社員旅行殺人事件①

文字数 3,533文字

「来週みんな大丈夫やんな?」
 四人掛けのテーブル席に着き、ビールで乾杯を済ませると、社長の竹田孝助(たけだこうすけ)が聞いた。
「社員旅行ですよね?」
 社内で一番年下の藤森舐瓜(ふじのもりめろん)の質問に竹田社長が頷く。
「あいつも来るんっすか?」
 続けて質問したのは、仕事のできる小野良春(おのよしはる)だった。
「……来るって言うてた」
 小野の顔つきが強張り、隣にいるサバサバした性格の石田多江(いしだたえ)の表情も曇った。
「辞めてもらうのって、もう無理な感じなんっすか?」
「一回言うたけど、労基署に訴えるって言い出して……まあ、今は契約も取ってきてるしな」
「仕事してない証拠があればいいんじゃないの?」
 石田が口を挟んだ。
「俺、後つけたことがあんだけど、その時パチンコしてやがった」
「その時の写真とか撮ってないの?」
「いや、そこまではしてねえ」
「まあ、前の話やし、今はちゃんと契約も取ってきてるしね」
 竹田社長がなだめようとするが、小野は首を傾げた。
「それなんっすけど、なんか怪しくないっすか? キックバック払ってるとか……」
「経理上はそんなことないはずやけど」
 竹田社長が首を傾げながら答えると、藤森が小野に視線を向けた。
「小野さん、ちょっと考えすぎじゃ……そんなに嫌いですか?」
「お前はあいつにいてほしいのか?」
「私は、そこまで……」
「俺はとにかく辞めてもらいてえ。あいつがいるだけでモチベーションが下がる」
「私も辞めてほしいわ。何回も断ってんのに、しつこく飲みに誘われるし」
「ていうか死んでもらう?」
 三人の視線が小野に集まる。
「社員旅行って、今回もあの山ん中の小屋に泊まるんっすよね? 絶対バレないっすよ」
「小野さん、もう酔ってます?」
「……冗談だよ」
 サラダが運ばれてきて、藤森が小皿に取り分け始めた。

「将軍も食べる?」
 将軍塚登(しょうぐんづかのぼる)の目の前に鯖寿司が差し出される。顔を上げると、石田が座席シートに腕を載せて後ろを向いていた。
 助手席に座る藤森がトイレに行きたいと言い出し、先ほど寄ったコンビニの横にあった老舗で買った物だ。
「うまいから食っとけって」
 石田の隣にいる小野が付け足した。
「じゃあ、頂きます」
 将軍塚が一つ取って口に入れる。石田は将軍塚の隣にいる松ヶ崎丈(まつがさきたける)には声を掛けず、すぐに前に向き直った。
 竹田社長の運転する六人乗りのワゴンが鯖街道を北上する。クーラーの効いている車内とは違い、風景を作っている山に差す直射日光で外は炎天下だ。

 日差しも弱まってきた頃、ワゴンは目的地の村に到着した。民家の前に屋台がズラリと並ぶ。すでに祭りが始まっていた。
 この村には竹田社長の親戚が住んでいて、データ処理を請け負う小さな会社を設立した三年前から、社員旅行として参加させてもらっている。半年前に入社した松ヶ崎と、短期アルバイトの将軍塚以外は来たことがあった。
 焼きそば、みたらし団子、かき氷、生ビールなど、タダで食べ飲み放題。都会での多忙な日常を忘れられるひと時だった。
「将軍、ティッシュ持ってね?」
 小野が尋ねてきたので、将軍塚はポケットから取り出した。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
「風邪ですか?」
「いや、花粉症っぽい」
「この時期はイネ科の可能性がありますね」
「お前さ、妙なとこ詳しいよな」
「……てへっ」
 将軍塚が不気味に返すと、小野は顔を背け、焼きトウモロコシを頬張り始めた。一行は空き地に敷かれたブルーシートの上に陣取る。
「松ヶ崎さん、要ります?」
 似つかわしくない一升瓶を持った藤森が、プラスチックのカップを手渡し、地酒を注ぎ始めた。松ヶ崎の視線が将軍塚に向く。
「誰に誘われて来たの?」
「社長ですけど」
「短期のバイトが来るようなものでもないと思うけど」
「そうかもしれないですね」
「そうかもじゃなくて、そうなんだよ」
 将軍塚が苦笑いすると、陰気な空気が漂った。

 ビンゴゲームが終わると、辺りはすっかり暗くなっていた。屋台は片付けられ、子供たちは花火で遊び始めていた。
 小野たちは竹田社長の親戚にお礼を言った後、再びワゴンに乗り込んだ。
 山道を十分ほど進んだ所でウインカーが出る。木の電柱に付けられた電灯が、二階建ての小屋を照らしていた。ワゴンが止まり、竹田社長がサイドブレーキを引く。
「松ヶ崎さん、着きましたよ」
 将軍塚が体を揺するが、目を開けない。
「ここで寝てもらえば」
 冷たく言い放ってから、石田がハンドバッグを手に車を降りた。
「寝るのはいいけど、吐かれたりしたら……」
 困った顔をしながら竹田社長も降り、外からドアを開けた。
「松ヶ崎さん、起きてください」
「うー」
 一瞬うなるような声を出したが、やはり目を開かない。
「チッ、仕方ねえ。将軍、おんぶ」
 リュックを小野に預け、将軍塚は松ヶ崎を負ぶった。幸い松ヶ崎は小柄だったので重くなかった。
 玄関に足を進め、竹田社長が鍵を取り出し、ドアを開ける。入るとすぐにスイッチを押し、中がパッと明るくなった。
 一階は中央の奥に階段があり、風呂とトイレ、いくつかソファーの置かれたスペースがあった。靴を脱いでスリッパを履き、竹田社長を先頭に階段を上がっていく。
 二階には階段の東西両側に部屋が三つずつ並んでいて、小屋は簡素な間取りの木造の建物だった。
「そっちの奥でいいじゃん」
 小野が指した西側の奥に向かって、松ヶ崎を背負った将軍塚が疲れた足を運ぶ。その間に竹田社長、小野、石田の三人は逆の東側に行った。
 奥の部屋に着くと、ついてきていた藤森がドアを開け、電気を点けた。鍵はない。
 広さは六畳ほどで、ベッドだけが置かれている。毛布とシーツは村人が取り替えていて、そこに松ヶ崎を下ろした。
「ふう……」
「お疲れ様」
 藤森が微笑み、将軍塚が苦笑いする。額から汗が滲み、顔を上げた。
「クーラーってないんですか?」
「ないの。ちょっと開けとこうか」
 藤森がロックを外して、窓を二十センチほど開けると、網戸を挟んで涼しい空気が流れ込んできた。
 寝息を立てる松ヶ崎を尻目に、二人は電気を消して部屋を出た。
 トートバッグを持ち、藤森が松ヶ崎の隣の部屋に入ったので、階段の横の部屋しか残っていなかった。将軍塚のリュックはというと、廊下に雑に置かれていた。

 目が開く。どこからか「うー」という声が微かに聞こえた。
 少し開けていた窓から冷たい空気が入ってくる。いつの間にか眠っていた自分の感覚を将軍塚は疑った。
 外からドサッという音が聞こえた。今度は確かだと思った。
 窓と網戸を大きく開け、外に顔を出す。暗くて何も見えない。枕元に置いていたスマホを手に取った。表示された時刻は『1:32』。
 スマホのライトで外を照らしていく。地面に人が仰向きで倒れているように見えた。そこは松ヶ崎の部屋のちょうど下だった。
「まさか……」
 唾を飲み込む。部屋を出て、藤森の部屋の前を通り過ぎ、奥の部屋のドアを二回叩いた。
「すみません、入ります」
 スイッチを押して、電気を点ける。全開になっていた窓から、蛾が入ってきた。ベッドに松ヶ崎の姿はなく、乱れた毛布と剥がれ落ちそうになっているシーツだけがあった。
 部屋の奥へ足を進める。窓から顔を出して下を見ると、地面に倒れていたのはやはり松ヶ崎だった。
 早足で部屋を出て、階段を通り過ぎる。東側にある三部屋の真ん中から、くしゃみが聞こえたのでドアを叩いた。
「えっ、誰?」
「将軍塚です。入ります」
 ドアを開けて中に入ると、ベッドで横になっていた小野の顔が、スマホのディスプレイの光で不気味に浮かび上がっていた。部屋の窓は閉まっている。
「こんな時間に何だよ」
「松ヶ崎さんが外で倒れてます」
「マジで言ってんのか?」
「マジです」
 小野が体を起こして、部屋を出る。ついていくと、奥の隣の部屋のドアをノックし始めた。
 竹田社長が出てきて、小野が事情を伝えると、男三人で松ヶ崎の所へ行くことになった。
 階段を下り、玄関で靴を履き、内側から掛けていた鍵を開ける。小屋の裏に回ると、点けたままにしていた松ヶ崎の部屋の光が、薄っすらと地面まで届いていた。
「松ヶ崎さん!」
 倒れている姿を見つけ、竹田社長が声を掛けた。返事はない。
「窓から落ちたのか……」
 二階を見上げ、小野がつぶやいた。
 松ヶ崎の横に屈んだ将軍塚は、直接触れないようハンカチを敷いて頭を上げた。後頭部に大小二つの傷を見つけた。
「死んでんのか?」
「残念ながら、そのようです」
「暑くなって窓を開けた時に誤って……」
「いえ、これは……殺人です」
 その言葉を聞き、竹田社長と小野が身を震わせた。
 犯人は自分以外の4人の中にいると思った将軍塚は、ここまでの言動から、すでに犯人の目星を付けていた。だが、物的証拠がどこにあるのか、まだ分からなかった。
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