第1章 (2) バズ・オルドリン

文字数 3,317文字

 翌週、雨でサッカー部の練習が無くなった時間を利用して、俺たちは再び集まった。普段なら雨でサッカーができないと凹むところだが、練習や試合が続いてゆっくり旅行の計画を立てられずにいたので恵みの雨になった。
 河原田は卓球部に所属している。卓球部の部室は柔道場として使われている建物のステージ部分で、そこに卓球台がポツンと置かれており、時々マンガを読むのに疲れた部員が卓球で遊んでいる。部員も全部で五人しかおらず、ほぼ帰宅部と言っていいだろう。河原田は大抵卓球部の部室で本を読んでいるか、最近始めたギターを音楽室の隣の楽器室で弾いているか、もしくはその辺をフラフラと徘徊している。この日は楽器室にいなかったので二年の教室を順番に見ていったら三組で遊んでいた。
 三組は人が多くてうるさかったので本橋のクラスである二組に移動した。本橋は自身のロッカーからマップル東海版という地図帳を出してきた。言うだけ言ってあとは人任せかと思ったら、中々準備がいいな。小四で出会ってからおそらく初めて本橋に感心した。まあ絶対褒めないが。
「準備いいねーハユ!」
 河原田に褒められて単純馬鹿の本橋は誇らしげにマップルの浜松市周辺のページを開いて啖呵を切った。
「さあそこのキミにそちらの貴方、ここからどっちに行く? 左か右か、それとも上か」
「俺は浜松から西に行こうと思ってたんだけど、モトは?」
「河原田もか。俺も西に行こうと思ってた」
「西って左だろ。二人とも左か、じゃあ左に行けばいいよ」
 本橋はあくまで東西南北を上下左右で表現するつもりらしい。
「俺んちに集合して、舘山寺の方から弁天まで行って、あとは一番下の所に沿ってガーッと左に進んでフェリーに乗ればよくね?」
「ハユの言ったことを計画書に書ける言い方に直すと、西山町のハユの家に集合して、そこから舘山寺街道を通って舘山寺の遊園地パルパルまで行く。そこから国道323号線を南に下って、1号線とぶつかったらそこから西へ。しばらくすると道が分かれるので42号線の方に進んで、あとは伊良湖岬まで道なりで、伊良湖岬からフェリーで師崎まで行くってことだね。距離にすると約70キロ」
「お前すげえな。それでいこう! 本山、メモメモ」
「なんで俺がメモしないといけないんだよ」
「だって、俺が地図持ってきただろ。そんで河原田が何を書くか言っただろ。何もしてないのお前だけじゃん」
 ウザい。こいつやっぱりウザい。俺だってほとんど河原田と同じルートを考えていたのに。でもそれを言ったら早く言わないお前が悪いと言われそうだ。
「いや、でもそのルートだったら俺も同じようなこと考えてたんだけど」一応言ってみた。
「惜しいねえ。そういうことは早く言わないと。月面を最初に歩いたアームストロング船長は皆知ってるけど、二番目に歩いたやつのことなんて誰も知らねえのと同じだよ」
 やっぱり言わなきゃよかった。こいつアホなのにこういう無駄な知識だけは知ってるんだよなあ。
「バズ・オルドリンだよ」
 河原田が突然つぶやいた。
「何がだよ」
 本橋が河原田を睨みつける。
「月面歩行を人類で二番目にした人の名前」
 淡々と河原田が答える。
「あのねえ河原田。お前が今そういうこと言うと話がこじれるんだよ。とりあえず本山が書記やってくれるんだからバスクリンのことはもういいんだよ」
「バスクリンじゃなくてバズ・オルドリンなんだけど……」
 二人の掛け合いが馬鹿馬鹿しくて笑えてきた。「わかったわかった。俺が書記するよ」
 その後も皆でワイワイやりながら、初日は師崎港まで行くところまで決めて、宿泊先の候補を各自調べてくることにした。

 その日、帰宅した俺は、これ以上先送りにしたら余計に怒られると思い、遂に父親に旅行の許可を得るために話をした。厳格な父さんは腕組みをしながら黙って俺の説明を聞いていた。思えば、父さんに何かを頼むのは物凄く久しぶりだ。最後に頼んだのはクリスマスプレゼントにファミコンを買ってくれと言った九歳の頃だったか。皆ファミコン持っているから欲しいと言った俺に、「皆と言うのは全員のことだ。本当に全員が持っているんだな?」と返されて「やっぱりいらなくなった」と引き下がった悲しい記憶が甦った。ダメと言われるのがいつの間にか怖くなり、頼みごとをするのを諦めていたことに気が付いた。そんな俺が父親に頼みごとをしている。この自転車旅行をきっかけに何かが変わるかも、そんな期待感を抱き始めていた。

「いいじゃないか。行ってみろよ」父さんは意外にもあっさりと承諾してくれた。「どこに泊まるつもりなんだ?」
「今ちょうど初日の宿をどこにするか考えてるんだよね」
「ユースホステルはどうだ? 安く泊まれるし、飯も出してもらえるぞ」
 翌日の昼休み、ユースホステルのことを河原田と本橋に話すと、河原田が図書室に行って、師崎港から約10キロの所にあるユースホステルの情報をゲットしてきた。
「よし、これで初日はオッケー。二日目はここからどうするかだな。ずっと上に行くと名古屋があるけど、なんか都会は旅っぽくないから俺はやだな」
 本橋は地図を持ってきた以外何もしていないのだが、自分の意見だけはしっかり言う。こいつのこういう所が目障りであり、俺はそんなに図々しい人間にはなりたくないのだが、ほんの少しだけ羨ましいと思う時もある。
「俺も名古屋はスルーがいいな。夏だからキャンプ場とかもいいんじゃない」
「流石河原田、いいこと言うねえ。キャンプしようよ、キャンプ」
 本橋と河原田はすっかり仲良くなっているようだ。ユースホステルのアイデアは俺が出したのに、なんだこの俺だけほったらかされている感じは。
「キャンプ場に行ったら、女だけで来ている三人組の高校生がいて仲良くなってさ、一緒にキャンプファイヤーとかして、夜中にいちゃいちゃしちゃったりするかもよ。おいおい、どうするよ。あのぅ、その、僕は三人一辺には相手にできません… なんつって」
 本橋が妄想して浮かれている。三人組の三人共がこいつといるなら、俺と河原田は女子といないってことじゃねーか。妄想まで自己中かよ。何でこんないい加減なヤツと太田さんは付き合っているのだろう。俺なら絶対浮気なんかしないのに。
 去年の冬、本橋が三組の太田さと美と付き合い始めたと噂が立った。ちょっとだけいいなと思っていた太田さんと本橋が一緒に下校しているのを見た時はショックだった。なんか悔しいので本橋には太田さんのとのことは聞いたことがないし、今でもガセネタだと願っている。

 二日目のルートと宿泊場所をどうするか話し合っていると、図書室に置いてあった東海エリアのキャンプ場の情報誌を本橋が見つけてきて、キャンプ地が書かれている見開きの地図を見ながら、「ここにしよ!」と指さした。
「たそがれ渓谷キャンプセンター。名前もカッコいいし、テントもある、バーベキュー場もある、一日目のユースホステルから100キロくらいだし。一日で100キロ移動したって響きがカッコよくない?」
 名前がカッコいい、響きがカッコいいってイメージだけで決めちゃってバカじゃねえか。
「確かに、ここいいかもね」
 あれ? 河原田も気に入ったようだ。
 このままじゃまた本橋の意見が通ってしまう。俺も主導権を握りたい。何か決定したい。よーし……息をたっぷり吸って……行けー俺!
「じゃあここで決まりな!」
 俺の声が静寂に響き渡った。よっしゃ、本橋が言い出したことなのに俺が決めてやった。ざまあみろ!
「オッケー、じゃあ本山計画書よろしく~。今日は解散!」
 本橋は悔しがる様子もなく、解散宣言をすると、あっという間に教室を出て行った。結局何をどうやっても本橋がリーダーっぽくなってしまう。思わず舌打ちが出た。
「チッ、全くアイツは。本橋はいつも言うだけ言って面倒なことは人に任せるんだ」
「モト、俺も計画書一緒に書くよ」
 流石河原田、お前は本橋とは違う。でも…
「ありがとう。でも計画書は俺が書くよ。なんかやってみたいんだ。困ったら相談するよ」俺はワクワクしていた。自分が変われる気がした。早く新しい自分に出会いたかった。
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