第1章 (3) 強い気持ち

文字数 4,707文字

 早速その夜から計画書の執筆に取り掛かった。国語辞典を片手に懸命に計画書を作っている俺を見て、「普段の勉強もそんくらいやればなあ」と父さんが苦笑いをしながらお茶を飲んでいる。ひたすら書いては消しを繰り返しながら少しずつ計画書を仕上げていった。地図をコピーしにコンビニにも行った。姉ちゃんにも「こんなに前向きに何かをやってるあんたを初めて見たよ」と驚かれた。部活でサッカーボールを蹴っている間も、早く家に帰って続きをやりたいと思った。
 そして五月二十一日の夜、俺たちの自転車旅行の計画書が完成した。

自転車旅行計画

参加者:本山一亮、河原田典磨、本橋悠紀彦
期間:7月22日(月)~24日(水)

 この度はお忙しい中、この計画書を読んでいただきありがとうございます。今回僕達は自転車による、二泊三日の旅行を計画しています。動機は、今までずっと両親に大切に育てられてきましたが、中学生も二年目になり、自分達だけで何かを成し遂げてみたい、もっと自立したいと思うようになりました。その為には親元を数日間離れるべきであるという観点から、どのような方法があるのかを三人で検討した結果、自らの足でペダルを漕いで進んで行く自転車旅行しかないという結論に達しました。

 僕は今まで本気で何かに取り組んだことと言えばサッカーしかありませんでした。しかし、この旅行の話を思いついた時に、僕達三人だけで自転車旅行ができたとしたら、人生が変わるのではないかと思いました。

以下がコースの説明になります。

7月22日(火):午前6時、西山町の本橋の家に集合。舘山寺街道を通って遊園地パルパルまで進む(午前7時到着予定)。県道323号線を南に下って、国道1号線とぶつかったらそこから西へ。その後、分かれ道で国道42号線に進み、伊良湖岬へ(13時までには着予定)。伊良湖岬で昼食。伊良湖岬からフェリーで師崎まで移動(移動時間40分、15時までには到着予定)。師崎港から北西へ約15キロの美浜ユースホステルに宿泊(16時半頃到着予定)。走行距離:約85キロ

7月23日(水):午前6時30分出発。県道52号線を北東に進んで国道247号線で碧南海浜水族館まで進む(10時までには着予定)。水族館から東にずっと進み(約40キロ)、国道1号線とぶつかったら右折。すぐに県道332号線に入って東へ約10キロ進む。やがて県道21号線に変わって13キロほど進んで、国道301号線とぶつかったら左折。その後5キロ程進んで県道527号線に入って9キロほどでたそがれ渓谷キャンプセンターに到着(17時までには到着予定)。走行距離:約105キロ

7月24日(木):午前8時出発。県道27号線を北東に行って国道301号線に出る。ずっと国道301号線を進んで(途中県道21号線と392号線を通過して国道301号縁に戻る箇所あり)、国道362号線に行く。更にずっと進んで西気賀駅を越えてしばらくして、県道49号線に入って、あとは道なりに帰る。16時前後には帰宅予定。走行距離:約60キロ

食事について:初日の昼食は伊良湖岬のフェリー乗り場で食べる。夜はユースホステルの食事。2日目と3日目の朝と昼はその時の流れで適当に取る。2日目の夜はキャンプ場で自炊予定。

持ち物:着替え。寒くなった時のための上着。タオル。歯磨きセット。シャンプー。地図。2日目の夕食の材料(レトルトカレー、米など)。寝袋。水筒。タオル。ティッシュ。レインコート。折り畳み傘。財布。

費用:
初日の昼食 700円×3
フェリー運賃 600円×3
美浜ユースホステル宿泊費 2400円×3
ユースホステル夕食 880円×3
2日目ユースホステル朝食 480円×3
2日目昼食 700円×3
たそがれ渓谷キャンプセンター テント 4500円
バーベキュー場使用料 2100円
3日目朝食500円×3
3日目昼食700円×3
その他 雑費 2000円×3
合計 一人 10160円

「すごいよモト! ルートの説明も詳しくしてあるし、地図も貼ってあってわかりやすい。費用も細かく書いてあるし、これならきっと許可がもらえるよ」
 河原田は計画書をじっくりと読んだあとで温かいコメントをくれた。
「河原田がそう言うなら間違いない。お前すげえな。部活やった後でこれ作ったのか。頑張ったな」
 対照的に本橋はパラパラ十秒くらい流し読みしただけだ。こいつらしいと言えばこいつらしい。でも褒めてくれた。
「コブシィ先生に見せに行こうぜ」
 二人に褒められてニヤニヤしているのがばれないように、二人に背中を向けて職員室へと歩き出した。
 計画書を渡してから、五分程が経っただろうか。読み終えたコブシィ先生は計画書を机に置いて、腕組みをしている。そして、マグカップに注いであるインスタントコーヒーを一口飲んだ後で重い口を開いた。
「お前ら、どうしても子供だけで行きたいのか?」
「はい」
「それは学校としては手放しでいいですよとは言えないな」
「計画書を提出して安全だと認められたら良いんじゃないんですか?」
「確実に安全なんてことがあるのか。お前たちが交通ルールを守っていても居眠り運転のトラックが突っ込んできたら死んでしまうかもしれないぞ」
何言ってるんだこの人は。そんなの屁理屈だろ。そんなこと言ったら家を一歩も出られない。いや、家にいてもそこにトラックが突っ込んできたら死ぬかもしれない。
「でもそんなこと言ったらどこにも行けないじゃないですか。計画書に何か問題があるんですか?」
「問題があるから許可できないんだよ」
「何が問題か教えてください。すぐに直します」
「すぐに答えを聞けば良いと思っているのは甘えだと思うぞ。自分で考えることもできない甘ちゃんが子供だけで旅行に行けるのか?」
 何を言っても言い返され、挙句甘えていると言われ、悔しさで体が震えて涙がこぼれそうになった。
「もういいです! 最初から、許可を出す気なんて無かったんだろ!」声を荒げて職員室を後にした。先生に反抗的な態度を取ったのはこれが初めてだった。
 職員室を出てしばらくすると少しだけ落ち着いて周りを見る余裕が出てきた。振り返るとすぐ後ろには落ち込んだ様子の河原田、その後ろには笑いをこらえている本橋がいる。
「お前何が楽しいんだよ!」
本橋の肩を突き飛ばした。
「だって、お前泣いてるからさ。しかも自立するために自転車旅行しかないという結論に達しましたって、超強引なまとめでウケたんだけど」
 本橋は尻もちをつきながらもまだ笑っている。
「ふざけんな! 俺は真剣に作ったんだよ!」
 本橋に馬乗りになり殴ろうとすると、後ろから河原田に羽交い絞めにされた。
「モト落ち着けって」
「あのな本山。大人なんてあんなもんだ。最初からOK出すより、一度NOと言うことで、どれだけ本気か試してるんだよ」制服の乱れを直しながら本橋が立ち上がった。「あと安全面でもしなんかあったら責任問題になるから面倒臭えんだ。向こうが責任取らなくて良いようにしてやりゃ行かせてくれるよ」
「そういう面は確かにあるかも。そうだな……何かあったときの救急キットと、保険証のコピー、それと親から自己責任で安全面に考慮して行くので行かせてやって欲しいと一筆書いてもらえばOKしてもらえるかもね。モト、諦めるのはまだ早いよ。それとハユ、モトに計画書作ってもらっておいて、それを馬鹿にするのは筋が通ってないと思うな」
「ああ、ついノリでふざけちゃって悪かった。本山、一緒に旅行行こうぜ」
 本橋が珍しく素直に謝った。河原田を仲間に入れたのは正解だった。河原田はしっかりと自分を持っているので簡単には流されない。
「河原田、やっぱお前なら俺と本橋のケンカを止めてくれると思ったよ」
「俺は二人のケンカの仲裁役だってこないだモトが言ってたのを思い出したんだよ」
「ありがとう。でも、それが全てじゃないよ。さっきの親に一筆もらうアイデアもそうだけど、河原田は物知りだし頼りになるから」
「それが全てじゃないよ。河原田はオレみたいに泣かないから、シクシク」
 今謝ったばかりだというのに、本橋が俺の口調を真似ていじってきた。こいつだけはマジで信用ならない。このバカの切り替えの速さを見たら怒るのがアホらしくなった。
 その晩、俺たちは親に頼んで一筆書いてもらい、計画書の持ち物の項目に救急キットと保険証のコピーを追加して、翌日再びコブシィ先生に話をしに行った。
「一亮、昨日は悪かったな。昨日はお前らがどれだけ本気か試したかったんだ。よし、ここまで色々考えて、親御さんも納得させたのなら学校側としては気を付けて行ってもらえれば良いと思う。羽目を外し過ぎるなよ」
 横目で本橋を見た。「ほらな」という表情で目配せをしている。俺と本橋は同い年なのに、なんでこいつは大人のことを余裕ぶって分析できるんだろうか。
 その日の放課後、河原田を誘って学校近くのローソンに行って、俺たち三人の分とそれぞれの親に渡す用に計画書を六部コピーしたあと、バス停裏の公園で話し込んだ。本橋も誘いに教室に行ったのだが、既に帰ったようだった。俺と河原田はポカリスウェットで乾杯して、計画書が通ったことを祝った。
「モトが頑張ってくれたおかげで旅行行けそうだね」
「本橋ってさ、なんであんなに大人をなめたような態度取れるんだろうね。最初から全てお見通しみたいな感じですかしててさ。あいつは何かに熱くなることなんてないんだろうな」
「そんなことないんじゃない。ハユだって熱くなることあると思うよ。俺見たんだ」
 河原田が見た本橋は俺の知らない本橋だった。

「去年の十二月だったと思うけど、俺がたまたま保健委員の用事があって職員室にいたら、ハユが凄い形相で『杉崎どこだ! ぶっ殺す!』と言って怒鳴り込んできたんだ。杉崎先生はたまたまいなかったんだけど、コブシィ先生や他の先生たち五人くらいで暴れるハユを止めて、その後応接室に連れていかれたんだけど、泣きながら『杉崎どこだよ、ふざけんなてめえ!』って最後まで言ってた。あとでハユのクラスの奴に聞いたんだけど、国語の授業で小説を書こうというテーマで、自分で作った物語の冒頭部分を書いて皆提出したんだけど、次の日の朝、教室の後ろの掲示板に誰かの書いた小説が名前だけ隠して貼ってあって、杉崎先生の字で《ダメな見本です。このような物を書いていてはろくな人間になりません》って書いてあったんだって。それがハユが書いたやつだったみたいで、ハユがキレて殴り込みに行ったみたい」
「マジで! ひどくない? なんでそんなこと先生がするんだよ」
「ハユがふざけて書いているのかと思ったのかも知れないけど、晒し者にするのはおかしいよね。それに小説なんだから本来かなり自由度は高いものだと思うし」
「絶対アイツ真剣に書いたんだよ。じゃなきゃあの本橋が泣きながら殴り込みなんて考えられない」
「俺さ、それまでハユとは麻雀の件で揉めた時しか接点なかったから良い印象持ってなかったんだけど、あの時のハユを見て、ちょっと見直したんだよね。だから自転車旅行にハユも来るって聞いて、どんな奴か知りたいと思ったんだ」
 俺はあいつが泣いたところを見たことがない。俺が同じことをされたら、ショックで死にたくなるくらい落ち込むと思う。あいつ強えーな。それに河原田も熱い良い奴だ。俺たち三人案外良いチームになるんじゃないか。
 その日の夜、俺は自分の計画書の持ち物に【強い気持ち】と書き足した。翌朝読み返し、恥ずかしくなって修正ペンで塗りつぶしたことは言うまでもない。
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