第14話 罰ゲーム

文字数 2,319文字

「こうなったら罰ゲームでもやってもらうか」

 宇和島が意味深に口の端を吊り上げた。

「例えば、池に飛び込んでもらうとか」

 全員きょとんとして顔を見合わせる。池? 飛び込み?

 だが、龍神池のことだと気づくのに、時間はかからなかった。池には赤い反橋が架かっている。そこから飛び込めということだ。

 にわかに場が色めき立った。イエーイ、と誰かが叫んだのをきっかけに、異議なーし、賛成ー、と声が続き、仲間たちが続々と立ち上がる。ちょうど会話のネタも尽きて退屈していたところだった。粋なアイデアが降って湧いたとなれば、見逃す手はない。

「ふざけんな! お前も酔っぱらってんのか」
「何でそんなことしなきゃいけないんだよ」

 猛然と抗議する松浦と五所川原。しかし、場が勢いづいてしまった後では焼け石に水だ。誰もが刺激に飢えていた。マサオと三人のどちらが正しいかなんて、もはや大した問題ではない。重要なのは、面白いことができるかできないか、だ。

「俺はマジでだめ。カナヅチだから」

 仲間たちの勢いに気圧された川崎が、情けない顔で訴える。

 だが、これは嘘だった。

「は? 何言ってんだよ。去年、一緒にプール行っただろ」

 宇和島にあっけなく暴露されてしまう。

「あたしも見たよ。こいつ、平泳ぎもクロールもできるよ。それだけじゃなくて、飛び込み台からくるくる回ってた」

 大月さんもダメ押しした。言葉の後半は、なかなか興味深い。

「それから……」
「余計なこと言うな」

 まだ秘密があるようだったが、川崎に飛びかかられた。背後から口を塞がれ、くぐもった声を漏らしてじたばた暴れる。

 それを見ていた宇和島が、ポンと拳を打った。

「おお、あったあった。飛び込み専用プールの飛び込み台だろ? あの板がしなるやつ」
 図星、とばかりに人さし指を立てる大月さん。その手を激しく振り動かしながら、川崎の手の下でもごもご叫んでいる。たぶん、そうそう、と言っているのだろう。

 宇和島がみんなのほうを振り返った。

「確かに、こいつ、くるくる回ってたよ」
「な、何言ってるんだよ。で、できるわけないだろ。記憶違いだよ」

 この期に及んでしらを切ろうとする川崎。しかし、その挙動は、追い詰められた銀行強盗も同然だ。目は泳ぎ、言葉はつっかえ、見苦しさを通り越して哀れでさえある。

 ひるんでいる隙に、大月さんが逃げ出した。あっ、と伸ばした川崎の手は届かず、彼女は真一たちのほうに駆け寄って来て、益田の背後に身を隠した。暴れて息が上がったのだろう、益田のトレーナーをつかんで前屈みになると、髪の合間に紅潮した頬を覗かせて、薄いセーターに包まれた華奢な背中を波打たせていた。

 そこから先の川崎の言い訳は、箸にも棒にもかからないものばかりだった。

 曰く、「最近物忘れが激しくなって、泳ぎ方を忘れた」
 曰く、「池には未知なる危険生物が生息している」
 曰く、「塩素が入った水じゃないと体が浮かない」

 もう少しまともなことが言えないのだろうか。こんなにわかりやすい嘘では、小学生だって騙せやしない。はじめのうちこそ川崎の妄言に付き合ってやっていた宇和島も、途中で耐え切れなくなったのか、もういい、と手を払って仲間たちのほうを振り返った。

「みんなも見たいよな」
「おおーっ」

 津波のような声が返ってきた。「がんばれー」「何事もチャレンジだ」「お前ならできる」「骨は拾ってやるから」……。理不尽な声援にもみくちゃにされる川崎。呆然と立ち尽くす姿は、嵐に見舞われた一本木のように頼りない。今日いちばんツイてない男は、岩見沢ではなくて川崎だったかもしれない。

 だが、突然、やりゃあいいんだろ、と叫ぶと、パーカを脱いでシートに叩きつけた。

「イエーイッ!」

 野田が叫んで、大歓声が湧き上がる。拍手が広がり、空のペットボトルも打ち鳴らされる。燃え広がった炎を消し止めることは、もはや不可能だ。盛り上がる仲間たちの前で、川崎は苦々しげに首を振っていた。

 これで一人決定。

 ひとまず場が落ち着くと、仲間たちの矛先は次のターゲットへと向かう。やれ、誠意を見せろ、だの、潔くないぞ、だのと、もっともらしいセリフを並べ立てながら、ヒマを持て余した集団が松浦と五所川原を取り囲んでいく。

「飛ーび込めっ」

 宇和島が音頭を取り、二度目のコールで何人かが追唱した。

「飛ーび込めっ。飛ーび込めっ」

 すぐに大合唱になって、さらに手拍子も加わる。もはや、交渉の窓口は完全に閉ざされた。二人を阻む声の壁は、かつて彼らがマサオに対して張り巡らせていたものより、はるかに強固で突き崩すのが難しそうだ。

 五所川原がフリースを脱ぎ捨てた。案外あきらめの早い性格なのか、その顔に川崎のような煮え切らなさはなかった。トレーナーを脱いで、Tシャツまで脱ぐと、くしゃくしゃに丸めて頭上に放り上げる。

「イエーイッ!」

 上空で広がったTシャツを見上げて、益田が叫んだ。風にはためくTシャツがシートに落ちたのと同時に、五所川原コールが巻き起こった。五所川原はすでにやる気満々だ。叫べ叫べ、と両腕を掻き上げ周囲を煽り立てる。

「うおおぉーっ!」

 雄叫びと同時に拳を突き上げると、仲間たちが負けじと大きな歓声を返した。五所川原はもはや英雄同然の扱いだ。人垣を掻き分けてシートの外に飛び出すと、猿みたいに奇声を発しながら芝生の上を転げ回る。裸の上半身が細かい葉っぱに塗れていき、わけわかんねー、と仲間たちが笑う。

 ひとしきり暴れたのち、青空に向かって両腕を突き上げた。その顔は清々しく、すっかり吹っ切れていた。裸の勇姿に、誰もが惜しみない拍手を送った。第三広場を取り囲む山々に、その音と皆の声が木霊した。
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