第8話:株の成功とヤフー株買い

文字数 1,518文字

 2月12日、金融再生委が大手行など15行に総額7兆4500億円規模の公的資金による資本注入を内定した。5月4日、東邦生命保険が自力再建を断念。生保の破たんは日産生命に次いで戦後2件目となった。8月20日、第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行の3行が2000年秋に持ち株会社を設立し、2002年春をめどに事業統合と発表した。

 10月14日、住友銀行とさくら銀行が2000年4月までに合併と発表。これが日本初の旧財閥の枠を超えた金融再編となった。10月21日、最高裁がリクルート事件で受託収賄罪に問われた藤波孝生・元官房長官の上告を棄却した。そして、懲役3年・執行猶予4年、追徴金4270万円が確定した。12月20日、マカオがポルトガルから中国に返還された。

 1999年12月30日の早朝、証券会社の担当者から和泉智則に電話が入った。その電話で東京精密株の気配値が16800円と高いと言われた。それを聞き、和泉智則が全株成り行き売り注文を出すと、少しして売れたと言われた。2000年が明けると1月1日、コンピューターの誤動作による社会生活への影響が心配されていた「2000年問題」は、軽微なトラブルだけで大きな被害はなかった。

 1月5日、証券口座を調べると6010万円に増えていた。4月2日、小渕恵三首相が脳こうそくで緊急入院し、昏睡状態になった。4月4日、回復の見込みが立たず、小渕内閣が総辞職した。4月5日、自民党が後継の総裁に森喜朗幹事長を選出し自民、公明、保守3党による森連立内閣が発足した。5月14日、小渕恵三・前首相が死去、享年62歳だった。

 7月5日、三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行が2001年4月をめどに経営統合すると発表し国内4位の銀行になった。7月12日、百貨店大手、そごうグループが民事再主法の適用を東京地裁に申請し倒産した。9月29日、日本初の銀行特殊会社、みずほファイナンシャルグループが発足した。12月1日には、日本で衛星放送デジタル放送が始まった。

 2001年が明けると1月16日、東京地検が財団法人「KSD中小企業経営者福祉事業団」がらみの受託収賄容疑で小山孝雄自民党参院議員を逮捕した。1月23日秘書がKSDから資金提供を受けたと追及された額賀福志郎・経済財政・担当大臣が辞任した。3月1日、KSDをめぐる汚職事件に絡み東京地検特捜部が受託収賄の疑いで村上正邦元労相を逮捕した。

 2001年9月4日の早朝、証券会社から和泉智則に電話が入りヤフー株の気配値が182万円と安いと言われた。それを聞きヤフー株5株、成り行き買い注文を出した。するとヤフー株5株910万円で買え残金が5100万円へ。9月11日、アメリカで同時多発テロが発生しイスラム原理主義者にハイジャックされた2機の民間航空機がニューヨークの世界貿易センター南棟ビルと北棟ビルに激突した。

 別の1機がワシントンD.Cの国防総省ビルに突っ込んで被害を与えた。もう1機では、乗客がテロ犯人と格闘の末、ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落した。そのテロ事件で死者3千人以上を出す大惨事となった。10月7日、アメリカは9.11テロをアフガニスタンに潜伏と伝えられるオサマ・ビンラデインとそのテロ組織の犯行と断定した。

 その後、タリバーン政権に引き渡しを拒否され航空機による攻撃を開始した。12月1日、皇太子妃が内親王を出産し、12月7日、敬宮愛子と命名した。12月22日、鹿児島県奄美大島沖で停船を命じた海上保安庁の巡視船に不審船が自動小銃や小型ロケット砲を発射した。そして、銃撃戦になった後、不審船は沈没し、不審船の乗員全員が死亡・行方不明になった。
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