとき、真帆がやって来た。

「ねえ、何してたの」

 浅瀬をじゃぶじゃぶ歩きながら訊いてくる。一連の行動を見ていたらしい。

「もう一回やってやる」

 西脇が険しい顔で叫び返した。技の開発者として 「滝行」 が失敗作だとは認めたくない。開発者には開発者の意地がある。真帆の到着を待たず、西脇は思い詰めたような表情で沖へ向かい出す。

 かなり深い所まで行って足を止めた。大きな波で技に挑戦するつもりだ。
 はじめに近づいてきた波を、ふわりとやり過ごす。小波は眼中にない。
 西脇がやり過ごした波を、真一も遅れて乗り越えた。
 すとんと砂底に足を着いたとき、ふと久寿彦の背中が目に留まった。

 久寿彦は食い入るように西脇を見つめている。誰にも増して、技が成功するかどうか気になるようだ。

 それにしても、何という無防備な背中……。

 真一は、ついイタズラ心をくすぐられてしまった。ちらっと隣を見る。

 何?、と目で訊いた真帆に、久寿彦の背中を指さし、押せ押せ、とジェスチャーで伝える。真帆は怪訝な様子で前を向く。刹那、吹き出しそうになったが、とっさに口を押さえ、もう一方の手で 「OK」 のサインを作ってよこしてきた。

 沖合に、夏の光を散りばめた波が見えた。

 徐々に角度をきつくしながら西脇の背後に迫ってきて、波の上部が風にざわつき始める。立ち位置を探していた西脇の足が止まったとき、益田と岡崎が危険を察知して浅瀬側に逃げ出した。

 久寿彦は、まだ前を向いている。

 ――行け。

 真帆に合図を送ると同時に、真一も海底の砂を蹴って走り出す。ぷぷっ、とうっかり真帆が漏らした笑い声に、久寿彦が振り返る。突進してくる二つの影を捉えた両目が驚きで見開かれたが、それでもまだ真一たちに分があった。久寿彦が状況を理解する前に、四本の腕が背中を突き飛ばした。

「どわっ」

 すぐに身を翻す。ヒット・アンド・アウェイだ。つんのめった久寿彦と一緒に波に巻かれたら元も子もない。

 砂浜側を向く直前、沖合で西脇が久寿彦を弔うように手を合わたのが見えた。

「滝行!」

 ドォーン、と重厚な波の倒壊音。

 久寿彦は成仏。西脇はどうか。
 だが、他人に構ってなどいられない。水の抵抗に抗って、目一杯手足を動かす。

 ドン、と背中に衝撃を感じた。白波に追いつかれた。転びかけた拍子に、激しい水流に体が持ち上がる。このまま海中に引きずり込まれてしまうのか――そう思った矢先、真帆が声を張り上げた。

「泳げーっ」

 反射的に腕を掻く。すると波の推進力を得て、ぐんぐん体が進み始める。バタ足を加えると、さらに加速する。前方の海面がどんどん迫ってくる。左右の景色が流れている。隣を見ると、ほかの仲間たちも白波の先端を泳いでいた。

 全員揃ってボディサーフィン。
 初めて味わうスピード感。泳ぎながら風を感じるなんて――

「最高ーっ」

 松浦が叫んだ。

 同感。最高に気持ちいい。サーフボードやボディボードなんてないのに、浮力のある乗り物に乗っているみたいだ。このままスピードに乗って、砂浜まで辿り着けそうな気がする。

 しかし、これがきっかけになって、バトルが勃発した。
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