第19話

文字数 612文字

結婚は形式だけ。今の人生を続けるしかない以上、そう思うしかない。

しかし、君に嘘をつく理由はない、と彼の奥さんのお腹の中に二人目の子供ができたと知ったとき、目の前が真っ暗になった……血の気が一気に引いていくような不快感にいらだった。

「出て行って」

私はやっとの思いで口にしたものの、説得力がないのは自分でもわかっていた。

ひからびた大地が雨を必要とするように、私もまた彼を必要としていた。事実は変わらずとも、私が彼に恋をしたのは確かだ。その彼は目の前にいる。

彼が近づいてきたとき、彼の目に燃えさかる欲望に愕然とした。私は身動きもせずに立ちつくしていた。そして、荒々しく抱き寄せられ、激しく唇を押しつけられると、彼の望むままに身を委ねた。肩に指先を食い込ませながら、彼のキスを受け入れ、もはや必死に彼の唇を求めた。そんな自分が恐ろしかった。舵をとれずに荒波の海をさすらう船に乗っているよう気分だった。

静かな室内に二人の切なげな声がもれていく中、私は考えていた。頭の中にメモリーチップみたいなものがあるなら、ひとつとして見逃さないようにそこに入れて覚えておきたい。そうすれば、もしこれからさき、一人で生きていかなければならなくなったとしても、後悔だけを道連れに生きていかなくてすむから。それはある意味で。彼との思い出を永遠のものにすることではないだろうか?

でも、彼のいない人生が待ち構えていると思うと、心が張り裂けてしまいそうだった。
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登場人物紹介

今の私

あの頃の私

そして、あの頃の彼

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