地下ホテル殺人事件②

文字数 3,203文字

「救急車は呼んだんですか?」
 椥辻は岡元の対応を疑った。
「それが……連絡手段がございませんでして」
「固定電話はないんですか?」
「……使えません」
「パソコンは? メールは送れないんですか?」
「契約ができておりませんでして」
「じゃあ、外に行きましょうよ」
「非常階段の扉が……開かないのです」
 振り返ってドア越しに外を見ると、ホテルと地下道の間にはシャッターが下りている。
「鍵がないってことですか?」
「はい……開発部が宿泊客のデータを早めにほしいとのことで、今回のモニターの件も一週間ほど早くなってしまい、事前の打ち合わせができておらず、私も普段は祇園(ぎおん)のホテルにいるのですが、急遽こちらに入ることになってしまいまして」
「とにかく朝まで出られないってことですか?」
「地下鉄の始発に合わせて開くと思います」
 椥辻が右を向く。フロントの右側の通路に一瞬だけ人影が見えたが、すぐに隠れた。
「他のお客様には内密にお願いします」
「分かってます。そのつもりです」
 フロントを離れた椥辻は、速足で右側の通路を回る。見覚えのあるポニーテールの女性がいた。
「盗み聞きですか?」
「人聞きの悪いこと言わないで。シャワー室にドライヤーがなかったから、聞こうと思って来たら、先にあんたがいたの」
「こんな時間にシャワーですか」
「誰か使ってたの。そんなことより何かあったの?」
「……亡くなってたらしいです」
「死んでたってこと?」
「はい」
「死因は?」
「さあ……部屋は3号室ですか?」
「私? そうだけど」
 返事を聞いて椥辻の足が動き出す。
「ちょっと、どこ行くの?」
 金田が後を追うと、椥辻は4号室の前で足を止めた。ポケットからカードキーを取り出す。差し込み口に入ると、ロックが外れた。
 ドアを開け、中に入る。照明を点けると、ベッドの上には若い女性、夏目麗奈(なつめれいな)があお向けの状態で横たわっていた。
「触らないでくださいね」
 椥辻は振り返り、後ろについてきていた金田に言った。緊張した面持ちで金田がうなずく。
 夏目の顔を見る。目は閉じていて、セミロングの髪は湿っていた。手の甲を口元に近づける。呼吸はない。枕もシーツも最初のキレイな状態で、毛布も畳まれたまま足の下にある。
 首の引っ掻き傷に気づく。よく見ると薄くあざもあった。手の爪に目を向けると、血と捲れた皮膚が付着している。
「首を絞められて殺されたの?」
 椥辻の視線を追って金田が尋ねた。
「おそらく」
 答えながら夏目から視線を外し、部屋を見回す。特に変わった所は見つからない。
「犯人はどうやって、この部屋に入ったのかしら」
「行きましょう」
 疑問には答えず金田を促し、二人は部屋を出た。
「どうすんの?」
「警察が来るのを待ちましょう」
「朝までじっとしとくってこと?」
「はい」
 椥辻は隣の自分の部屋の前に行き、カードキーを取り出した。
「マスターキー返さなくていいの?」
「マスターキー? そんなもの借りてませんよ」
「じゃあ、なんで4号室が開いたの?」
「設定のミスじゃないですか。あなたのカードキーでも開かないですか?」
「ええ?」
 半信半疑で金田は自分のカードキーを取り出した。まずは4号室のドアが閉まっているのを確認する。それからカードキーを差し込んだ。カチャっと音がした。
「マジで……」
 ノブを少し回して押すと、ドアが奥に動いた。
「やっぱりですね」
「大変じゃない!!」
「どうしたんですか?」
「みんなを集めるのよ」
「なんでですか?」
「この中に犯人がいるかもしれないのよ。一人で部屋にいたら殺されるわ」
「どうかされました?」
 金田の取り乱した声を聞いて、フロントから岡元が来た。
「ちょっと、カードキーが他の部屋でも使えるって、どうなってんの?」
「どういうことでしょう?」
 金田が同じようにまた4号室を開け、岡元に見せる。
「……」
「なんで開くのよ」
「……なんででしょう」
「『なんででしょう』じゃないわよ! みんなを集めなさい」
「落ち着いてください」
 なだめようとした椥辻に金田の目がギロリと向く。
「逆によく落ち着いてられるわね。ていうか、あんたが犯人じゃないの?」
「ボクは犯人じゃないです。こういう性格なんですよ」
「あの……」
 椥辻と金田が岡元の方を向く。
「金田様、ご心配でしたら椥辻様の部屋に泊まっていただくというのはどうでしょう。もちろん椥辻様がよろしければということになりますが」
「ボクはいいですよ」
「バカじゃないの! 早くみんなを集めて説明しなさい」
 金田は全身に力を入れ、怒り声を上げた。

 岡元が6号室のドアをノックする。中から華奢(きゃしゃ)で覇気のない男性、飯原遼(めしはらとおる)が姿を見せた。
 逆側に行き、2号室のドアを叩くと中国人の女性、王周蘭(おうしゅうらん)が出てきた。
 その隣の1号室からは大きな体の男性、大垣圭斗(おおがきけいと)が現れ、廊下にモニター5人と岡元の計6人が出そろった。
 一同の厳しい視線を感じながら岡元は、電話が使えないこと、インターネットにつながらないこと、外に出ることができないこと、そしてカードキーのことを謝罪した。
「まだあるでしょ」
 深々と頭を下げる岡元に金田が言った。
「……」
「一番の大問題を言わないつもり?」
「……それから、原因は分からないのですが、4号室のお客様が亡くなっておられました」
 椥辻が横目で他のモニターの表情を伺う。特に驚いた様子もなく皆、平然としていた。
「以上です。この度は数々の不手際、大変申し訳ございませんでした」
 そう言って、また頭を下げる。岡元の体は筋肉質で柔軟性もあり、額が床に着きそうだった。
「今からあんたは非常階段の扉を叩き続けなさい」
 岡元が顔を上げると、金田の恐ろしい視線が向いていた。
「どういうことでしょう?」
「階段は外につながってるんでしょ。誰かが異変に気づくかもしれないじゃない」
「……」
「そんなことする必要ないです」
 椥辻が反論しようとするが、岡元の足が動き出す。
「いえ、お詫びにやらせていただきます」
 逃げるようにこの場から離れると、しばらくしてフロントの左側からガンッ、ガンっと鈍い音が聞こえてきた。
「私たちは部屋に集まっておきましょう。あんたの部屋でいい?」
 金田が椥辻を見た。
「構いませんけど」
 椥辻がカードキーで5号室のドアを開ける。ゾロゾロと一同が中に入っていった。
 ベッドの隅に金田が腰を下ろし、離れて飯原が座ると、中国人の王はその間に入った。体の大きい大垣はドアの前に立ち、自分の部屋にもかかわらず椥辻も立つことになった。
「……」
 沈黙が続き、扉を叩く音が微かに響いてくる。椥辻がポケットからスマホを取り出し、時刻を確認すると『1:03』だった。地下鉄の始発までは四時間くらいある。
 視界に入る大垣の様子がおかしい。呼吸が乱れ、体が揺れていた。椥辻が声を掛ける。
「大垣さん、大丈夫ですか?」
「戻る」
 そう言って大垣はドアを開け、部屋を出ていった。誰も連れ戻そうとはせず、また無言の状態が続く。
「私が思うに犯人は……」
 沈黙を破った金田に三人の視線が集まる。
「岡元が怪しいわ。こんだけの不手際はおかしいわよ。最初から私たちを外に出さず、通報もさせないつもりだったのよ。4号室の女性も実は顔見知りとかで、殺すために選ばれた……岡元を私たちから引き離して正解だったわ。カードキーが全部の部屋で使えるようにしたのも、自分から疑いを逸らすためね」
「じゃあ、亡くなった4号室の女性は、どうやって発見されたんですか?」
 椥辻が指摘した。
「それは、たまたま誰かが入って……ていうか、あんたカードキーが他の部屋でも使えるって、なんで分かったの?」
「簡単に言えば可能性に気づいたからです」
「簡単に言わないでよ」
「ねえ」
 二人の会話が止まる。言ったのは飯原だった。椥辻に視線が向く。
「大垣って、なんで名前知ってんの?」
「……分かりました。ボクの推理を聞いてください」
 椥辻の表情が変わった。
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