無人島殺人事件⑤

文字数 4,420文字

 目が開く。テントの中で寝ていた私は、入口に人の気配がしたので顔を向けた。
「……誰?」
「私よ」
 智佳の声だ。被さっているシートがめくられる。
「どうしたの?」
「ちょっと一緒に来て」
 私はそばに置いていたスマホを手に取り、ライトを点けた。
「トイレ?」
「違うわ。この手紙をあのオバハンの所に置きに行くの」
 私には意図が理解できてしまった。智佳は37歳のIT企業の社長と付き合っていたのだけれど、その彼をバツイチの桐川に寝取られたと怒っていたから。
「……やめとこうよ。他にもいい男性(ひと)いるって」
「いないわよ。私はあきらめない」
 智佳がテントを離れる。心配になった私はライトを消し、靴を履いて外に出た。桐川のテントに智佳が入っていく。たぶん手紙を置いて出てくるだけ……それで気が済むならと思い、止めようとはしなかった。
「誰や?」
 桐川の声がした。私たちの話し声が大きくて、起きてしまったんだ。テントの中が光る。桐川がスマホのライトを点けたのか。
「あんた、何してんのや。これ、何なん?」
 私も桐川のテントに近づき、入口のシートの隙間から中の様子を見た。桐川が手紙を広げて見ている。
「『将貴(まさき)と別れなければ殺す』って、アホちゃう。これ脅迫や。犯罪行為。つまり、警察に捕まんねん。バレへん思たかしれへんけど、こんなことすんのあんた以外おらへんで」
「何なの、その言い草……将貴は私と結婚するはずだったのに、他人の幸せを奪っておいて、偉そうに……」
「アホなあんたより私の方が魅力的やっただけやろ。その平べったい胸。恨むんやったら私やなく、親の遺伝子を恨めや」
 桐川が笑いながら手紙を丸め、智佳の胸に押しつけた。次の瞬間、智佳が後ろポケットから何かを出し、桐川に突きつけた。カッターナイフだった。
「ま、待ち……」
 刃が目の前まで近づき、桐川の手からスマホが落ちる。そのまま上半身が倒れると、智佳はひざを腕に乗せ、両手の自由を奪った。
「助け……」
 声を上げようとした桐川の口の中に、智佳はカッターナイフを入れた。思わず私もテントの中に行った。
「智佳」
 呼びかけると、智佳が振り向いた。
「……薫、ハンカチ貸して」
「どうするの?」
「いいから持ってきて」
 私は自分のテントに戻って、バッグからハンカチを出し、智佳に渡した。それを智佳は桐川の口の中に詰めた。
「これでうっとうしい言葉を聞かずに済むわ」
 智佳はカッターナイフを後ろのポケットに戻すと、桐川の胸に腰を置いた状態で顔を何発も叩いた。
「よくも私たちの近くにテントを張ってくれたわね。同じ空気を吸ってるって考えるだけで虫酸(むしず)が走るわ」
 智佳が振り向く。
「薫、その辺に石あったわよね、大きめの……」
「えっ、ど、どうするの?」
「いいから早く!」
 私は言われるがまま、ティッシュの箱くらいある石を両手で持ち上げ、智佳に渡した。
「ありがと」
 智佳はその石を桐川の頭に向かって振り下ろした。鈍い音が聞こえ、もう一度振り下ろすと、首が横に曲がり、桐川は動かなくなった。その光景はドラマか映画のようで現実とは思えなかった。智佳は腰を上げると私の横を抜け、石をテントの外に投げ捨てた。
「薫、海に運ぶから手伝って」
「ちょ、ちょっと、もうやめてよ。なんで、こんなことしたの?」
「やってしまったものは仕方ないじゃない。今さらどうしろって言うの」
「……」
 智佳が背中から上半身を持ち上げ、私は両足を持ち、桐川を運び出した。月明かりを頼りに、そのまま木の間の茂みを抜ける。崖の端に桐川の体を置くと、智佳が肩を持ち上げ、背中を押して海に突き落とした。
「これで一生会うことはないわね。せいせいするわ」
 海に背を向け、智佳が歩き出す。私も戻ろうと足を踏み出した時、大事なことを思い出した。
「あっ!」
「どうしたの?」
「ハンカチ、ハンカチ忘れてる」
「大丈夫よ。死体は沖に流れていって沈むから、誰にも見つからないわ」
「……」
 私たちは広場に戻った。智佳は何も言わず、自分のテントに入っていった。私も自分のテントに戻り、横になって体を丸めた。このまま朝になったら、どうなるのか。桐川がいないことに気づいて、みんなで探す。警察には行方不明ってことになるのかな。死体が見つからなければ大丈夫ってことか。
 金田さんが気づいたりしてないかな。テントは離れた所にあるけれど、起きちゃったかもしれない。そういえば桐川のスマホはどうなったけ。ライトが点きっ放しだったから、そのうちバッテリーがなくなって消えるはず。確かめに行こうか……いえ、下手に触らない方がいい。
 人が死んでしまった。こんなこと初めてだ。なんで? 止めるべきだった。それなのに私はただ見ていただけだった。それどころか手を貸してしまった。私も同罪だ。桐川に腹を立てる智佳の気持ちが、分かったんだと思う。止めるとすれば最初に手紙を置きにいく時だった。桐川が目を覚ましたことが想定外で、あそこからエスカレートしていった……考えたって、もう取り返しはつかない。

 それから眠れずに数時間が経った頃、広場を駆け抜けていく複数の足音が聞こえた。私は直感的に死体が見つかってしまったと思った。
「先に戻ってテントん中、調べてたのか?」
「はい、気になりまして……さっき誰か走ってったようですけど、魚住さんですか?」
「だと思う」
 金田さんと双岡さんの話し声がする。
「何かあったんですか?」
 智佳の声も聞こえてきた。双岡さんに状況を尋ねている。怖い。体が震える。入口に被さっているシートがめくられた。
「薫、起きてる?」
「見つかったの?」
「そうみたい」
 絶望した私の目から涙が溢れてきた。
「落ち着いて。どこまで分かってるか、まだ分かんないんだから。一緒に話を聞いて、今の状況を整理しよ」
「……うん」
 呼吸を整えようとするが、涙が止まらない。ハンカチがないので、仕方なく手で拭いた。
「行くわよ」
 私は手で顔を押さえながらテントを出た。
「彼女、突然のことに驚いたみたいで……それで、ご遺体はどうしたんですか?」
「そのままです」
「海のどこにあるんですか?」
「そこの崖の下です」
「魚住さんには伝えたんですか?」
「……ゴムボートで本土に戻ると」
「それで走ってったんですか。止めなかったんですか?」
「急に走り出したから、そんな時間なかったんだよ!」
 双岡さんと金田さんが揉め出す。冷静に話が進まなくなれば、こちらとしては好都合だ。
「ところで、沼家さんは……桐川さんとは親しい仲だったんですか?」
 安心したのも束の間、私に質問が飛んでくる。疑われてるのかな。
「私たち何度か会ったことはありますけど、親しいとまではいかないです」
 智佳が正直に答えてくれた。ハンカチには気づいてない。気づいてたら、聞いてくるはず。
「……オレ、見たんですよ。沼家が桐川を連れ出すとこを」
 そう言いながら金田さんが私の方を向いた。まずい。やっぱり見られてたんだ。
「桐川を殺したのは、あなたじゃないんですか?」
 殺したのは私じゃない。私じゃないけれど……智佳だとも言えない。私はどうしたらいいか分からなくなった。この場から離れたい……その思いが強くなって体が動き出した直後、何かが足に当たり、次の瞬間には私は地面に倒れていた。右手が背中に回り、体が圧迫される。
「今のが証拠だ! こいつが犯人です」
 頭の上から光が来る。誰かがライトを点けた。
「何してるんですか! 相手は女性ですよ」
「……女性でも殺人犯です。放っといたら、こっちも危ないです」
 私じゃない、私じゃないと心の中で叫び続けた。智佳が私の手をロープで縛り、立ち上がった私の服に付いていた土を手で払ってくれる。私は怒りを覚えながら、私を殺人犯だと決めつける金田さんに目を向けた。
「沼家さんをどうするんですか?」
「桐川さんのテントに」
「トイレはどうするんですか?」
「……大丈夫です。水分を取ってませんので」
 私は言ったけれど、うまく声が出ていなかった。桐川のテントに連れていかれ、私は自分から腰を下ろした。金田さんが私の元から離れると、入れ替わるようにして双岡さんが、ライトの点いたスマホを手に入ってきた。
「念のため足も縛っておきます」
 中にあったロープを私の足に巻いていく。よく分からない複雑な結び方だ。縛り終えると、双岡さんはスマホを操作し始めた。ライトが消え、暗くなる。双岡さんが入口のシートを上げ、外に出ていった。
「ライトは?」
「バッテリーがなくなりました」
 双岡さんと金田さんの話し声がしていたけれど、内容は頭に入ってこない。両手両足を縛られた私は独房にいる気分だった。二人とも捕まるくらいなら、これで良かったのかもしれない。

 智佳と私は京都のお嬢様大学と言われる所で出会った。毎年夏には二人で海外旅行に行く仲になり、それは大学を卒業してからも続いた。でも今年は、智佳が婚約者と別れたショックからなくなってしまった。
 そんな時に七条寺(しちじょうじ)さんから電話があって、無人島を買わないかという話を持ちかけられた。七条寺さんは京都市左京区に住む84歳の資産家で終活をしていた。私は実際に見てから考えたいと答え、智佳にも連絡してみると、同じように電話があったとのことだった。それから不動産会社によって、この無人島の見学ツアーが組まれた。
 私は久しぶりに智佳に会えるのを楽しみにしていた。なのに婚約者を寝取った桐川も来るとは思っていなかった。私たちの住む世界が狭かったことを思い知らされ、智佳はいつもの智佳じゃなく別人に見えた。しかも船が動かなくなって、帰れなくなって、こんなことに……私は神様なんて絶対にいないと思う。もし神様がいるなら、私たちにこんなひどい仕打ちをするはずがない。
 テントの入口に人の気配がした。これから私は男どもに襲われるかもしれない。ただ、それで罪を償えるなら、受け入れるしかないとあきらめた。被さっているシートがめくられた。
「薫」
 智佳の声だった。暗闇の中、薄っすらと体の輪郭が見えた。
「今ほどいてあげるから」
 私の後ろに回り、すぐに自分で縛ったロープをほどいた。
「どうするの?」
「ハンカチ取りに行こ。船のある所からビーチと逆に回っていけば行けるはず。死体は石でも乗せて沈めればいいわ」
 そう言いながら智佳が、私の両足を縛るロープに手を付ける。
「金田さんとかにまた見つかるんじゃない?」
「双岡さんのテントを直しに行ったみたいだから、まだ戻ってきてないんじゃない。でも、金田さんは連れていくのを見たって言ってる以上、殺す必要があるかも」
「……もうやめよ」
「何なの、全然ほどけないじゃない」
 智佳は後ろのポケットからカッターナイフを取り出し、ロープを切った。智佳の後についてテントを出る。広場を進むと、金田さんのテントが視界に入った。そこから光が伸びてくる。私たちが足を止めると、中から金田さんが出てきた。
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