老舗旅館殺人事件④

文字数 4,039文字

 カーテンの隙間から光が差し込む。台風は通り過ぎ、何事もなく朝を迎えた。
 予定の時間になると、扉をノックする音が聞こえ、迫田が朝食を運んできた。
 ご飯の上に鮭を乗せて食べる。女将が亡くなったことがウソのように、一日が動き出そうとしていた。

「ほな続きしよか」
 朝食後、椥辻は権堂の部屋に行き、将棋の対局を再開することになった。スマホの写真を見ながら駒を並べる。すでに考えていた一手を権堂が差した。すぐに椥辻が持ち駒の香車(きょうしゃ)を打つ。
「……」
 権堂が腕を組み、長考に入る。まだ浴衣姿で、左手首には高級腕時計を着けていた。そこに椥辻の鋭い視線が向く。
「……ここしかないか」
 そうつぶやきながら権堂が王将を動かす。椥辻は手にしていた銀将を打った。
「……」
「詰みましたね」
 認めない権堂に椥辻が言った。結局、翌日に再開された対局は、わずか四手で終了した。
 札束の現金で支払った椥辻は、領収証を受け取り、巻き物を手に入れた。任務が完了し、安堵感を覚える。だが、すぐに気を引き締め直した。
「……権堂さん、お話があるんですけど」
「何や?」
「出発の準備が整ってからでいいです」
「何や、気になるやん。もう言うてしまってえな」
「女将さんのことですけど……」
「……」
 すると部屋の扉をノックする音が聞こえた。権堂が行って開けると、水樹がいた。
「お話がありますので、出発の準備が整いましたら、一階のロビーに来ていただけますか?」
「……分かりました」
 権堂が返事をして、ゆっくり扉を閉める。椥辻は人差し指であごを掻きながら顔をしかめた。

 一階ロビーのソファチェアで、椥辻と権堂が部屋の鍵を持って待っていると、水樹が千場と迫田を連れてきて、5人が揃った。
「みんな集めて、どうしたの?」
 迫田が尋ねるが、水樹は直接答えずに話を始める。
「一晩考えて、女将さんを殺した犯人が分かりました」
「……」
「犯人は……迫田さんです」
「えっ、私?」
「迫田さんは女将さんの部屋に行き、電気コードで首を絞めました。それから四階の配膳室に行って、女将さんのフリをして権堂さんの部屋に電話して呼び出し、権堂さんが女将さんの部屋に行くと、女将さんが死んでいた……」
「そ、そうや、そうやで」
 思い出したように権堂が同調する。
「ちょ、ちょっと待って……」
 少し笑いながら迫田が割って入ろうとするが、水樹の話は止まらない。
「動機もあります。迫田さんは女将さんの方針に反対していました。中庭の松にイルミネーションを付けたこととか、部屋の名前を変えたこととか、気に入らないことがあったんです」
「反対はしてたけど、それで殺したりしないから。私は女将さんに警察が来れないことを伝えた後、ずっとフロントで大女将(おおおかみ)と電話でしゃべっていたのよ。台風がすごいから、しておくことはないかって」
「フロントで電話してたのは俺も知ってる」
 千場が言った。
「その時に大女将が女将さんに話したいことがあるからって、女将さんの所に行ったら、倒れてて……」
「……本当ですか?」
「本当よ。電話の履歴も残ってると思うわ」
 水樹の目が泳ぎ、気まずそうに下を向いた。
「ごめんなさい、ボクのこと信じてくれてたんですね。今からボクが真相を話します」
 椥辻に視線が集まり、空気が張り詰める。
「女将さんを殺した犯人は……権堂さんです」
「な、なんでやねん!」
「権堂さんは自分が第一発見者と言いましたよね」
「そうやで」
「なんで言い切れるんですか。すでに他の誰かが見つけてるって考えなかったんですか?」
「いや、だから、それは……電話が掛かってきて、すぐ行ったんやから、わしが最初に見つけたって思うやん」
「電話って本当に掛かってきたんですか?」
「……ホンマやで」
 椥辻が迫田の方を向く。
「内線の履歴を調べてもらえます?」
「分かりました。調べてみます」
 迫田が早足でフロントに行った。
「ちょっと待ってえな。第一発見者って言うただけで、わしを疑ってるんかいな」
「他にもあります。殺害に使われた延長コードから匂いがしたんです」
「何のや?」
「ウイスキーです。おそらくウイスキーをこぼして拭いたハンカチで、指紋を拭き取ろうとしたんでしょう。コード全体から匂いがしました」
「そ、そんなん、わしのウイスキーとちゃうかもしれへんやん」
「女将さんはお酒を飲まないと言ってました。あの部屋には女将さん以外、しばらく入ってないみたいですよ」
「そんなん証拠にならへんって」
「電話はどうなんです? 本当に電話が掛かってきたんですか?」
「……」
 椥辻と権堂のやり取りに千場が入ってくる。
「どうなのですか。答えてください」
「……電話が掛かってきたんは……ソです」
「何ですって?」
 声が小さくなって聞き取れず、千場が聞き返した。
「……ソつきました」
 権堂の体が震え、うまくしゃべれなくなる。そこへフロントから迫田が戻ってきた。
「すみません、メーカーにも確認したのですが、内線はかなり古いタイプで履歴は残らないそうです」
「ほなもう帰ろ。あとは旅館の問題や」
 態度が一変した権堂に冷ややかな視線が集まる。椥辻は左手で握りこぶしを作ると、甲を権堂に向けた。
「その腕時計の下に傷がありますよね。女将さんに抵抗された時に付いたんじゃないですか?」
「……」
「あの1メートルの延長コードだと、両端を持っても女将さんの手が届くでしょう。女将さんの右手の爪から権堂さんの皮膚が検出されれば、言い訳できなくなりますよ」
「……」
「警察が本気で調べれば、もっと証拠が出てきます。これ以上はめんどくさいんで、自首してください」
 うつむいていた権堂は泣き出した。
「……助けてくれたやん。ひどいわ。みんな、ひどいわ」

 権堂がトイレから出てくる。だいぶ酔いも冷めてきた。
 階段からスリッパを履いた足音が聞こえてくる。女将だと分かった。そっと階段まで足を運ぶと、女将の後ろ姿が見えた。音を立てないよう後を追う。女将は四階まで行き、部屋の扉を開けた。
「女将さん」
 権堂が声を掛け、振り向いた女将は慌てて中に入る。扉に手を掛け、権堂も中に入った。
「な、何なんですか?」
 すると権堂は膝を曲げ、両手と額を床に着けた。
「さっきはすんませんでした」
「急に入ってきて、おかしいんじゃないですか。出ていってください」
「だから、不快な気持ちにさせて申し訳なかったと思てる」
「もう遅いです。警察に言ってますので」
 権堂が顔を上げる。
「け、警察に言うたんか?」
「そうです」
「そこまでのことはしてへんて……もう来るんか?」
「台風ですぐには来れないみたいですけど」
「ホンマ勘弁してえな」
 権堂は顔をゆがめ、うなだれた。
「……あなたみたいな気持ち悪い人間は許せないんです」
「……」
「変な匂いして臭いし。早く出ていけ!」
 女将が足の裏で権堂の額を押した。首が後ろに曲がり、権堂は尻餅をつく。
「何すんねん!」
 勢いよく立ち上がった権堂は、女将の体を掴み、畳の上に投げ飛ばした。
「きゃっ!」
 権堂の視界に延長コードが入り、コンセントから抜く。そのコードを逃げようと背中を向けた女将の首に掛けた。
「助けて!」
 女将が叫ぶ。扉は開いたままだったが、声は誰にも届かなかった。迫田はフロントで大女将と電話で話し、千場は厨房で仕込みをし、水樹は千場の洗い物を手伝い、椥辻は部屋でスマホの動画を見ていた。
 権堂が腕に力を入れる。女将は右手で権堂の左手首を掴み、爪を立てるが首は絞まり続ける。やがて体が前に向かって倒れた。
「……女将さん」
 延長コードから手を離した権堂は声を掛け、うつ伏せのまま動かない女将の肩を揺すった。しかし、反応はない。
「しもた。わし、やってしもた……」
 権堂は帯に挟んでいたハンカチでコードを拭くと、またコンセントに差した。そして、部屋を出て扉を閉め、階段を下りていった。

 雲一つない空の下、旅館の玄関前で椥辻は、巻き物が入った紙バッグを手に立っていた。
 地面に小鳥たちが舞い下りてくる。一羽が木の実をくわえて飛び立つと、それを追いかけて他の数羽もすぐにいなくなった。乾いた空気が流れ込み、穏やかな季節の情緒を、止まっているパトカーが台無しにする。
「……なんで殺しちゃうんですかね。そこまでしなくてもって思いますよね」
 椥辻の横に来た水樹が、すでに警察に連行された権堂のことを話し出した。
「動機の部分は本人にしか分かりません。警察に本心を言うかも分かりません」
「そうですね……」
「女将さんがいなくなって大変ですね」
「迫田さんが女将になると思います。元々はそうなるはずだったみたいですので」
「そうなんですか?」
 椥辻が興味を示した。
「はい。五月雨さんは前の女将、大女将の娘さんで、東京で地下アイドルをしてたらしいんですけど、あまり売れなかったみたいで、急遽こちらに帰ってきて女将をすることになったそうなんです」
「複雑ですね」
「女将になれなかったことが動機だと思って、迫田さんが犯人だと決めつけてしまいました……」
 言いながら水樹の表情が曇っていく。
「推理は証拠が見つからないと、手掛かりを動機に頼ってしまいます。そのうちに動機が証拠になると混同してしまうんです」
「……一つ気になってることがあります」
「何です?」
「現場を見た時点で犯人が分かってたんですよね?」
 椥辻は水樹の言いたいことが分かった。
「……権堂さんを解放したのは、自分の任務のためです。リスクがあったのは分かってます」
「それで少しスッキリしました」
 一本道を上がってきたタクシーが到着する。
「この旅館の女将には、迫田さんの方がふさわしいとボクは思います」
「そうですね……」
 肯定しながら水樹は苦笑いした。
「深い意味はありませんので。感じたことを言っただけです。次来る時はプライベートでゆっくりしたいです」
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
 嵐山駅に向かってタクシーが動き出す。水樹は見えなくなるまで頭を下げていた。
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