無人島殺人事件⑥

文字数 4,623文字

「どこへ行くんですか?」
 オレはスマホのライトで、五十嵐と沼家を照らしながら尋ねた。
「ト、トイレです。薫、沼家さんがトレイに行きたいって言ったから……」
「本当ですか?」
「本当よ」
 二人の後ろに双岡の姿が見えた。オレの視線に気づいたのか、二人も振り返った。
「五十嵐さんと沼家さんの会話、ちゃんと録れてます。ボクの推理おそらく当たってますよ」
 双岡がスマホを操作しながら言った。五十嵐が助けに来ると推測した双岡は、沼家の足を縛った時にスマホを、ボイスレコーダーのアプリをオンにした状態で置いていったのだ。バッテリーがなくなったのはウソだった。
 双岡もスマホのライトを点ける。手にはロープを持っていた。今のとこ作戦は成功だ。オレたちは気づかれないように、双岡のテントからオレのテントに移動した。五十嵐と沼家が桐川のテントから出たのを確認すると、双岡が広場を大きく回り込んでスマホを回収し、その間オレは二人の行動を見張っていた。
 沼家が解放される前に、五十嵐を捕まえる方が楽ではあった。ただ、二人の会話を録音できない可能性がある。前後の分からない短すぎる記録は、証拠能力が弱くなるらしく、なるべく泳がせる必要があった。リスクはあるが所詮、相手は女だ。双岡が沼家、オレが五十嵐を捕まえることになっている。オレは足を踏み出し、五十嵐との距離を詰めた。
「痛っ!」
 突如スマホを持っていた左手に痛みが走る。オレはスマホを右手に持ち替えて照らすと、左手の甲がパックリ割れ、湧き水のように血が流れ出していた。視線を上げると、五十嵐の右手にはカッターナイフがあった。
「……桐川を殺したのは、五十嵐か?」
「さあね」
「そのカッターでか?」
「想像で言うの、やめた方がいいわよ」
「……」
「よくも無実の薫に乱暴してくれたわね。絶対に許さないから」
 逮捕・監禁罪が頭をよぎる。目の前に刃が近づいてきた。戦わないと()られる……またオレは女性を痛めつけるのか。助かってもオレは悪人、やったことは倍。このまま刺された方がいいんじゃないか。被害者になれば同情されて、罪も軽くなるかもしれない……いや、ダメだ。救急車は来ない、死んでしまう。
「……何?」
 どうしていいか分からなくなったオレは、両ひざと額を地面に着けていた。
「沼家さん、すみませんでした。証拠もないのに決めつけて、ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「どうしようもない奴ね」
 五十嵐に言われ、その通りだと自分でも感じた。
「薫、どうする?」
「どうするって言われても……」
「罪を償って死んでもらう?」
「そこまでしなくても……」
「いいえ、私の手で裁くわ」
「動かないでください」
 顔を上げると、振り向いた二人に双岡が、何かを右手に持って向けていた。それは拳銃に見えた。
「……本物じゃないわよね?」
「本物です。カッターナイフの刃をしまって、こちらに投げてください」
「そんな物で私たちを撃ち殺したら、あなただって罪になるわよ」
「まずは右腕だけ撃ちます。殺しません。罪にもなりません。すでに金田さんがケガをさせられてますので、正当防衛が成り立ちます」
「……ウソよ」
「場合によっては足、太ももも撃ちます。殺害容疑が証拠不十分で不起訴になって釈放されても、手も足も使えない不自由な人生を死ぬまで送ることになりますよ」
「……」
 淡々とした感情のない言葉に、二人は震え出した。双岡が左手のスマホに目をやると、拳銃が五十嵐の右手に向いた。
「バッテリーが10パーセントを切りました。時間がないので、もう撃ちます」
「わ、分かったわ。言う通りにするから撃たないで」
 五十嵐は泣きそうな声で言い、カッターナイフをそのまま双岡の足元に投げた。
「刃をしまってって言ったでしょ!」
「ご、ごめんなさい……」
「ちゃんと言う通りにしてください。五十嵐さん、両手を背中に回してください。沼家さん、このロープで五十嵐さんの両手を縛ってください」
 双岡は左腕に乗せていたロープを拳銃の先に引っかけ、沼家に向かって飛ばした。五十嵐の両手が縛られると、双岡は拳銃を向けて沼家を離れさせ、縛り具合を確認した。双岡がこっちを向く。
「金田さんのロープも、もらえますか?」
「分かった」
 オレが自分のテントに足を向けると、沼家が「鬼畜」とつぶやいたのが聞こえた。

 五十嵐と沼家は両手を縛られ、広場の隅で地面に座らされた。辺りを薄っすらと照らす光が、月から太陽に変わっていく。長い長い夜に感じた。
「左手、大丈夫ですか?」
「大したことないって」
「見せてください」
「……」
 オレは左手を差し出した。双岡がオレの指先を掴んで顔を近づける。
「大したことないですね」
「だから言ってるだろ」
 口調が強くなってしまった。この場合、恥ずかしがる方が恥ずかしいパターンだ。
「血が止まるまで、左手を心臓より高い位置に上げといた方がいいですよ」
 オレは言われた通り、あごくらいまで上げた。
「さっきの銃、本物なのか?」
「オモチャです」
「なんだ、ハッタリか。大した役者だな」
 五十嵐が顔を上げ、双岡を睨んだ。双岡が二人から離れたので、オレもついていった。
「バッテリーが10パーセント切ったのもウソか?」
「あれは本当です。オンにしたままテントに置いてましたからね。連絡しないといけないのに……」
 誰にか気になったが、オレも徳永たちに連絡しないといけないことを思い出した。
「カッターを持ってたのは想定外でした。土下座は嫌いですけど、相手が冷静になってくれたので、いい判断でした。あのまま暴れられたりしたら、止めようがなかったです」
「計算してたわけじゃないが……」
 何も考えていない行動を褒められ、複雑な気分になった。
「それにしても現実を体感したっていうか、大学生活は妄想ばっかりで、貴重な経験になった気がする」
「大学生活なんて、そんなもんですし、それがいいんですよ」
「分かるのか?」
「はい、もう卒業してますので」
「四年制?」
「はい」
 てことは……双岡はオレより年上だったのか。
「助かりました。ありがとうございます」
「急に敬語ですか。宗教の影響ですか?」
「宗教? そういうわけじゃ……」
「急にキショイんで戻してください」
「分かり、わ、分かった……」
 なんだか世界が変わって見えた。オレは警察官になろうと思った。やりたいこともないのに無理して就活なんかしてたから面接も通らず、親父に言われることがプレッシャーにしか感じなかったんだ。警察官になって、この社会の秩序を守る。ブレない強い気持ちをオレは求めている。
「オレ、この島を買おうと思う。大学生活の終わりの思い出っていうか、貴重な経験の記念にって」
「……ボクも買うって言ったら?」
「その場合は、高い金を払った方になるんだっけ。親父次第かな……」
 双岡がジャケットの内側に手を入れた。脇の汗が蒸れて(かゆ)いのか。
「えっ?」
 また出てきた拳銃が、今度はオレに向けられた。
「この島、買わないでもらえます?」
「オ、オモチャなんだよな?」
「……」
 否定しない。五十嵐たちを屈服させた迫力は、まさか本物だったからじゃないのか。
「ちょ、ちょっと待て。そこまでする理由が分からない。落ち着いて、冷静になろう」
「金田さんの血筋は在日朝鮮人です。日本海にあるこの島を、敵になる危険性がある国の人に渡すわけにはいきません」
「そうだが、オレのおじいちゃんは日本で生まれた。ずっと日本で暮らしてきて、今さらそんな差別するのか?」
「差別してないのが問題なんです。誰にでも売っていいことが」
「……その銃が本物だとしても、オレは引くことができない。納得ができない。オレはここに基地を作ったり、スパイ活動に使ったりするつもりはないからな」
「椥辻くん、何してるの?」
 声がして双岡と同時に振り向くと、丘の斜面からメガネを掛けたスレンダーな女性が登ってきていた。双岡は慌てて拳銃をジャケットの内側に戻した。
「河原さん、なんで、ここに?」
「港に戻ってきたら、連絡してくれる予定だったのに、ないから心配になって来たのよ」
「魚住さんに会いませんでした?」
「魚住? 誰それ?」
「不動産会社の人で、体の大きい人なんですけど、ゴムボートで本土に行くって言って……」
「ああ、あの関取みたいな奴。他の船に助けられてたみたいよ」
「それは良かったです。一人で来たんですか?」
「一人よ。ところで、これはどういう状況?」
 河原と呼ばれた女性が、手を縛られて座る五十嵐と沼家に目を向けた。
「……詳しいことは、また後で」
 ようやく会話が切れ、オレは双岡に問いかけた。
「本当の名前は、椥辻なんだな?」
「聞き間違いじゃないですか」
「いや、そうだ。姉さんが地下ホテルで会ったっていう男に似てる」
「だとしたら、何ですか?」
「既読スルーされてるって(へこ)んでたから、返事を送ってほしいんだ」
「……京都人が苦手なタイプなんですよ。口数が多くて」
 その言葉を最後に、椥辻は船に乗って帰っていった。それから魚住と警察官が到着し、桐川の遺体を確認すると、五十嵐と沼家は連行され、オレは刑事から事情聴取を受け、全てのことを正直に話した。

 町子についていく。椥辻はコインパーキングに来た。見慣れた黒光りの車を見つける。後部座席のドアに手を伸ばすと、助手席に乗るよう促された。いつもとは違う感じで車が走り出す。
「護身用として渡した銃、使うことになったのね」
「撃ってないですよ」
「あの男の子に向けてた理由、教えてくれる?」
「……彼は金田悠馬と言いまして、前に地下ホテルのモニターの任務の時に会った金田洋子の弟でした。彼女とは一度だけ食事に行きまして、その時にいろいろ聞いたんですけど、父親が有名な大企業の社長で、その父親の祖父は戦時中に朝鮮から日本に来たそうです」
「なるほど。海外資本に転売される可能性があるから、将来的な日本のリスクになるってわけね」
「はい、そう思いました」
「実はあの無人島、与党の重鎮が買うことになったの。だから、いずれ国有化されるわ」
「そうですか、それは来てくれて助かりました」
「あなただけ七条寺さんに呼ばれて来たわけじゃないこと疑われなかった?」
「大丈夫……というより、あんまりしゃべる機会ができませんでした。報告書に書く参加者の情報、あんまりないかもしれません」
「まあ、こっちも無人島が売りに出されたって情報が突然入ってきて、急に頼んだ任務だったから、分かってるだけでいいわ」
 椥辻がポケットの内側を確かめる。
「……念のため借りたんですけど、こんな物持ち歩くと感覚が変わりますね。鬼畜って言われましたし」
「誰に?」
「参加者の女性にです。そんな風に見えたんですかね」
「中には理解してくれない人もいるわ」
「あの……しばらく休みもらっていいですか? 人が死ぬと疲れるんですよ」
「しばらくって、どれくらい?」
「日数は決まったら、また連絡します」
「分かったわ」
 京都市内に向かって高速道路を走る。外の景色を見ていた椥辻は、いつの間にか眠っていた。

 2021年6月1日、重要土地等調査法案が衆議院本会議で可決され、6月16日には参議院本会議で可決、成立となった。
 この法案は、自衛隊や米軍の基地などの周囲千メートルと国境の離島を注視区域とし、特に重要性が高い特別注視区域は、土地や建物の売買に事前の届け出を必要とするものである。


  椥辻京悟の殺人事件録0【完】
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