第21話

文字数 3,787文字

 病院内へと戻り、すぐさま廊下を走る。
 途中の至る所にさっきと同じ様な箱が視界に入ったが、調べる余裕など無かった。 
 エレベーターを降りて三階に着くと、階段を駆け上り屋上の扉を開く。
 降りしきる雪の向こうに二人の姿があった。屋上をほんのり照らす黄色いランプの下の、白いさび付いた手すりの前で、まるでかえでたちを待ち構えていたかのように柔らかな表情を浮かべている。長友しのぶの手には血の付いたナイフが握られていた。よく見ると岡崎殺しに使用された果物ナイフではなく、手術用のメスであることが確認できた。
「……来ると思っていたわ。あなたたちにはとっくに真相が判っているんでしょう?」長谷部美奈代は物々しく口を開くと、右手で髪をかき上げてゆっくりとまばたきをした。同調するようにしのぶも軽く顎をさすっている。
 もちろんよと言いかけたが、すぐに口を閉ざす。状況を理解できずにいたからだ。
 清武は二人の前に歩み出ると、勢いよく声を張り上げた。
「ああ、君は下半身不随なんかじゃない。車いすはフェイクなんだろう?」
 その叫び声に美奈代は膝の毛布をしのぶに預け、車いすからスローモーションのようにゆっくりと立ち上がった。凛々しいまでの佇まいで、かえでは気おされる程のオーラを感じ、必死で平然を装う。
「……大迫先生は殺してはいけない人を殺(あや)めてしまった。典江さんも同罪よ。決して許すわけにはいかないわ」
 「もしかして岡崎さんは君の祖父だったんじゃないかな? だから君はこの病院に転院してきた。違うかな?」
 美奈代は否定とも肯定とも取れる笑顔を見せると、雪の降り続く空を見上げた。恍惚とした仕草で両手をいっぱいに広げると、頬に光るものが見えた。それを見たしのぶは深呼吸をしてみせると、一歩前に踏み出して、美奈代の横に並ぶ。
「……あなたのおっしゃる通り、この子は岡崎さんのお孫さんです。最初からお話しさせてもらいますと、美奈代さんが交通事故で市内の病院に運ばれてきた時、私も同じ病院に勤務していたんです」
 すると話を続けようとするしのぶを制して今度は美奈代が口を開く。
「その時、下半身がマヒしていたのは本当です。でも実際は事故では無くて、自殺しようとして自らトラックに飛び込みました。失恋のショックでね。病院で目覚めた時には悔しくて眠れなかったわ。その後も自殺未遂を繰り返しては、しのぶさんに助けられました。肉体的にも精神的にも懸命に支えてくれる彼女に、看護師と患者という垣根を越えた友情が芽生え始めたのもこのころです。彼女がいなければとっくにあの世に行っていたでしょうね」
 それからまた髪をかき上げると、肩に積もる雪を振り払おうともせずに話を続けた。
「おじいさまがこの病院で治療をしているのは知っていました。老い先長くはないことも――私が小学生だったころはよく遊びに連れて行ってくれたわ。共働きの忙しい両親の代わりにね。遊園地でメリーゴ-ランドに乗せてくれたり、近くの川に魚釣りに行ったり、夏は山でキャンプしたこともあったわね」
 遠い目の美奈代はこぶしをギュッと握りしめている。今度はしのぶが告白を述べた。
「しばらくして家庭の都合で病院を辞めることになってここに来ました。そこに岡崎さんが入院していたのはたまたまですが、私は運命を感じました。これは偶然じゃなくて必然なんだと。それからすぐに美奈代さんに連絡すると、彼女のために転院の手続きをしました。もちろん彼女の両親には本当のことを告げずに、こちらの方がリハビリに向いていると説得をして。もちろんそれも理由の一つでした。結果として徐々に足が動くようになっていったのですから」それからまだマヒが治っていないふりをしたと付け加えた。何のためにと訊いても返事は来なかった。
 寒さに震えながら、かえでは美奈代に目を向けると、ハンカチで涙をぬぐう仕草に戸惑いを憶えずにはいられなかった。いくら壮絶な過去があろうとも、可憐で大人しく見える彼女が、あんな大それた殺人を犯すなんてとても信じられない。
「復讐のために? そんな事をして天国のお爺さんが喜ぶと思っているの? あなたは彼の分まで幸せにならなければならないのよ」
「そんなお説教は聞きたくない! もう遅いのよ。全ては今夜で終わらせる」
 そういって車いすのサイドポケットからリモコンらしき物を取り出す。 
「これは着火装置よ。スイッチを入れれば五分で建物全体が炎に包まれるわ。今すぐ逃げなさい。あなたたちを巻き込みたくはないの」
 向けられた装置にはデジタルでタイマーが表示されている。画面にはカウントが示されていた。幸いなことに数字はまだ止まったままである。
「バカな真似は止めて。そんな愚かな事をしてもあなたたちは報われないわ。自分たちの復讐に病院全体を巻き込まないで」
「あら? そんなのどうだって良いのよ。これは以前から計画していたことなのよ。おじいさまが殺される前からね。当初のプランではおじいさまが死んだら実行に移すつもりだったけれど、まさか殺されるとは思わなかった。でもラッキーだと思いなさい。ほとんどの患者は帰省中だから、被害は最小限に済むわ」
 微笑みを浮かべながら、決意の色は輝きを増しているように見えた。
「最後に訊かせてくれ、君たちが大迫先生の遺体をトイレから車椅子で運んだことは知っている。だが、どうやって大迫先生にヒ素を呑ませたかが判らない」
 するとしのぶの口が開きかけたが、美奈代は自分で打ち明けるといったふうで手の平を口の前にかざして彼女を制した。
「私が前の病院で自殺を繰り返したといったでしょう? 実はヒ素も使った事があったの。その時に耐性が付いたのね。少しくらいなら口に含んでも平気になったわ」
「まさか大迫先生を誘惑したの?」かえでは恐怖のあまり足が震え、リュックがずり落ちそうになった。
「男の人ってみんなスケベだからとても簡単だった。足が動くようになったとしのぶさんから伝えてもらうと先生はすぐに飛んできて、立ち上がって見せた。そして首に手を回しながら慰めて欲しいと言っただけよ。少しその気を見せただけで、面白いように向こうから誘ってきたわ。私に任せなさいって。疑いもせずにずけずけとベッドに入ってきて、こっそりとヒ素を口に含ませながら口づけをしたわ――後は想像通りよ。慌てて部屋を飛び出したと思ったら、トイレで死んでいた。あなたの言う通り車いすを使って二人で宿直室まで運んだのよ。もちろん典江さんも犠牲になってもらったわ。二人が共犯であることはすぐに判ったんですもの。あなたたちに教えてあげても良かったんだけど、天罰は自分たちの手で下したかったからね」
 そこで清武が悲痛の声を挙げた。
「だからって、森本さんたちを巻き込まなくても良かったじゃないか」
 その言葉にかえでも続く。
「そうよ。あの二人が何をしたっていうの? 無実の人たちを巻き込んでおいて、何が復讐よ。これではテロと変わりないわ」
 悲痛の声はやがて絶望の叫びとなり、かえでの嘆きが屋上にこだました。テロという言葉に顔を歪ませるも、美奈代は力強く反論を述べる。
「あなたたちは知らないかもしれないけれど、他の患者が帰省しているのに、あの二人がどうして病院に残ったのか知ってるのかしら? 彼らも共犯なのよ。どうやって知り得たのか判らないけれど、大迫先生の闇治験の事を嗅ぎつけていたらしく、分け前を貰うために留まっていたってワケ。もし帰省している間に勝手に実験されていたら、強請(ゆす)れないでしょう?」だからあの時、森本たちは大迫先生から岡崎の説明を受けたがっていたに他ならない。
 全てを告白し終えた長谷部は、遂にボタンへと手をかけた。向けられたデジタル表示はカウントダウンが始まっていて、かえでと清武がそれを確認すると、屋上から手すり越しに投げ捨てられた。再び車いすに腰を沈め、しのぶは肩に毛布を掛ける。
「なんてことだ!」
 清武はスイッチの捨てられた方向へすぐさま走り出した。手すりを飛び越えて姿が見えなくなったかと思うと、程なくして一羽の鳩がスイッチを足で掴んだまま舞いこんできた。かえでの前に降り立つと、スイッチを床に置いて清武の姿に戻った。
 美奈代としのぶはさすがに狼狽えたが、すぐに状況を理解したようで、
「……噂には聞いていたけど、本当にヴァンパイアがいたとはね。最後に面白い手品が見られて良かった――最高のフィナーレだわ」
 驚愕の色を浮かべる二人を尻目に、かえではスイッチを押すが、ひび割れた画面のタイマーはカウントを止める様子を見せないでいる。
「無駄よ。もう誰にも止められないわ。だから言ったでしょう? さっさと逃げなさいと」
 それから茶色の小瓶を出すと、しのぶはメスを投げ捨て、ふたを開けながらひと口含んだ。音もなく倒れると、口から血を流しているのが目の裏に焼き付いてかえでは肩を震わせた。
 それを見届けながら、今度は美奈代が立ち上がって、そっとまぶたを閉じて体を震わせた。心なしか『さようなら』という悲しい呟きが聞こえてきたような気がしたが、既に時は遅かった。その顔は血色を失い、振り向くと手すりを乗り越えて夜空に舞った。
 慌てて近寄り、手すり越しに地面を見下ろすと、悲しい屍だけが夜の海に沈んでいた。
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