第17話

文字数 2,987文字

「……今まで黙っていて済まなかった。君の想像していた通り、俺の正体はヴァンパイアなんだ」
 両手の指を絡めながら清武は観念したかのように告白をした。彼は眼鏡をはずすと、緑色の瞳をギラつかせている。それはガラスのような冷たい色をしているが、何処か淋しげにも思えた。
「……やっぱりそうだったのね。でもどうして十字架やニンニクが効かなかったの?」
 すると清武は当然のごとく言い放った。
「そんなのはただの迷信だ。他の種族は知らないが、少なくとも俺たちの家系にそんな弱点は無い。寿命も人間と同じでむしろ短いと言っても良いかもしれない。祖父は五十三歳で亡くなったし。小説のように何百年も生きるなんてあり得ないね。考えただけでもゾッとするよ」
 神妙に耳を傾けながら黙って頷く。清武の瞳は潤んでいるようにも見えた。
「人の生き血を吸うのは本当だ。それでも一回の量は大体三十ミリリットルくらいで、一般的な献血の十分の一程度しかない。それに痛みは全く感じなくて、むしろ快感だと好評なくらいだよ。副作用も無いし。蚊の方がまだ“たち”が悪いと思わないか? 僅かとはいえ、かゆみもあるし病原菌を伝染させるくらいだからよっぽど危険さ。それに噛まれた人が吸血鬼になるなんて、俺にしてみればちゃんちゃら可笑しい。大体、吸血“鬼”だなんて呼び方が気に入らないな。俺たちは鬼では無いんだから」
 清武はふうとため息をついた。かえでとしては想い描いていたヴァンパイア像が崩れた瞬間でもある。どちらも別の意味で落胆の色が濃くなっていた。
「じゃあどうして岡崎さんの病室にいたの? あなたが殺したのでないことは判ったけれど、あの場所にいたことについてはちゃんと説明してくれない?」
「……偶然としか言いようがない。あそこしか窓が開いていなかったんだ。どの入り口にも鍵がかかっていたし、侵入経路は他に無かった」
 そこでかえでは疑問を持った。あそこの窓は十センチしか空いていない。それ以上は開かない構造になっているのだ。どうやって入ったのだろうか。
「どうやって入ったのかと思っているんだろう? 答えは簡単だ。鳩に変身したんだ」
「鳩? こうもりじゃなくて?」
「ヴァンパイアがみんなコウモリに変身できるわけじゃない。俺が知らないだけで、きっとコウモリに変身できる種族もいるかもしれないが、俺の場合は鳩だ。ちなみに親父はカワセミで、おふくろはフクロウだ。ダジャレじゃないぞ」
 おふくろはフクロウなんてダジャレにしか聞こえない。それはともかくとして、カワセミとフクロウのハーフが鳩だなんてあり得るのだろうか。
「俺だってコウモリが良かった。どうせ夜中しか飛べないんだからさ。鳩は鳥目だから視界が利かなくて大変なんだ」
 それで納得がいった。だからあの時、正門の横で額を押さえていたのだろう。鳥目で前が見えなくてイチョウの木にぶつかったのに相違ない。それに三浦秀子や長谷部美奈代の証言とも一致する。彼女たちが見たのは岡崎の病室から逃亡を図った清武の仮の姿に違いなかった。
「侵入経路は判ったけれど、まだ疑問が残るわ。一体何の目的で病院に入ったの? やはり生き血を求めてかしら」
「半分は正解だ。確かに血を求めてきた。しかし生き血ではなくて輸血用の血液製剤さ」
「血液製剤? そんなもので良いワケ? じゃあそれは何のためにあるの?」
 かえでは清武の歯を指さした。八重歯というが牙にしか見えない。
「もちろん、噛みつくためさ。俺だって血液製剤より生き血の方が良いに決まっている。新鮮だし栄養価も高い。それに味がまるで違うからな。それも君のような若い娘の方が……」
 よだれを垂らしながら牙を剥き、かえでに迫る。バチンと平手で殴るかえでは、冗談じゃないと顔を背けた。
「いたたた。冗談だって。そんなに強く殴ることは無いだろう。でも、これから大迫先生との対決だから、少しくらいは協力してくれても悪くないんじゃないかな」
「冗談は顔だけにしてくれる? 例えあなたの言う通り、痛みも副作用もないとしても、そんな気持ちの悪い真似なんて出来るワケないでしょう」
「ほんの一瞬だし、さっきも言ったけれど噛まれた人はみんな気持ちが良いって喜んでいた。嘘じゃないぞ」
「だからと言って、『どうぞ吸ってください』とはならないわよ」
「そこを何とか! 一生のお願いだから」 
 そこまで言うんならと、しぶしぶ承諾した。清武は感謝の台詞を述べながら、では遠慮なく、と口を大きく開けながらかえでに近づいていった。
 しかし、首筋に牙をあてようとしたその瞬間に動きが止まった。
「……ところであっちの方の経験はあるかい? 俺としてはバージンの方が好みなんだけど」
 高揚して全身が熱くなる。再び向き直ると二発目を喰らわせた。それから、もう知らないとそっぽを向きながら重い腰を上げ、階段に向かって歩き出した。
「ほら、大迫先生の所に行くわよ。そんなに吸いたければ、先生のを吸えばいいじゃないの」
 頬に手を当てながら、清武はまたも軽口を叩く。
「出来れば若い娘の方が好みなんだが。顔はともかくとして」
 清武の失言にかえでは噛みついた。もちろん別の意味で。
「悪かったわね、どうでも良い顔で。もし百万円払うのであれば、考えてもいいけど」
「そんな金が無いからわざわざ忍び込んだんじゃないか」清武は弁解に必死である。
「でしょうね。そんなに面倒ならヴァンパイアなんかやめて、探偵にでもなれば? あれだけの推理力があれば何とかやっていけるんじゃないかしら。そういえば面白い探偵がいるわよ。確か……」
 頭を捻り記憶を辿るものの、探偵の名はどうしても思い浮かばなかった。確か豪華客船の弥生丸での事件や、高校生連続殺人、それに何処か田舎の立てこもり事件などを解決したとサイトで見たことがあった。
「探偵なんて興味ないし、好きでヴァンパイアになった訳じゃない。この体も色々と厄介なんだ。君さえ良ければ代わって欲しいくらいだよ。一回試してみるかい? 方法が無いわけでもないんだけど」
「考えておくわ。ヴァンパイアハンターじゃなくてヴァンパイアのハンターも面白いかもね」
 口笛を鳴らす。かえではすっかりその気になっていた。
「まさか真に受けるとはな」
「え? 冗談なの? 本気にして損したわ」清武の肩をグ―で殴ると、舌打ちをしながら足を踏み鳴らした。「さあ急ぐわよ。これ以上先生を待たせたら、しびれを切らせて逃げ出しちゃうかもね」
 自分で言っておきながら、そんな事はないだろと階段を昇る。ふと誰かに見られている気配を感じたが、振り向くとそこには誰もいない。清武はおかしな顔をして、気のせいだろと言ったので、気を取り直して話題を変えた。
「そういえば整体師ってのも嘘なんでしょう。本業は何? まさかヴァンパイアで生計を立てている訳じゃないでしょう。鳩になってマジシャンのハンカチから出てくるとか」
 からかい気味に言った。清武はすぐさま首を振る。
「いや、整体師なのは本当さ。ちゃんと資格も取ってある。実を言うと、たまに施術中に眠り込んだ患者さんにこっそりと噛みついているんだ。でもオッサンばかりでうんざりだけど」
 それでも血液製剤よりかは幾分マシだとため息が聞こえてきた。ヴァンパイアも人知れず、苦労が絶えないものだなとしみじみ思う、かえでであった。
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