第22話

文字数 2,709文字

「ヤバい! もうすぐ火の手が上がる。早く逃げよう。この病院から脱出するんだ!」
 清武に手を引かれながら扉へと向かう。
「私は大丈夫だから、あなたは先に逃げて。さっきみたいに変身すれば一発でしょう?」
 しかし清武はその手を離さなかった。
「変身したいのは山々だが、そうは問屋が卸さないんだな、これが。一度人間の姿に戻ったら、五分以上インターバルを取らないと、再び鳩にはなれないんだ。困った体質だよ、全く」
 清武は本気とも冗談とも取れる発言をすると、階段を降りてエレベーターに走る。既に炎が回っており、時折爆発音が響いた。来る途中で見かけた黒い箱が発火したに違いなかった。あの時調べていればと後悔せざるを得ない。火災を知らせる警報が鳴り響き、エレベーターの前に着くと、下りのボタンを押す。
「駄目よ。全く作動しないわ」
 エレベーターは完全に沈黙しており、どうやら警報と連動して停止するシステムになっているようだった。
「戻ろう。階段を使うしかない」
 清武の後に付きながら、階段を駆け下りていく。再び爆発音が聞こえると、もくもくと煙が立ち込めて、激しい熱が伝わってきた。
 一階に到着して口をハンカチで覆いながらロビーに出ると、そこは既に火の海と化していた。天井にはスプリンクラーが見えたが、何故だか作動する様子はない。きっと美奈代たちの手によって壊されたに違いない。
 清武はマントで口を押さえながら咳を繰り返している。そこには正面玄関があったが、鍵が掛けられていると清武が発したので、そのまま走り抜ける。体が燃えるような熱気に包まれた。
 廊下の先に裏口の扉が見え、足に思わず力が入った。しかしそこへ向かう途中で、壁際の食器棚が倒れてきた。
「危ない!!」
 ギリギリのところでかえでを突き飛ばした清武は、代わりに足を挟まれた。
「うっ!」唇を噛みしめながら苦悶の声が響き渡る。かえではすぐに棚を持ち上げ、ようやく抜け出すことに成功するが、清武は苦痛に顔を歪めながら左足を引きずっていた。
「ありがとう。庇ってくれて。痛むでしょう。ちゃんと歩ける?」
「これくらい平気さ。何せ無敵のヴァンパイアだからね」
 その割には辛そうな顔をしている。やせ我慢であることは一目瞭然だが、かえでは敢えて黙り込む。
 互いに庇い合いながら裏口までたどり着くと、かえではノブを触った途端、反射的に手をひっこめた。炎のせいで焼けていたのだ。清武はマントで手を覆いながら熱を帯びたノブを捻ると、ようやく病院からの脱出に成功した。
 
 中庭に出て振り向くと、建物全体が炎に包まれている。あと少し遅ければ二人とも危なかっただろう。
 茫然と見つめるかえでは、雪の中で燃え上がる病棟に思いを巡らす。美奈代としのぶはどんな思いで命を絶ったのだろうか。
 復讐を完了して、達成感に満ち溢れていたのかもしれない。それとも――。
 清武は左足をさすりながら激痛の色をさらに濃くしている。よくみればスラックスの上から血が滲んでいるのが確認できた。
「ごめんなさい。私が油断したばっかりに」
「なんてことないさ。それより早く警察に知らせないと」
 依然として無理をしているように映る清武を気遣いながら、二人は駐車場へ向かう。山を下って民家に駆けこもうと思い車に近づくと、すぐに異変に気が付いた。
「タイヤがパンクしている!?」かえではへなへなになったタイヤを調べてみると、四輪ともナイフのような切り傷が確認できた。「まさか、あの時に?」
 それはかえでが清武を探しに正面にまわった時のことだ。額を押さえる清武と合流して裏口に戻ろうとした時に、駐車場から人の気配がしたことを思い出した。今思えば、きっとあの時にタイヤを切りつけられたのだろう。勝手に通報されないように大迫の指示で典江が動いたに違いない。
「クソ! なんてことだ」
 その場でへたり込み頭を抱える清武。かえでは思わずボンネットにリュックをガツンと振り下ろし、清武の横に座り込んだ。
 こうなったら歩くしかない。大迫は一番近い民家でも車で十分は掛かると言っていた。徒歩で行けば、いったいどれだけの時間がかかるのだろう。それにそこまで歩くほどの気力も体力も残ってはいない。
「しまった!」清武は素っ頓狂な声を挙げた。
「どうしたの?」
「血液製剤を忘れた。せっかく目をつけていたのに……」
 かえでにちらりと目を向けてくるが、吸われてたまるものかと思わず首元を隠した。
 スマホを見る気も失せ、正確な時間は判らないが、五時を回っているのは確かである。交代は八時に来ると言っていたから、あと三時間あまり待っていれば誰かが来るだろうから、それを待つしかない。
 そこで妙案を思いつく。
「……あなた、今なら変身できるでしょう? もう五分以上経ったわ。さっきみたいに鳩になって助けを呼んでくれない? お願いよ」
 すると向き直った清武は思いがけない言葉を出した。
「悪くないアイデアだ。だが夜間は鳥目で視界が利かないのを忘れたのか。それにもうそんな体力なんてないさ。どうしてもと言うのであれば……」
 清武は牙を抜き出しにしながらかえでに迫る。
「駄目だって言ったでしょう? あなたに噛みつかれるくらいなら、死んだ方がマシよ……そうだ、美奈代さんの死体に噛みついたらどう? きっとバージンでしょうから、さぞや美味しいでしょうね。ここからは見えないけれど、向こうの方に倒れているはずよ。今ならまだ、火の手は来ていないようだから」
 かえでは病棟の右手を指さして清武を促した。
「妙案とは言い難いな。いくら目立たないとはいえ、噛み後は残る。警察が調べれば、俺も容疑者として浮上するかもしれない。捕まるようなヘマはしないが、今後いろいろとやりづらくなるのは目に見えている」
 燃え盛る炎を前に胡坐をかきながら、どんと腰を据えた。
「こうなったら交代の看護師が来るか、誰かが通報するまでここにいる覚悟よ。あなたもそうしなさいよ」
 両手を前に出して拒み続ける。すると清武は左足を庇いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「だったら俺一人で逃げるまでだ。ビギナーとはいえこれ以上ハンターを助ける訳にはいかない。本来であれば正体を知られたからには仲間になってもらうか、生かしておくわけにはいかない。だが、今回だけは見逃してやる。あとはお前の好きにしろ」
 かえでを見下ろしながら鳩に姿を変えて弱々しく飛び立つと、右や左にフラフラしながら西の闇に消えていった。彼のいた場所には小さな血だまりが出来ていて、このままどこかへ墜落するのではないかと危惧するが、片や自分を置いて逃走したヴァンパイアに嫌悪の身震いを感じた。
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