第4話

文字数 2,842文字

 吹きすさぶ風がそれまで以上に冷たく感じ、目を凝らしてみると雪が舞い降りていた。それほど多いわけはないが、確かに粉雪が斜めに降りしきっている。どうりで寒いわけだ。
 道筋を逆にたどり、駐車場前の正門に来た。先ほどの病室はこの場所のすぐ上にあたり、おそらくは既に飛び去っているだろうが、それでも何かしらの痕跡が残っているかもしれないと、前かがみになりながら慎重に地面を確認していく。
 すると、視線の先にさっきの黒スーツの男が見えた。正門の横にあるイチョウと思われる木の下で、額に手を当てながらうずくまり、体を小刻みに揺らしている。まるで悶絶しているように映った。てっきり逃げられたと思っていただけに、これは思わぬ収穫だ。
 腰に手を当てると、男を指さしながら、
「観念しなさい。もう逃げられないわよ。私の目の黒いうちはヴァンパイアを見逃すわけにはいきません!」
 勝ち誇るように宣言をするが、途端にふと思った。『私の目の黒いうちは~』なんて台詞はドラマなんかでよく聞くが、はたして人が死んだとしても、目の色は黒のままではなだろうかと。そういえば、死んだら瞳の色が変化するなんて聞いた事がない。もちろん比喩的な表現なのだろうが、矛盾していると思わざるを得なかった。機会があれば、いずれ確認したいと余計な事を考えるかえでであった。
「待ってくれ。本当に俺は無実なんだ。誰も殺していない。とにかく冷静になって話を聞いてくれないか」 男は額に手を当てたまま、唾を飛ばさんばかりの早口でまくし立てる。
「この期に及んでまだ“しら”を切るつもり? あなたの他に誰があの老人を刺したというのかしら。それにあそこからの出口は扉しかないわ。それ以外では僅かに開く窓しかない。だったらどうやってあの部屋から抜け出すことが出来たというのよ。どうせコウモリにでも変身したんでしょう? それこそがヴァンパイアである何よりの証拠よ!」
「それは……」男は口ごもった。あたりをキョロキョロ見廻しながら逃亡を画策しているようにも映る。額がうっすらと赤くなっているが、何かにぶつけたのだろうか。
「とにかくあなたには消えてもらうわ。これ以上犠牲者を出さないためにもね!」
 警棒を構えながら男に突進し、マントの上から何発も殴りつける。当然男が反撃してくるかと思いきや、かえでのされるがまま、ヒイヒイと情けない声を上げながら、うずまって背中を丸めていた。
 これではヴァンパイア退治というより、むしろいじめに近い。無抵抗の成人男性の背中を執拗に叩きつける様は、誰がどう見てもSMの女王となぶられるマゾ男にしか見えないだろう。想い描いていた宿敵同士のカッコイイ対決とは、かなりの隔たりがあると言わざるを得なかった。
「痛い、止めてくれ。とにかく俺の話を聞いてくれないか。もしそれでも納得がいかなければ君の好きにすればいい」
 言われてかえではその手を止める。彼の言う事も一理あった。明らかに怪しいことに間違いはないが、まだ状況証拠に過ぎない。この男がどんな言い訳をするか興味が引かれるところであった。
「ちゃんと一から説明して貰おうじゃないの。どうして老人を刺したのか。――それにあなたがヴァンパイアでないという証拠もね」
 これ以上の攻撃が来ないと悟った黒いスーツの男は、苦痛で顔を歪ませながらもゆっくりと立ち上がって、膝についた泥を払う。
「何度も言うが、俺があの部屋に入った時には既にナイフが刺さっていた。あまりのショックで茫然としていたところに、あの看護師が入ってきて、時間外だと注意を受けた。……それから患者の異変に気付いたらしく、悲鳴を上げられ、君が現れたという訳さ。……それに君が俺のことをヴァンパイアだと疑っているみたいだが、もしそうであるならば、どうしてナイフなんかを使ったんだ? そんな七面倒くさい事をせずに直接噛みつけばいいのにさ。あんまりヴァンパイアの事を知らないが、わざわざナイフなんかを使わなくても、人を殺すことくらい簡単にできると思うけどな。それに君が試した通り十字架やニンニクも平気さ。これ以上の証拠は無いだろう?」
 なるほど、男の話も納得がいかない訳ではない。もしヴァンパイアであるならば、彼の言う通りナイフを使わずとも容易に殺害できたはずである。十字架やニンニクが効かなかったことも不思議といえば不思議と思えなくもない。
「じゃあ、どうしてあの場にいたの? こんな夜更けにお見舞いなんて言い訳は通用しないわよ。仮にあなたがヴァンパイアでなかったとしても、あの場からどうやって消えたのかという疑問も残るわ。ちゃんと説明できなければ、やはりあなたを容疑から外すわけにはいかない」
 男は黙ったままで口を開こうとはしない。顎に手を当てながら言い訳を考えているようだが、かえでには思考が停止しているようにしか見えなかった。黄色い眼鏡が少し斜めにズレているが、気にする様子はないように見える。
 だが、かえでとしてもここで引くわけにはいかない。
「あなたの他に容疑者はいない。きっと今頃はさっきの医者か看護師が警察に通報しているわ。あなたがヴァンパイアであるかどうかはともかくとして、逮捕されるのは時間の問題よ」
「判った。俺がヴァンパイアであるかなんてのはこの際置いておくことにして、一先ず病室まで戻ろう。何か犯人に繋がる証拠が出てくるかもしれない。俺が殺人を犯していないことが証明されれば、君だって信じてくれるだろう?」
 かえでは警棒をリュックへとしまった。彼が犯人なのかは別としてヴァンパイアか否かが重要であることに変わりはない。このまま警察に渡してしまっては、せっかくこんな山奥まで来た甲斐がないというもの。もしこの男がヴァンパイアだとしても、さっきの様子を見ると、いかにも弱々しい。これならば例え襲われたとしても、軽くいなすことは容易であると余裕の構えをとった。
 僅かに人の気配を感じて駐車場に目をやると、先ほど駐車した車の背後から、僅かに人影が見えた。その人物は足早に病院内へと消えていく。
 一瞬だから背格好どころか男女の区別さえつかなかった。エンジン音が聞こえなかったから、誰かが乗りいれた訳ではない。こんな時間に一体誰がという疑問が湧き起こるが、何か忘れ物でも取りに来たのかもしれないと気にとめるまでもなく、軽く流すことにした。
「……ところであなたの名前は?」
 スニーカーの靴音を鳴らしながら階段を昇り、黒スーツの男に話しかける。同じく革靴の音を響かせている男は、躊躇しながらも清武瑛人(きよたけ えいと)と答えた。職業は整体師だと告げられる。普段はフリーのマッサージ師として営業に駆け回っているらしい。
「私はかえでよ。奥村(おくむら)かえで。あなたの天敵のヴァンパイアハンターよ」
「だから俺はヴァンパイアなんかじゃないってば」
 信じきれないかえでは、訝し気な目を向けながら三階まで登りきると、さっきの病室へと足を入れた。
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