第11話

文字数 3,530文字

 廊下に出るなり清武の怒号が飛ぶ。
「どうして今まで不審死のことを黙っていたんだ! あれは本当なのか。もっと早く知っていれば大迫先生に確認できたのに」
 怒りに任せながら荒れ狂う清武に、かえでは詫びの言葉を入れた。
「ごめんなさい。今回の件には関係ないと思っていたから。だってそうでしょう? みんな心臓発作なのよ。誰かさんに殺されたのであれば話は別ですけど」
 かえでの探りにシカトを決めた様子で、清武は不審死についてせっついてきた。
「もっと詳しく聞かせてくれ。その情報はどこから仕入れた奴なんだ」
 観念したかえではありのままを語り出す。
「ネットにあったのよ。ハンター専門のサイトにね。そこの情報によると、この病院では一年間で三件もの不審死が続いているんですって。さっきも言った通り、いずれも心臓発作として診断されているらしいけれど、ハンターたちの間ではやはりヴァンパイアの仕業だとの見解が多数を占めているわ」
「だからここにやってきたと。なるほど、それで納得がいくよ。君のようなガサツで男勝りな新米ハンターがこんな深夜に山奥の病院を訪れるなんておかしいと思っていたんだ」
 わざとらしく手のひらをポンと叩く。明らかにかえでを馬鹿にした仕草であった。しかし清武は反撃を受けることとなる。
「じゃあ、あなたはどうしてここに来たのかしら。さっきからはぐらかしてばかりいるけれど、そろそろ正体を明かしなさいよ。話せば楽になるわよ」
 動揺を見せる清武は見るからに平常心では無かった。不審な顔を向けると、それ以上何も言わなくなった。
「どう思う? 香川さんについて」
 沈黙に耐えきれなくなったかえでは、話を逸らすかのごとく疑問を投げかける。清武は何とも言えないといって推理を放棄するかのように欠伸を出した。さっきまで狼狽していたのに変わり身の早いやつだと呆れるほかはない。
 頭を整理したいと清武は一階のロビーに足を向ける。かえではお花畑に行くと一人で進路を変えようとした。
「お花畑ってこんな時間にか? いい気なものだな。殺人犯がいるかもしれないのに」
「トイレのことよ。お嬢様は下品な言葉遣いはしないものなの。まさか生理現象を我慢しろとでもいうワケ?」
 それくらい察してよとばかりに首を背ける。清武にしてみればそんなの判るワケないだろうと呆れ顔であった。
「お嬢様はこんな夜更けに病院に忍び込んだりはしない。それにトイレが下品な言葉とは知らなかった。大なのか? 小なのか?」
「言う訳ないでしょう! レディに対して失礼よ」
 そう言ったかえでは、ロビーで待っててと言葉を残して、トイレのある角を曲がっていく。
 彼女を追いかける黒い影が忍び寄っていることを、かえではまだ知らなかった……。

 取り残された清武は一人でゆっくりと階段を降りて、一階の開けたロビーで並んだプラスチックの椅子に腰かけた。
 間接照明の案内灯だけが清武を照らし、非常口を知らせる緑のランプがやけに目に付いた。誰もいない静まり返ったロビーは孤独をより一層感じさせる。時たま聞こえる犬の遠吠え。もしかしたらオオカミかもしれない。この山麓の鬱蒼とした森の中のひっそりとした建物は、絶滅したと思われる希少動物すら実在するように感じられた。
 ふと、カウンターに並んだ百合の花が視界に入った。おそらくは見舞い客が持ってきたものかもしれないが、不意に何かで読んだ文面を思い出した。最近はお見舞いにお花はNGだと。花粉アレルギーや、意外と手間がかかる事が理由のようだが、何だか味気ない気がして視界から退けた。
 岡崎の病室の血の匂いを思い出すと、思わずにやけずにはいられない。「この俺がヴァンパイア? あのかえでという女はなかなか鋭い事を言うな」そう呟くと、それ以降、口を閉じて開きはしない。まるで孤独を楽しむかのごとく空想の世界に入っていった。
 岡崎が誰かに殺されたのは間違いない。アリバイは皆、あってないようなものだ。患者たちは全員自室にいたとあるが、果たして本当かどうか疑わしい。唯一、長谷部美奈代だけが車いすがないと移動できないようであるが、それとて一人でも可能なのかもしれない。階段だってエレベーターを使えば問題はなく、岡崎だって油断したに違いない。だが本当にそれがあり得ただろうか。もし彼女が犯人だとすれば知恵の輪の問題がある。あれは森本啓介の所有物であり、意図的に盗むのは困難だろう。犯人像からは最も遠いと思わざるを得ない。
 やはり森本なのだろうか。しかし彼は片腕だ。大迫医師は彼を左利きだと証言していたが、もしそうだとしてもあんな小型の、しかも決して切れ味が良いとは言えない果物ナイフで犯行に及べるものだろうか。
 206号室の三浦秀子は岡崎のせいで夫がリストラにあったらしいが、動機としては弱いと言えよう。それなりの恨みがあるかもしれないが、果たして他人に罪を擦り付けてまで殺人を犯すとは到底思えない。
 やはり現時点で最も疑わしいのは、うつ病の香川である。偏見かもしれないが、発作的に人を殺めてもおかしくはない。現に何度も暴力沙汰を起こしているのである。さっきは平然とした顔をしていたが、いつ豹変しても不自然とは言えないだろう。知恵の輪を持っていたのも偶然で、何かの拍子にポケットに入れたのかもしれないし、本人に記憶が無いだけで、こっそりと持って行った可能性だって大いにある。森本のせいにする気は全然なくて、たまたま落としたと考えるのは飛躍のし過ぎだろうか。
 かえでがこの病院で不審死があいついでいると言っていたことも、気にかからない訳でもない。しかしここでも知恵の輪が引っかかる。あれは明らかに衝動的な犯行であり、計画性は無きに等しいと推理するのが妥当だ。果たしてとっさの殺人でそこまで頭が回るものだろうか。それに知恵の輪は恐らく事前に用意された物だろうから、森本や香川以外の犯行だと仮定しても合点がいかない。
 大迫医師の場合はどうだろう。彼は犯行時刻にナースステーションの奥の宿直室にいたと証言していた。長友しのぶと酒井典江の二人がそれを証明してくれるだろうとも述べている。実際に典江はそう証言した。そこまで言うからには、よほどの自信があるのだろうが、それでも常に二人があの場所にいたとは考えにくい。トイレに行ったり、見回りなどをして一人になる事もあっただろう。だとすればチャンスがないこともない。一人であれば彼女たちの目を盗んで宿直室から抜け出すことも不可能ではないだろう。それに看護師二人のうちのどちらか、あるいはその両方が共犯の可能性だってある。大迫を容疑者から外すのは早計であると言わざるを得なかった。
 看護師の二人はさらに怪しい。しのぶは典江共々自由に病院内を移動できる。現に清武が岡崎の病室に入った時も、最初に発見したのは彼女であった。動機は想像もできないし、あの怯えぶりが演技だとは思えないが、それでも芝居の可能性が絶対にないとは断定できない。むしろしのぶこそが真犯人で、知恵の輪を落としたのはワザとではなく、それに気づいて戻ったところ清武と出くわしたと考えても難儀では無かった。典江が犯人だとするならば、やはりしのぶの目を盗んで犯行に及んだことになるだろう。
 しのぶが演技ではないとすると彼女しかありえないような気もする。患者よりも看護師の方が警戒されないからだ。それに大迫とでは無くて彼女たち二人が共犯の可能性だって否定できない。可能性で言えば最も大きいとも考えられる。しかし今度は動機の問題がまたも浮上してくる。仮に誰かの代わり、もしかして森本かもしれないが、第三者からの依頼を受けて岡崎を死に追いやったと仮定するのは考え過ぎだとは言い切れないだろう。だが、例え誰かに依頼されたとしても二人が共犯になるほどの強いきづながあるとは思えない。典江は看護師としてここに勤務してからまだ四か月目だと言っていた。確かなことは言えないが、たった四か月足らずで共に殺人を犯すだけの信頼関係など築けるものなのだろうか。
 決定打を出せぬまま、かえでのことを不意に思い出した。彼女はトイレに行くと言っていた。いや、お花畑か。もしかして大かもしれないが、どちらにしても遅すぎる。
 受付の壁にある時計を見ると時刻は一時四十一分。別れてから既にニ十分以上が経過していた。
 心配になりエレベーターを呼ぶ。この際省エネの心配をしている場合では無かった。もしかして入れ違いになるかもしれないが、それでも行動を起こさないという選択肢はない。
 清武にとってかえでは、既にかけがえのない存在になっていることを、その時はまだ自覚していなかった。
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