地下ホテル殺人事件③

文字数 2,907文字

「殺された4号室の女性は間違って、ドアが同じ赤色の1号室に入ってしまったんです。部屋の番号は最初の受付で、口頭で伝えられただけですので色で覚えてたんでしょう。このホテルはシンメトリーな構造で、トイレのマークも赤と青にしとけばいいのに分かりにくく、シャワー室から出た後、右と左を勘違いしたんだと思います。本来なら間違ってたとしてもドアのロックは外れませんので、その時に気づいて問題はないのですが、カードキーの設定にミスがあって開いてしまった……」
「それで、間違って1号室に入ったとして、なんで殺されなけきゃいけないの?」
 金田が不思議そうに尋ねた。
「見てしまったんだと思います」
「何を?」
「麻薬をやってるところをです」
「……根拠は?」
「ボクは麻薬をやってる人間を追ってまして、その中に大垣がいたんです」
「あんた、警察なの?」
「いえ、違います」
 呆れた様子で金田が息を吐く。
「百歩譲ってそうだったとして、その後に大垣が死体を4号室に運んだってわけ?」
「そうです。自分のカードキーを使ったのか、殺された女性のを使ったのかは分かりませんけど」
「証拠あんの?」
「ベッドがほとんど乱れてませんでした」
「寝てるとこ襲ったんなら、抵抗できないわよ」
「髪が濡れてました。シャワーから戻って、すぐに寝ますか」
「疲れてたりしたら、すぐに寝ちゃうこともあるわよ。ベッドだって犯人がキレイに直したかもしれないし」
「皺になったシーツはそんな簡単に直せません」
「そんなの証拠になんないわよ」
「ボクの推理、合ってますよね?」
 椥辻が目を向けたのは中国人の王だった。
「……麻薬とか分かんないけど、大きな1号室の人が女の人おんぶして、4号室に入ってくのこの目で見た」
「あんたたち知り合いだったの?」
「いえ、違います。4号室から岡元さんと女性の話し声が聞こえたので、それが金田さんでなければ女性は王さんしかいません。王さんが隣の部屋の犯行に気づいたと思ったんです」
「そうだよ。一瞬だけど悲鳴のような声が聞こえたからな。怪しいと思って、ドアをちょっと開けて見てたんだ」
「……ズルいわ」
 金田がつぶやいた。
「何がズルいんですか?」
「私の知らない情報で推理してるじゃない」
「推理ごっこしてるんじゃないですよ」
「いつから大垣が犯人だと思ってたの?」
「1号室の人が犯人だと思い始めたのは、フロントで4号室の人が亡くなったことを聞いて、殺された可能性を考えた時からです」
「マジでそんなに早かったの?」
「マジです。4号室が犯行現場だったら、ボクが何かしらの異変に気づくので」
「えらい自信ね」
「となると犯行現場は他の部屋、逆側の1から3号室のどこかになります。同じ色のドアがあるってのは最初から気になってたんで、試しに自分のカードキーを4号室で使ってみたら開いたってわけです。あと金田さんは犯行に気づいてないようでしたので、3号室だと思いました」
「なるほどね……でも、やっぱり証拠がないんじゃない?」
「証拠なんて要らないです。裁判じゃないですし」
「じゃあ、ここまで分かってて、なんで大垣を捕まえないの?」
 金田が王の方を向くと「鈍いですね」と椥辻がつぶやいた。
「あんな大きい人、危ないよ。ホテルの人は警察呼ぶって言ってたのに、こんなことになって」
「じゃ、じゃあ、とにかく朝まで待つのね。ここで、こうやっていたら安全だし……」
「いえ、ボクもそう思ってたんですけど、相手は麻薬をやってるんで、いつおかしな行動に出るか分かりません。もし暴れ出したりしたら、全滅の可能性もあります。なので、ここは先手を打ちます」
「マジで言ってんの?」
「マジです。ボクも力には自信がないので、この四人では心配ですが、岡元さんに協力してもらえば何とかなるでしょう」
「でも……証拠ないのよね。違ったらどうすんの?」
「推理が100パーセント合ってる必要はありません。今はリスクを断つことが大事です。こういう理由で犯人だと考えましたって説明できるものが7割くらいあればいいんです。けど……」
「けど何?」
「ボクの推理は合ってます」
「どっからそんな自信が湧いてくんのよ!」
 椥辻が飯原に目を向ける。体格を見る限り女性よりマシなくらいだ。どこまで協力してくれるのか不安になると、飯原が顔を上げた。
「……音が止まった」
 一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに扉を叩く音が聞こえなくなったことに気づく。
「まさか」
 椥辻が部屋を飛び出す。フロントの裏側から非常階段に行くと、扉の前で岡元が頭から血を流し、うつ伏せの状態で倒れていた。その横には大垣が立っている。
「俺が来たら倒れてて……」
 しゃべり出した大垣の服には飛び散った血が付いている。すぐに視線を外し、置かれた消火器を見ると、ここにも血が付いていた。
「……大垣さん、危ないですので、部屋にいときましょう」
 椥辻が冷静に誘導しようとすると、そこへ金田と王がやって来た。
「きゃっー!!」
 床に横たわる岡元を見て、女性二人は悲鳴を上げた。金田の視線が大垣に行く。
「血、血……」
 ゆっくりと右手が上がり、服に付いている血を指した。椥辻がまずいと思うと同時に、大垣の右手が金田の左肩を掴んだ。
「きゃっ!」
 椥辻は二人の間に入り、金田から右手を引き離そうとした。邪魔する椥辻に大垣の左手が振り下ろされ、とっさに右手で防ぐ。後ろに倒れた体が金田にぶつかり、反動で掴まれていた右手も離れた。
 椥辻が身構える。よろめきながら金田は王の元へ走った。ラグビーをやっている大垣の体は、椥辻よりも二回り大きい。まともに食らえばワンパンであの世だ。
 力を入れた右の手首に痛みが走る。今さら話し合いに持ち込む口実も思いつかない。椥辻が絶望し、死を覚悟した次の瞬間、大垣の巨体が倒れた。
「あっ」
 思わず声が出ると、大垣の背後には飯原がいた。手にはスタンガンがある。
「逆側から回り込んでやったぜ」
「……それあるなら言っといてくれ」
 安堵と共に力が抜け、椥辻はその場に座り込んだ。

 目を通した報告書を助手席に置き、町子がブレーキから足を離す。椥辻は包帯が巻かれた右手を胸に持ってきて、左に重心を寄せた。
「あなたがいながら二人も死ぬなんてね」
「……二人目は助けられたかもしれません。しゃべりすぎました」
 警察の取り調べで、大垣は殺害した動機を自白した。夏目に麻薬をやっているところを見られ、椥辻の推理は当たっていた一方、岡元はうるさいという理解できないような理由で、消火器で殴り殺されたのだった。
 会社の不手際で非難の矢面に立たされ、挙句の果てに命を落とす……これが岡元の人生の最期だった。結婚はしていたのか、子供はいたのかなどと考え、椥辻はひどく悲しくなった。
「……次の任務は何ですか?」
 涙が出る前に話を変え、気を紛らわせようとする。
「次は、いろいろあるけど……」
「例えば」
「宗教施設の調査、外国人窃盗団の調査、違法ギャンブルの調査とか……」
「なるほど」
「その前にまずは骨にひびの入った手を治しなさい」
「分かりました」
 空いた道路を車が軽快に走る。今回の任務も不本意な形で終わってしまった。
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