ネット心中殺人事件③

文字数 2,297文字

 椥辻が部屋のドアを開ける。ブルーシートの上にココナが立っていた。下を向く彼女の視線の先には、長身の男性がうつ伏せで倒れている。
「ゆーた!」
 駆け寄って屈む。背中はチェックのシャツが血でベトベトになり、首のまわりには大量の血が溜まっていた。肩を揺するが反応はない。
「トイレから戻ってきたら、血を流して死んでたの」
 説明したココナの方を向く。
「栗木さんは?」
「栗木?」
「主催者です。一緒にトイレに行きましたよね?」
「……先に戻ったはずなんだけど」
「そうですか……」
「じゃあ、主催者がやったってこと?」
 リホが尋ねると、椥辻は腰を上げた。
「ボクに練炭自殺を否定されて、このやり方に変えたんですかね」
 そう言って首を傾げる。
「でも、他にいないし……まさか自殺?」
「いや、一ヶ所、背中に傷がありました。自分でやったとは考えにくいです」
「来てない人がいるんじゃなかった?」
 ココナが言った。
「可能性だけ言い続けても仕方ないです。周辺の住人が後をつけてきて、やったのかもしれませんし」
 椥辻は窓に足を向けた。手を掛けて横にスライドさせようとするが、鍵が掛かっていて動かない。窓を離れ、KKのボストンバッグの中を見るが、練炭が一箱入っているだけだった。
「どうする? 警察?」
「スマホ持ってるんですか?」
 椥辻が聞き返すと、リホは首を横に振った。駅からここへ来るまでの道のりを思い出す。
「……人がいるって分かった家までは、十五分か二十分くらいはかかりそうですね」
「隣の部屋とかに隠れてるんじゃない?」
 ココナが言い、リホが「犯人が?」と聞き返すと「そうよ」と答えた。リホが椥辻の方を向く。
「見に行く?」
「いや、危険です。動かない方がいいです」
「じゃあ、このまま何もせず、じっとしとくの?」
「栗木さんが犯人だと決まったわけじゃないです。待ってたら戻ってくるかもしれません」
 血が付かないように、椥辻が死んだゆーたの側に座ると、それを見てリホもそっと腰を下ろした。ココナも置いていたハンドバッグの横に屈む。部屋は血の臭いが充満していた。
「七輪の話って本当なの?」
 リホが尋ねた。
「本当です。実際に聞くのは車の中とかですよね。あれくらいの広さです。一人なら袋を被ってなんてこともあります」
「そっか……もう一つ、変なこと聞いていい?」
「……」
「なんで、急に敬語になったの?」
「……こっちが普通なんですよ。いちいち使い分けるのめんどくさくなりまして」
「染まるの早すぎ……」
 リホの体が震え、急に頭を抱えた。
「入力した後に『これで大丈夫ですか?』って聞いたじゃない……『自分で責任を持って判断して』って言うから、私はやっただけ。みんなだって分からなくなることあるのに、なんで私だけ悪者に……」
 一人でつぶやきながら目に涙が溜まっていく。すると椥辻はポケットから缶コーヒーを取り出した。
「飲んで」
 受け取ったリホはふたを開け、口の中に注ぐ。
「二人はどういう関係?」
 不思議そうにココナが尋ねた。
「小学校の同級生……らしいです」
「らしいって?」
「ボクは覚えてなかったんですけど、たまたまここで会って……」
 次はリホに尋ねる。
「さっき何の話してたの?」
「仕事のこと。あなたは高校生?」
「そうだけど」
「まだそういう経験ないよね。社会に出ると大変なの」
「……」
「ココナさんは、なんで死にたいと思ってるの?」
「えっ、イジメに遭って、それで……」
 言っている途中でうつむき、リホは深堀りしなかった。
「寒くない? 良かったら私のカーディガン……」
「大丈夫」
 そっけない返事に、リホはカーディガンを持つ手を離した。
 沈黙が訪れる。時々リホがドアに目を向けるが、誰も入ってこなかった。部屋の中を照らすアンティーク調のライトが場違いに見える。傷ついた新しい死体が放置されている状態は、どう考えても異常な光景だ。
「……もう私たち3人で死なない?」
 沈黙を破り、ココナが提案した。
「どうやって?」
 リホが聞き返す。
「どうやってって、練炭は無理なのよね。主催者が戻ってきたところで、他の方法を考えるんだから……」
「死ぬのを考え直す気はないですか?」
 椥辻が尋ねると、ココナは目を逸らして「今さら」とつぶやいた。リホが椥辻の方を向く。
「トイレ行きたいんだけど……」
「私がついていくわ」
 ハンドバッグを手にココナが立ち上がった。
「椥辻くんはどうする?」
「ボクはここに残ります」
「えっ、大丈夫?」
 椥辻はゆーたの死体に目を向けた。
「ボクが一人になれば犯人も動き出すかもしれません。そうすれば誰が犯人か分かるはずです」
「そんなの危ないよ……」
「大丈夫です。ボクも男ですので。そっちも気をつけてください」
「分かった。済んだらすぐに戻るから」
 二人が部屋を出て、廊下を歩き出す。隣の部屋が目に入ると、中の様子が気になったが、犯人が隠れているかもしれないという恐怖心が勝り、リホは足を止めずに進んだ。暗闇の中、すぐに突き当たりの壁に来る。
「電気はないの?」
 そう言いながら振り向くと、急に目の前が明るくなった。ココナが小さな懐中電灯を持っていた。
「そんな便利な物あるんだ……」
「ここよ」
 ドアに光が当てられ、リホが開ける。個室が二つあった。手前から中を見る。剥がれたタイルと変色した和式の便器に気分が()えた。奥の個室に足を進める。
「えっ!」
「……どうしたの?」
「だ、誰かいる」
「誰?」
「照らしてみて」
 もう一度、リホが恐る恐る近づく。すると個室の隅で銀髪の女性が体を丸めて倒れ、着ている白い服は赤く染まっていた。
「……主催者?」
 KKだと分かったリホがつぶやいた。
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