序章

文字数 1,856文字

「あーん、ダメだょ、声出ちゃう」
「ダイジョブ。カワイイヨ」
 真っ暗闇の中、俺は壁越しに微かに聞こえる男女の秘め事に全神経を集中させた。
ふざけんなよ。人ん家でセックスしてんじゃねーよ。舌打ちを打ちながらも、下半身は熱く脈打っている――――。

 泥酔した父親が、赤ら顔の金髪白人野郎と、派手な化粧をした頭の悪そうなボディコン女を連れてきたのは22時過ぎのことだった。
「ハロー息子よ!巨根のブライアンとヤリマンのミキちゃんだ」
「WHAT?」
「なにそれ超失礼なんだけど」
 毎度の事だが父親の品の無さには反吐が出る。こんな人間にはなりたいくないので、俺は相手がどこの馬の骨ともわからない酔っ払いであってもきちんと挨拶をする。
「こんばんは、父がお世話になってます」
「コニチワ。オゲンキサンデスカ?」
 外人が満面の笑みで手を差し出してきた。でけえな、190センチはありそうだ。俺も手を差し出す。痛ぇ。こいつ握力どんだけあんだよ。ミキと呼ばれた女がこちらを見ている。俺は一瞬顔をしかめそうになったが、我慢して平気なふりをした。
 見たか、外人なんて全然怖くねーし。チラリとミキに視線を向けた。ミキは1秒程俺と目を合わせたあと、アンタみたいなガキには興味が無いわと言わんばかりに、口の端をゆがめて嘲笑し視線を逸らした。俺もお前みたいな安っぽい女に興味ねーし。
 
 父親が今の店に勤め始めたのは二週間程前のことだ。最初の一週間は大人しく家に帰ってきていたが、職場に慣れたらまたいつものように毎晩飲み歩きだした。どうせあと二ヵ月もすれば上司か客と喧嘩して店を辞めてくるのだろう。
 父親は一つの職場で一年以上働いたことがない典型的な流れ板で、横の繋がりの濃い板前業界で、揉めて辞めてもすぐに次の仕事が見つかるのは腕が良いからだと、よく自画自賛しているが、短いスパンで勝手に辞めてくれるから給料を上げなくても良いし、店側にとって都合の良い存在なだけだと俺は思っている。俺が赤ん坊だった頃にはもう家には一切金を入れず、稼いだ金は全部酒とギャンブルに費やしているので、アイツが働こうが辞めようが俺や母さんにはどうでもいい事だ。

「こんな不味い物が食えるかぁ!」
 そう言いながら、台所仕事をしている母さんに向かってアイツが食器を投げつけていたのは俺が四歳の時だった。
 俺は母さんの前に立ち、小さな体を精一杯大きく広げて「やめろー!」と叫んだ。やがて母さんへの暴力は無くなったけど、代わりにアイツは家に帰ってこなくなった。たまに帰ってくるときには、俺を隣に座らせ酌をさせ、「男は強くなくちゃダメだ」「テストは100点以外取るな」「女を泣かす男になるな」と自分のことを棚に上げまくった説教をして気持ちよくなって寝てしまう。もしくは突然不機嫌になって理不尽な理由で俺を殴る。俺はアイツより最低な人間に会ったことがない。
 その最低男が、外人とバカ女を連れて今うちにいる。アイツは母さんに酒とつまみを出すように命令して偉そうにタバコをふかしている。
「母さん、こんなヤツの言うことなんか聞かなくていいよ。お前等も出てけよ」そう言えない代わりに「おやすみなさい」と言って俺は二階に逃げた。

 誰かが階段を登る足音で目が覚めた。目覚まし時計で時間を確認すると午前2時9分だった。
「お前等、あんまりでかい声出してエッチすると思春期の息子が起きるから気を付けてくれよ」
「そんなことしないしー」
 外人とバカ女を隣の空いている和室に案内しているようだ。自分より頭2つでかい外人の部下に女をあてがって一端の兄貴分気分に浸ってるんだろう。浅はかなヤツだ。
 アイツが一階の自分の部屋に降りていってから数分後、隣の部屋からは微かな話し声が聴こえ始めた。
「ココガトテモアツイデス。サワテクダサイ」
「え、チョーおっきいんだけど」
 そして俺は、殺したいくらい憎い父親が連れてきた、能天気な外人と、俺を無視した安っぽいバカ女のセックスの音を聞きながら股間をおっ立てている。
「すごい、壊れちゃうぅぅ」
バカ女の喘ぎ声が大きくなった。俺はたまらなくなって右手の速度を上げた。さと美の裸体を想像した。
 
 毎度のことだが賢者モードに入ると空しさが込み上げてくる。俺何やってるんだろ。いつになったらこのクソみたいな毎日から抜け出せるのだろうか…
「イクっ、イクっ」
バカ女はまだ喘いでいる。真っ暗闇の中、どうしようもない現実に絶望を感じて、俺は丸めたティッシュの塊をゴミ箱のある方向に投げつけ布団に潜り込んだ。
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