地下ホテル殺人事件①

文字数 2,273文字

 椥辻の前に車体の低い黒光りの車が止まる。
 ドアを開け、後部座席に乗り込むと、すぐに車は走り出した。
 ルームミラーに目を向ける。運転席にはメガネを掛けたスレンダーな女性がいる。
 彼女の名前は河原町子(かわはらまちこ)。職業については役所に勤める公務員、とだけ椥辻は聞いていた。
 座席に置かれていたA4の封筒を手に取る。中には用紙が二枚入っていた。
 一枚には若い男性の顔写真が17人分並び、もう一枚はメールをプリントアウトしたものだ。
「この顔写真は、誰か探すってことですか?」
「ある大学のラグビー部の部員が、麻薬やってるってウワサがあるの」
「最近じゃインターネットでも買えますからね」
「何か手掛かりが見つかればっていう、ついでの話。もう一枚の方が今回の任務よ」
 用紙を入れ替えて目を通す。来月オープン予定の地下ホテルのモニターに当選した旨が書かれていた。
「河原さん、応募したんですか?」
「違うわよ。調査のために一人泊まらせてって頼んだの。そしたら当選者と同じメールが来て。受付でその用紙を見せれば行けるわ」
「ここに一泊するだけでいいんですか?」
「そうよ、楽でしょ。ホテル側のアンケートとかもあるでしょうけど、それとは別に報告書もまとめてね」
「……分かりました」
 用紙をキレイに重ね、封筒の中に戻す。胸騒ぎがした。

 地下鉄の乗客とすれ違いながら階段を下りる。ビジネスバッグを手に椥辻は地下道に入った。看板などは出ていなかったが、新設されて目立っていたので、すぐに目的のホテルを見つけることができた。
 玄関のドアは透明なガラス張りで、外からフロントにいる制服を着た筋肉質の男性、岡元浩明(おかもとひろあき)とポニーテールの女性、金田洋子(かねだようこ)の後ろ姿が見えた。
 椥辻が足を踏み出してドアが開くと、中から金田の怒り声が聞こえてきた。
「電話できないって、どういうこと?」
「屋内基地局の設置が完了しておりませんでして……」
「何かあったら、どうすんのよ」
「あちらに非常階段がございますので、万が一の際には……」
 岡元が右手を伸ばし、フロントに向かって左側を指す。通路沿いの壁には隅に消火器が置かれ、その横に非常階段に続く扉があった。
「ったく、もう」
 カードキーを手に金田がフロントから離れる。椥辻と一瞬目が合うが、すぐに顔を背けた。椥辻が前に足を進める。
「いらっしゃ……」
「どっちから行けばいいの?」
 挨拶を遮られ、岡元が金田の方を向く。
「どちらと言うのは……」
「フロントの右も左も行けるじゃない」
「どちらからでも同じです」
 不機嫌に金田はフロントの右側の通路を歩いていった。
「失礼いたしました。えっと……お名前を頂戴してよろしいでしょうか?」
「椥辻京悟です」
「お送りいたしましたメールを拝見させていただけますでしょうか?」
 ビジネスバッグからクリアファイルに入れられた用紙を出す。
「ありがとうございます。えっと……椥辻様のお部屋は5号室になります」
 カードキーを受け取る。金田とは逆のフロントの左側を行った椥辻は、消火器と非常階段の扉の前を通り過ぎた。部屋の壁にぶつかって右に曲がると、島になっていたフロントのちょうど裏側に来た。
 奥に向かって廊下がまっすぐ伸びる。両側に部屋が3つずつ並び、ドアの色は手前から両側とも赤色、黄色、青色になっていた。
 椥辻が左側の赤色のドアに目を向ける。浮き彫りになった金色の『1』が付けられていた。その隣の黄色のドアを見ると『2』があった。法則が分かった椥辻は体を反転し、向かい側の黄色のドアを見た。やはり『5』だった。
 レバー式のドアノブの上にある差し込み口にカードキーを入れる。カチャっとロックの外れた音が聞こえ、ノブを回して押すとドアが開いた。
 壁のスイッチが目に入る。押すと照明が点き、部屋は六畳ほどでベッドと小さな円いテーブルが置かれていた。窓はない。右隣の6号室から男性の咳払いする声が微かに聞こえてきた。左隣からも物音がする。
 トイレに行くことにした椥辻は、ビジネスバッグを置いて部屋を出た。ノブを回してドアが動かないことを確認する。オートロックで閉まっていた。
 廊下を突き当たりまで行くと多目的トイレがあり、そこから左右に分かれていた。それぞれ金色の丸と三角が上下に並んだマークがあり、三角の向きで左が男性用だと分かる。トイレに入るとシャワー室も隣接していた。用を済ませ、すぐに部屋に戻る。
 ポケットからスマホを取り出す。時刻は『0:11』で圏外になっていて、WiFiにもつながらない。特にすることもないので椥辻はもう寝ることにした。

 目をつぶった状態が続く。隣の物音が気になってしまい、眠れない。気にし出すとロックの外れる音まで分かるようになる。椥辻は寝返りを打ち、何度か体勢を変えた。
 どれくらい経ったか分からない。左隣から声が聞こえてきて、男女二人の会話に思わず目を開ける。話の内容は分からないが、男性の方は岡元だと分かった。会話はしばらく続き、二人が外に出て左隣は静かになった。
 胸騒ぎがした。椥辻は体を起こし、部屋を出る。左隣の4号室のドアに耳を近づけてみた。何も聞こえてこない。フロントに足を運ぶ。
「どうかされました?」
 椥辻が尋ねる前に、岡元から声を掛けてきた。
「4号室で何かあったんですか?」
 岡元が目を背ける。
「実は……お客様が……亡くなっておられました」
「えっ、殺されたとかじゃないですよね?」
「……分かりません」
 直感的に殺人だと考えた椥辻は、隣の部屋の声や物音がけっこう聞こえることから、無意識のうちに頭の中で推理を始めていた。
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