第10話
文字数 1,045文字
僕は中学に入ると迷わずサッカー部に入った。漫画やテレビでサッカーは大人気で僕もどハマりした一人だった。僕の周りには野球少年よりサッカー少年のほうが圧倒的に多かった。団体競技ではあるが個人技がものをいうスポーツで一人でコツコツ練習できることが自分には合っているような気がしていた。もちろんサトルもサッカー部だ。幼馴染の僕たちは二人の友情をサッカーを通して深めていった。
僕たちの通う中学のサッカー部は弱小チームだった。部員数は多かったが、コーチがいるわけではなく顧問も名ばかりのクラブだった。弱いにもかかわらず、生徒だけに練習を任せていて、ただ上下関係が厳しいだけのクラブになってしまっていた。
三年生がオリジナルの練習メニューを決めて年間のスケジュールをたてる。三年生が夏に引退するまで、そのオリジナルなやり方がクラブの練習のすべてとなる。この悪しき習慣が不満で辞めていく部員を何人も見てきた。自分たちの学年では、いじめのような練習メニューを作らず、仲のいいクラブを目指すーーと一年生の時は思うのだが、いざ、二年生にあがると自分たちが理不尽な練習に耐えてきた、その矛先はやはり下級生に向き、なかなか悪しき習慣が改善されないのが現状だった。
でも健太とサトルは、その負の連鎖にうんざりしていた。僕らで必ず変えようとかたく約束をしていた。
そんな一年生の夏休みに事件はおきた。
三年生が引退し二年生が主軸になったとたん、以前から態度が気に入らないと言いがかりをつけられ、一年生のハルトが追加メニューを課せられ、真面目に従ったハルトは練習中に倒れた。意識不明のまま救急車で運ばれたが、運良く一命はとりとめた。だが熱中症の後遺症が残り回復には約一ヶ月もの入院を余儀なくされた。顧問は責任をとらされ、サッカー部もいったん活動停止の処分を受けた。二年生の先輩は注意を受けたが、自分らは悪くない、顧問の責任だと責任転嫁で難を逃れたかたちだ。
僕らは納得がいかなかった。だから活動停止期間中に僕らは行動を起こした。今までの悪しき習慣を他の先生たちを巻き込んで問題にしたのだ。サッカー部の問題は校内では大きな問題となった。他の部も例外ではないと保護者の声もあがりPTAも動いた。
僕らのやり方が正しかったのかどうかはわからないが、他の部にも調査が入り、同じような問題点が浮き彫りになった部もあった。
その後、様々な話し合いの結果、新たに専門のコーチがつくことになり、新生サッカー部として一ヶ月後に発足した。
僕たちの通う中学のサッカー部は弱小チームだった。部員数は多かったが、コーチがいるわけではなく顧問も名ばかりのクラブだった。弱いにもかかわらず、生徒だけに練習を任せていて、ただ上下関係が厳しいだけのクラブになってしまっていた。
三年生がオリジナルの練習メニューを決めて年間のスケジュールをたてる。三年生が夏に引退するまで、そのオリジナルなやり方がクラブの練習のすべてとなる。この悪しき習慣が不満で辞めていく部員を何人も見てきた。自分たちの学年では、いじめのような練習メニューを作らず、仲のいいクラブを目指すーーと一年生の時は思うのだが、いざ、二年生にあがると自分たちが理不尽な練習に耐えてきた、その矛先はやはり下級生に向き、なかなか悪しき習慣が改善されないのが現状だった。
でも健太とサトルは、その負の連鎖にうんざりしていた。僕らで必ず変えようとかたく約束をしていた。
そんな一年生の夏休みに事件はおきた。
三年生が引退し二年生が主軸になったとたん、以前から態度が気に入らないと言いがかりをつけられ、一年生のハルトが追加メニューを課せられ、真面目に従ったハルトは練習中に倒れた。意識不明のまま救急車で運ばれたが、運良く一命はとりとめた。だが熱中症の後遺症が残り回復には約一ヶ月もの入院を余儀なくされた。顧問は責任をとらされ、サッカー部もいったん活動停止の処分を受けた。二年生の先輩は注意を受けたが、自分らは悪くない、顧問の責任だと責任転嫁で難を逃れたかたちだ。
僕らは納得がいかなかった。だから活動停止期間中に僕らは行動を起こした。今までの悪しき習慣を他の先生たちを巻き込んで問題にしたのだ。サッカー部の問題は校内では大きな問題となった。他の部も例外ではないと保護者の声もあがりPTAも動いた。
僕らのやり方が正しかったのかどうかはわからないが、他の部にも調査が入り、同じような問題点が浮き彫りになった部もあった。
その後、様々な話し合いの結果、新たに専門のコーチがつくことになり、新生サッカー部として一ヶ月後に発足した。