第12話 桜革命

文字数 3,380文字

「お待たせー」

 そのとき、遊歩道のほうから女の子の声が舞い込んできた。仲間たちが一斉に声がしたほうを振り返る。桜並木の合間に、膨れ上がったレジ袋を持って歩く男女の姿。買い出しに行っていた宇和島と高萩さんが戻ってきたのだ。片手が空いた高萩さんが、ブルーシートに向かって手を振っている。

 わーっと明るい声がシートに広がった。昼食からだいぶ経って、みんな小腹が空き始めていた頃だった。

 第三広場は辺鄙な場所にあるようで、実はコンビニからあまり遠くない。第二広場の脇から山に穿たれた歩行者専用のトンネルを潜ると、大きな戸建住宅団地に抜けられる。公園の山際を通っている道を渡れば、すぐ目の前がコンビニだ。

 二人が到着すると、野田が立ち上がって高萩さんから袋を受け取った。後ろの仲間にそれを渡し、宇和島からも袋を受け取る。

「重たかったー」

 シートに上がった高萩さんが、全身で息を吐き出した。お疲れー、大変だったね、とねぎらいの声がかかる中、シートを進んでいき、大月さんの隣に腰を下ろす。顔を歪めて野田と話している宇和島は、大きな袋を持って坂を上ったので、短い距離でも堪えたのだろう。

◇◇◇

「お前はどうだ。俺がうぜぇか」

 マサオは川崎のほうにも顔を向けたが、川崎の態度は一貫している。将棋盤から目を離さず、五所川原と松浦の声にしか反応しない。

 その五所川原と松浦も酔っぱらいの扱いに慣れたようで、松浦はのんびりコーヒー牛乳を飲み、五所川原は飄然と顎をさすりながら次の一手を考えている。

 鉄のトライアングルは、簡単には崩れそうにない。
 マサオのイライラが募っていく。

◇◇◇

「はい、パンの人誰ぇー」

 レジ袋の近くに座っていた美汐が、「あんぱん」 と書かれたビニールの小袋を掲げた。ほかに何があるの、と訊かれると袋の中を覗き込んで、ジャムパン、クリームパン、白あんぱん、と品名を読み上げていく。が、途中でみんなに見てもらったほうがいいと気づいたらしく、袋を人の輪の中心に押しやって中身を空けた。

「ほんとに甘いものしかないな……」

 パンの山を見下ろしながら、西脇が不満そうに言った。西脇は辛党だ。将来、雑貨屋を開くことが彼の夢だが、経営が危うくなった場合、カレー屋との兼業で生き延びたいと語っていた。公園下のレストランで働いているのは、飲食店の仕事を学ぶため。

 そんな彼は、チョココロネを選んだ。

「それがいちばん甘いだろっ」

 間髪容れず、仲間たちがツッコむ。

 高萩さんによれば、コンビニの棚には、ほとんど菓子パンしか残っていなかったらしい。おにぎりもほぼ売り切れだった。花見の時期だから、弁当と一緒におにぎりや惣菜パンを買っていく客が多かったのでは、というのが彼女の推測。

「じゃあ、それにするよ」

 西脇は拗ねたように、うぐいすパンを指さした。

「渋すぎるだろっ」

 仲間たちが再びツッコむ。

◇◇◇

「おい、いいかげん、こっち向いたらどうだ」

 マサオの声は、一段と凄味を増していた。川崎たちの態度に変化がないとわかると、しゃがんでカニの横歩きよろしく、三人の周りをうろつき始める。火の玉みたいな赤ら顔が、三人の背後で浮き沈みを繰り返していたが、やがて松浦と五所川原の間でぴたりと静止した。左右に行き来する目が、どっちに取り憑いてやろうかと決めかねている。

 そのとき、川崎が冗談を言った。はっきり言って面白くなかった。普段なら、ブーイングが出るところだ。

 ところが、五所川原は笑った。大声でゲラゲラと。松浦もシートを叩きながら、大げさに笑う。言った本人の川崎まで笑っていた。

 高々と響き渡る笑い声の前で、マサオの孤立ぶりがくっきり浮かび上がる。

 もうマサオを繋ぎ止めるものは何もなかった。

 彼はついにブチ切れた。

「男と男が分かり合うために会話はいらねえ! 黙って酒を酌み交わすだけで十分だ!」

 四つん這いになって、三人の中心に突進する。

「うおおおーっ」

 一瞬で場を占領すると、両手で将棋の駒をひっつかみ、わめきながら四方八方に投げつける。鬼はー外ー、福はー内ー、と五所川原にセリフをつけられるも、怒りでいっぱいの耳には届かない。脳天で将棋盤を叩き割り、蝶番が外れた板を力いっぱいシートの外に放り投げる。二枚の板がそれぞれ大きな弧を描いて飛んでいった。再び四つん這いになって、プロペラのごとく両腕を振り回す。指先に当たった紙コップが中身をぶちまけながら吹っ飛び、うおっ、と松浦が間一髪、横っ飛びでかわした。立ち上がったマサオは、コーヒー牛乳の紙パックを踏んづけて爆竹みたいな音を轟かせ、それを号砲に、お茶のペットボトルを蹴り上げ、紙皿を引きちぎり、割り箸をへし折って、シートに落ちた食べ物と一緒に所構わず投げつける。やったれー、やったれー、と並んで冷やかす川崎と五所川原には目もくれず、パーティー開けした袋に山型を保っていたスナック菓子にニードロップを食らわせ、交互に膝を動かして粉々に砕く。それでも飽き足らず、菓子の上に仰向けになって、駄々をこねる子供のように身悶えながら、背中でさらに細かくすり潰す。両足もバタつかせ、当たる物があったら何でも蹴飛ばしてやろうとしている。ハチャメチャのやりたい放題。シートの上はひっちゃかめっちゃか。興奮したイノシシが民家に突入した図のごとき凄まじい暴れっぷりだ。これがドリフのコントなら、締めのあの曲が流れているだろう。

「死にさらせーっ」

 野獣と化したマサオは、菓子くずまみれの体で川崎に体当たりにいった。マサオが物に当たるとばかり思い込んでいた川崎は、脇腹に頭突きの直撃をもらって、激しくシートに倒れ込む。うめき声を上げて、起き上がることができない。

 宿敵川崎をやっつけたマサオは、今度は松浦に突進していった。だが、同じ手は通じず、松浦はマサオの頭をがっちり受け止め、背後に回って腕を取る。

「もう一本も押さえろ」
「よっしゃ」

 五所川原が、すかさずもう一本の腕も封じ込めた。

「くそったれ、放せ」

 両脇を固められたマサオは、抵抗することができない。

 二人は罪人を引っ立てるように、誰もいないシートの中央へと歩き出す。
 なす術もなく引きずられていくマサオ。わめこうが、もがこうが、二人の足は止まらない。

 松浦と五所川原が、どちらからともなく目を合わせた。
 二人はニヤリと笑う。

◇◇◇

「革命ーっ!」

 耳をつんざく絶叫とともに、四枚のカードがシートに叩きつけられた。

 真一たちの上空をふわりと柔らかい風が吹き抜け、絵柄の揃ったカードの上に、薄紅色の花びらを点々と散らしていく。

 捨てられたのはジャック四枚。

 引っ込められた手を目で追うと、益田の会心の笑顔と出くわした。してやったり、と顔に書いてある。右隣では、「大富豪」 西脇がムンクの叫びのごとく頭を抱え、左隣では、頭上に紙コップを放り上げた岩見沢がバンザイのポーズをとっている。

 ぽとり、とシートに紙コップが落ちた。

「うおっしゃああーっ!」

 岩見沢は両腕を振り下ろして、渾身のガッツポーズを決める。

 この瞬間をどんなに待ちわびたことか。長く抑圧された時代は終わり、今、世に光がもたらされたのだ。

 西脇が力なくカードを手放す。ダイヤとクローバーの2がへなへなとシートに落ちた。本来最強のカードも、今や紙くず同然だ。

「メ、メシアだ……」

 おずおずと岩見沢が益田にすり寄る。奇跡を目撃したかのような顔でその手を取った。

「お前はメシアだーっ」

 四月の青空に、歓喜の叫び声が吸い込まれいく。これで寺に祈祷を頼む必要もなくなった。

「まあ、飲め。二人で新時代の幕開けを祝おう」

 シートに落ちていた紙コップを拾い上げると、ぬるくなったビールを注いで益田に握らせようとする。

「お、おい。これからバイトなんだよ」

 困惑して身を引く益田。しかし、岩見沢はお構いなしに肩を組む。

「革命バンザーイ。救世主益田バンザーイ」

 岩見沢が盛り上がる一方、益田は紙コップを押し返そうと必死だ。

 ――おいおい、それじゃあマサオと一緒だろ。

 思わず苦笑いした真一だったが、

 マサオ。

 はたと気づいた。

 そういや、マサオと松浦たちはどうしているだろう。トランプに夢中になって、すっかり頭から抜け落ちていた。

 振り返って、四人の様子を確かめようとする――
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