第5話:和泉の結婚と株を買う

文字数 1,504文字

 そして、佐竹さんのお母さんが和泉に逗子の別荘にお住まいと聞いてますが、逗子の海岸近くで素晴らしい所ですねと言った。それに対して、父が高齢になり使わなくなった葉山別荘を管理するように言われて住んでいますと答えた。お車で、逗子、鎌倉、江ノ島にも行けるし、素晴らしい所にお住まいですねと告げた。それに対し、あくまでも父の別荘ですからと語った。

「結婚式は、いつ頃とお考えなのですかと彼女のお母さんが聞いた。」
「そこで、できるだけ早いほうが良いと考えていますと答えた。」
「それは、めでたいと、彼女のお父さんが言った。」
「そして、お母さんが日程が決まり次第教えて下さいと笑顔になった。」

「その後、結婚式をいつにするか、まだ、何処で結婚式をするか和泉と仁美さんが考えた」
「佐竹は、盛大な結婚式より質素でも楽しい結婚式をしたいと訴えた」
「それに対し、仁美さんも仲間達に祝福されればよれで良いと考えた」
「そこで農協関連の割烹料理屋の広間で和式結婚式をあげることにした。」

 こうして、和泉智則は佐竹仁美さんの結婚式は、1991年5月26日、日曜日、金沢農協関連の割烹料理屋の広間で和式結婚式をあげることが決定した。しかし、新婚旅行は、結婚式直後でなく、仕事の様子を見てと言うことに決定した。5月26日、9時に結婚式をあげる割烹料理屋に入った。そして、紋付き袴の和泉と文金高島田の仁美さんの着替えが11時過ぎに終わった。

 そして、近所の神社の神主さんが2人の結婚を認め、結婚式が終わった。その後、大広間に14人のお世話になった人達「上司、同僚、家族」が集まってくれた。司会役の和泉智則の農協での友人の朝永君が結婚式の開会を宣言した。その後、祝い歌や昔話をしてくれた、その後、両家の両親と新郎新婦の話で会場が静かになった。

 それが終わると会場は、賑やかで活気ある雰囲気になり、乾杯が行われた。こうして15時に結婚式が終了した。6月3日、長崎県の雲仙・普賢岳で大規模な火砕流が発生、集落を焼き、消防・報道関係者ら37人が死亡、4人が行方不明となった。6月8日、再び大火砕流発生し島原市の住民が避難した。

 7月下旬からお盆の頃迄、カローラに乗って金沢を日曜の早朝に出て、海老名、厚木から七沢の抜けて宮ケ瀬湖のやまびこ大橋を抜けて清川村のキャンプ場に出かけ冷たい川に水着で入って涼んだ。しかし、川遊びしてる時は涼しく快適だった。でも14時頃、キャンプ場を出て金沢に帰ってくるころには、再び汗びっしょりなっていた。

 8月27日、経済企画庁長官が「日本の景気は拡大局面にある」との8月月例経済報告が発表された。その結果、大型景気は57カ月になり過去最長の「いざなぎ景気」と並んだ。12月25日、ゴルバチョフ・ソ連大統領が辞任し、12月26日ソ連最高会議共和国会議が最終審議を行い、ソ連消滅を宣言した。12月30日、旧ソ連の11共和国が「独立国家共同体「CIS」」としての活動を開始した。

 1992年が明けると2月13日、東京地検と警視庁が「佐川急便マネー疑惑」で強制捜査に着手した。その後、2月14日、東京佐川急便の渡辺広康社長ら4人を特別背任容疑で逮捕した。8月18日、東証平均株価の終値が景気先行き不安などで大きく反落し、1万4309円41銭になった。
 この東証平均株価は、6年5ヵ月ぶりの低水準でバブル景気の終焉を印象付けた。1992年8月20日の早朝、証券会社の担当者から和泉智則に電話が入った。その電話で東京精密株の気配値が670円と安いと言われた。そこで、4千株成り行き買い注文を出した。その後、すぐ買え残金が32万円となった。
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