第19話

文字数 1,497文字

 ノックをするがまたも返事が来ない。
 ゆっくりとドアを引くと明かりが灯っていた。嗅ぎ慣れた血の匂いが鼻の奥を刺激すると、不吉な予感が止まらなかった。
「まさか、こんな事って……」
 絶句したかえでは、気絶しそうになるのをなんとか堪えながら清武の腕に抱き着いた。
 床の上には酒井典江がうつ伏せで倒れている。後頭部から床にかけて血の海が広がり、後ろからの一撃で絶命したのは火を見るよりも明らかだった。
 遺体の傍らには血液の付着した置時計があり、それが凶器であることに間違いはないと思われる。今夜だけで四人が死んだことになる計算だ。
 その時計は見覚えがあり、大迫のいた宿直室の置時計であることが思い出された。文字盤が割れ、二時四十六分で止まっており、大迫が死亡する少し前だと思われる。
「まさか、こんなことになるなんてな」かえでの言葉を繰り返しながら、まぶたを閉じる清武。
「きっと大迫先生がやったのよ! 共犯である彼女を黙らせるために!」
 恐怖のあまり顔を強張らせながら、決めつける様に叫んだ。まるですべての悪の元凶が大迫にあるかのごとく、かえでの荒んだ胸は波打つ脈動を抑えられない。
 だが、清武の見解は違った。彼の言うには大迫が先に死亡してから、次に典江が襲われたのだと断定した。死体の状態から死亡時間を割り出したに違いない。
「典江さんは今から一時間ほど前に息を引き取っている。大迫先生の三十分も後だ。だとすれば置時計の針は犯人が細工したものと考えられるし、先生の自殺の可能性も見直さなければならない」
「どういう意味? 先生も誰かに殺されたかもしれないってことなの?」
 そうだと答えた清武はしばらく黙ってこう返事をした。「その可能性は大いにある。もう一度先生の死体を調べてくるからちょっと待っててくれ」
 そう言って清武は大迫の元に向かった。これ以上死体の傍にいるのは耐え難く、かえではナースステーションで待つことにする。
 五分も経たずに戻って来ると、清武はしてやったりといった感じで親指を立てた。
「思った通りだ。先生には動かされた跡があった。あそこで死んだわけじゃなかったんだ。岡崎と香川を死に追いやったのは彼に間違いはない。それを知った犯人は先生にヒ素を呑ませて殺害した後で宿直室へと運び入れた。そして置時計を奪い、彼の犯行に見せかけるためにそれを使って典江さんを撲殺したのだろう。針を調整してな。だとすれば犯人は病院内にいる誰かだ!」

 まずは長谷部美奈代のことが気になり、202号室を目指す。
 彼女が犯人だとはとても思えないが、襲われるかもしれないという危険を察知したからである。
 明かりは灯っておらず、扉を開けるも誰もいない。まだ散歩から帰っていないのだろうかと少し不安になったが、長友しのぶが一緒なのだからそれほど心配する事は無いだろうと、次に四つ隣の206号室を覗いてみる。
 同じく電気はついていなかったが、静かに中へと足を踏み入れると、三浦秀子はベッドの上で首から血を流していた。刃物のような物で切り裂かれているのが判る。目がくらみそうになったかえでは、五つ目の死体をまともに見ることは出来なかった。いくら清武がヴァンパイアだとしても、彼の仕業ならばここまで凄惨な状況にはならないだろう。

 それから各病室を廻ってみるも人の気配は無く、誰かが隠れている様子も見られなかった。
 三階に上がる前に清武は立ち止まった。尿意を催したらしく「俺もお花畑に行ってこようかな」と、からかいを見せながら男子トイレへと足を向けた。重い雰囲気を変えるためのジョークだと判っていても、決して気分が優れたとは言えない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み