終章 (1) 苛立ち

文字数 3,173文字

「ハユやばいよ、もう八時だ」
目を覚ますと河原田が俺の体を揺すっていた。軽く頭を上げて本山の寝袋を覗くとヤツはまだ寝ているようだ。一番先に寝たくせに。そう思うと悪戯心が騒いだ。自分の髪の毛を一本抜いて、そおっと本山の前まで移動して、それをヤツの鼻の穴に入れて指先で回転させた。本山の顔が一瞬歪んで、その後右手で顔の前を払った。
「フーッあぶねえ。もうちょっとで殴られるとこだった」
 間一髪で本山の右手をかわした。河原田は笑い転げている。本山がモゾモゾと寝袋の中で動き出し「あーっ! 最低な朝だ!」と薄目を開けてしかめっ面で叫んだ。
「新しい起こされ方で新鮮だっただろ?」
「お前、超ウザい」
 俺を睨む本山。俺は満面の笑みを浮かべて「本山君、おはよう!」と再び声をかけた。
「ああ、おはよう」
 ムカついてても律儀に挨拶をするところが真面目な本山らしい。
「昨日お前ら何時まで起きてたの?」本山が寝袋から這い出しながら聞いてきた。
「三時前くらい。お前も起きてればよかったのに。なあ河原田、昨日のあれはちょっと刺激が強かったよな」
「寝ようと思って寝袋の中で目を閉じたら、あの二人がしているところしか浮かんでこなくて中々眠れなかったよ」
「え、なになに? 俺が寝てから何があったの?」
 河原田が昨夜のクドウさんとヨーコさんのコインシャワーの話を本山に説明した。
「マジかよ。起きてりゃよかったなぁ。最後の親指立てたのは、絶対河原田たちが見てるのを知っててやったんだよね。カッコいいな」と本山。
「あんなカッコいいサムズアップ見た事ないよ。ターミネーター2のラストシーンを超えてたな」
 河原田が、右腕を背中側にまわして親指を立てて現場を再現した。
確かに、あの寡黙なクドウさんが、結構勝気に見えたヨーコさんをあんなに骨抜きにして、しかも俺たちに向けてメッセージまで送ってくるとは想像できなかった。アキラさんの方が断然男らしいと思っていたが、男らしさの定義を改めなければいけないと思った程だ。

 それにしても、とうとう最終日になってしまった。今日で終わってしまうのは寂しい気もするが、金も無いし帰るしかないだろう。あの家には帰りたくないが、母さんには早く会いたい。テントを出て、外の様子を眺めた。Tシャツ一枚では少し肌寒いくらいだ。大学生たちはもうとっくにラフティングに出発しているだろう。
 空を見た。真上には青空が見えるが、その向こうに巨大な灰色の雲が広がっている。
「なんか雲行きが怪しいんだけど、雨降るんじゃない? 急いで支度して出発しようぜ」
テントの中の二人に伝え、それぞれに荷物をまとめた。
「あ、バーベキュー場にアルミで包んだジャガイモ置きっぱなしだ!」
 駐輪場まで歩いている途中、本山が突然叫んだ。言われてみると確かに第一弾は皆で食べたが、第二弾はそのまま放置してしまったかもしれない。まあ、まだ分かれ道まで来てないし、ちょっと寄って拾っていけば本山も気が済むだろう。
「じゃあ、寄って行こうぜ」
 俺たちはバーベキュー場に寄ることにした。
 本山の言う通り、アルミで包んだジャガイモはかまどの片隅に放置されていた。中を開けるとジャガイモが四つ入っていた。
「よし、朝飯はこれにしよう」と本山。
「ふざけんなよ。やだよ俺」俺は反対したが、「勿体ないから食べようよ」河原田は賛同した。
「そうだよ、ちゃんと食わないとお爺さんに失礼だよ」
「爺ちゃんがくれた時点でもう爺ちゃん的には終わった話なんだから気にする必要ないだろ。半分は食ったんだし、これは捨てても罰は当たんねえよ。さっさと行かないと雨降るし」
そう説得しても本山は聞く耳を持たない。
「気持ちの問題だよ」そう言ってジャガイモをかじっている。めんどくせえ。良い子ぶりやがって。
「じゃあお前らで二個ずつ食えよ。俺は昨日の夜お前らより食べてるから、それでチャラだ」  
味も無い冷めたジャガイモなんか食えるかよ。
 二人がジャガイモを食い終わるのを待って、俺たちは駐輪場に行ってチャリにまたがった。当面は山を下るだけなので楽に行けそうだ。走り始めるとすぐに長い下り坂に入った。風を切って高速で走るのは気持ちが良い。スピードメーターに目をやると時速四十八キロを示していた。あっという間にパンクを直した老夫婦の家の辺りまでやって来た。
「昨日のお礼が言いたいからちょっと寄って行こう」
 河原田が提案した。雨が降る前にできるだけ進みたい気分だったが、あの老夫婦には世話になったので素直に従った。
 ここへ来るのは一日ぶりだったが、もっと時間が経っているような気がする。昨日も色々あったもんな。
 爺ちゃんは畑に出ていて不在だったが、婆ちゃんはいた。
「お婆ちゃん、昨日はありがとうございました。スルメやジャガイモも全部美味しくいただきました。お爺さんにもよろしくお伝えください」河原田が礼儀正しくお礼を言った。
「わざわざご丁寧にありがとうね」婆ちゃんが顔をくしゃくしゃにしてニッコリ笑ったのを見て、残ったジャガイモを食えば良かったと少しだけ後悔したが、トータルで食った数は同じなのに俺だけが悪い奴みたいな感じになってることにイラついた。
 婆ちゃんの家を出てからも下り坂は続いた。来た時の数分の一の時間で平坦な道に出た時には十時を少し回っていた。この調子でさくさく進めば二時には家に帰れそうだ。
「あそこに自販機が並んでるし、ちょっと休憩していこうぜ。ここからは下りじゃないからその前に気合入れていこう」本山が言い出した。こいつ昨日の朝高校生にプチ告白したくらいでいい気になりやがって、いつからリーダーになったんだよ。
「そうしよう。俺もレモンティー買い溜めしたいし」河原田も同調した。昨日の夜は心が通ったと思ったが、こいつも元々本山の友達だしな。俺の意見も聞かずに、二人はもう自販機にコインを入れている。なんかムカつくので、あいつらの自販機とは違うメーカーの自販機で、見たことの無いスポーツドリンクを買った。缶を開けて一口飲んだ。まずい。普通にポカリを買っとけばよかった。
「あー帰ったら、宿題しないとなあ。明日から部活も始まるし」
「俺は部活がないから逆に暇を持て余しそうだなあ」
 本山と河原田が明日以降の予定の話をしている。なんかイライラする。普通の毎日に無理矢理引き戻される感じが気に入らない。
「お盆は家族で旅行に行くんだよね。モトはどこか行くの?」
「俺は母さんの田舎に行く」
 俺の中で何かがプチッと音を立てて切れた。
「お前ら、なに勝手にこの旅終わらせてるんだよ! 帰ってからのことなんかどうだっていいだろ」
「今日で旅行が終わるんだから次のこと考えるのは当たり前だろ」本山が言い返してきた。
「うるせえ。そんな話したらもう旅行が終わるみたいじゃねーか」
「終わるだろ。だいたいお前が一番早く帰りたがってるじゃねえか」
あー、もうめんどくせえ。並んだ自販機の隅にある白い金網でできた缶入れに向かって飲みかけの缶を思いっきり投げつけた。ガシャンと音がした。
「ハユ! 昨日の約束、覚えてるよね」河原田が俺を見た。
「ああ、だから一人で帰るわ」
「これはまだケンカじゃないよ。言いたいことがあるなら言いなよ。まだ話し合いの余地があるだろ」
「ねえよ。お前のそういう分かったようなモノの言い方がむかつくんだよ!」
 俺はもう自分が止められなくなっていた。
「ハユ、待てよ」
 河原田が俺の肩を掴んできた。
「決めたことのスジは通さねえと」
 それを振り払って自転車に向かって歩き出した。
「おい、缶ちゃんとゴミ箱に入れてけよ」
 本山に言われ、一瞬ぶん殴ってやろうかと思ったが、なんとか我慢して転がっている缶を拾って缶入れの中に思いっきり叩きつけた。

 ガッシャーン。

 俺は一人その場を後にした
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