第2章 (4) 命がけのダイブ

文字数 3,987文字

 フェリーターミナルには本当に十分程で到着した。学校の体育館くらいの建物で、フェリー乗り場、レストラン、喫茶店、土産物屋、ゲームコーナー、トイレなどが併設されている。喫茶店にはトーストやサンドイッチくらいしか食べ物はなさそうなので、二階にあるレストランに入った。せっかくなので、窓際の席に座ることにした。伊勢湾が見渡せる。海辺には小型の漁船が並んでいて、防波堤には五、六人の釣り人の姿が見えた。フェリー乗り場にちょうどフェリーが入って来た。
「あ、時刻表見てくるの忘れちゃったね。俺見てくるよ」河原田が立ち上がった。
「あとでいいよ。昼飯は絶対食うんだから食ってから皆で見に行けばいいでしょ」
「それもそうだね」本橋の言葉に河原田が再度腰を下ろした。
「俺が本当に食いたいのは、この伊良湖丼なんだよなー」
 本橋が指さしているのはマグロとイクラ、それにウニがふんだん乗っている丼だ。値段は千五百円。
「でも予算七百円にしてるから、計画通り七百円までにしようぜ」
最初から予算オーバーで使っていると、後々困ることになるんじゃないかと思ったので待ったをかけた。
「そうだね。せっかくモトが計画表を作ってくれたから、予算通りでやりくりしてみようよ」河原田も賛成してくれた。
「予算があるのもわかるけどさ、でも七百円以下だとラーメン、そばかうどんかカレーしかないじゃん。港に来てるんだから海のものが食いたいなあ」本橋はまだ納得いかないようだ。
 俺はメニューをもう一度よく読んだ。おっ!「ラーメンは六百五十円だからあれだけど、たぬきそば、きつねうどん、カレーは五百五十円だから、予算が百五十円ずつ余るよね。その金でこの特大あさり四百五十円を三人で分けようぜ」
「モト、それは名案だよ。そうしたら海の幸が食べられるね。あさりの数もちょうど三つだし」
「本山にしては良い事言うな」
 満場一致で特大あさりを注文することにした。
 注文から三分程で、俺と本橋のたぬきそばと河原田のきつねうどんがやってきた。俺がカレーを注文しようとした時に、「明日の夜もカレーだよね」と河原田が言ってくれなければ俺は二日連続でカレーを食べる事になっていただろう。明日はキャンプ場で米を炊いてレトルトカレーを食べることになっていた。本橋なら気づいていてもわざと黙っておいて、明日の夜、「毎日カレー食ってるやつがいる」とか言って俺を馬鹿にしたに違いない。
「はい、お待たせ」不愛想なおばちゃんが特大あさりの乗った皿をテーブルにぞんざいに置いたのは、俺たちがそばとうどんを食べ終わる頃だった。
 皿に乗っている特大あさりを見て唖然とした。これが特大?! 確かに普段食べているあさりよりは一回り大きい、でもどう見ても特大には程遠い。特大あさりを注文しようと言ったのは俺だ。妙な罪の意識を感じてしまい「これ全然特大じゃないよな」と言った。
「そんな小っちゃい事言うなよ」本橋が笑った。あれ? こいつがそういうこと一番言いそうなのに。
「前にさ、うちの親と親戚とで富士山の五合目まで車で行った時があったんだけど、叔父さんが車をずっと運転してくれて、親父は到着するまでずっと後ろの席でワンカップ大関飲んでてさ。五合目の売店で、親父がジャガベーコンていう、小ぶりのジャガイモ三つを串刺しにして、その間に厚切りベーコンが挟んである見本の絵が描いてあるのを注文したんだよ。そしたら、出てきた現物がジャガイモは絵と同じくらいだったんだけど、ベーコンはほとんど見えないくらい小さくて、そしたら親父が店員に、『おいっ、どこにベーコンがあるんだ?』と言い出して、店員は『こちらです』と言って小さいベーコンを指さしたら親父がぶちキレて、『この絵と随分大きさが違うよな。詐欺じゃねーかコラァ!』って因縁つけ始めて、店員にその場で絵を描き直させたんだよ。超恥ずかしかった。だから俺はそういうせこいことは絶対に言わないようにしてるんだ」
「いや、別に俺は因縁とかつけるつもりは全然ないよ」
 なんだよ、気を使って言ったのに、俺が小っちゃな人間みたいになってるじゃないか。俺は気分が悪くなって、レストランを出るまで一言も口をきかなかった。
 レストランを出た俺たちは、すぐにフェリーの到着時間を確認しに行った。現在午後一時五分。次のフェリーは二時ちょうどまで待たないといけない。レストランで河原田が言った時に時刻表を見に来ていれば、レストランを早めに出て一時ちょうどのフェリーに飛び乗れただろう。
「誰かが時刻表見に行かなくて良いとか言うから一時間も待たないといけなくなったね」先ほどのレストランでの一件を引きずっていた俺は本橋に絡んだ。
「お前何言ってんの? お前だって納得したから見に行かなかったんだろ。因縁つけてくんなよ」本橋と目が合った。このままじゃ殴り合いになってしまう。
「過ぎたことはしょうがないから、その辺を散策しようよ」俺たちをなだめるように、河原田が提案した。今のは明らかに俺が悪かっただけに河原田に感謝した。
「さっきレストランから見えた防波堤に行ってみようよ」俺と本橋の険悪な雰囲気を何とかしようとしてか、河原田が珍しく先頭に立って防波堤に向かって歩いていった。防波堤には数人の釣り人が竿を出して当たりを待っていた。
「ここら辺は何が釣れるんですか?」河原田が一番手前にいたフィッシングベストに中日ドラゴンズのキャップを被ったおじさんに尋ねた。
「ああ、この辺は今はマダイ、マゴチ、イサキ、アジかな。ヒラメなんかもたまに釣れるな。今日は数はぼちぼちだけど、珍しくクロダイが釣れたよ」そう言っておじさんはクーラーボックスを開けて中を見せてくれた。マゴチが二匹、マダイが一匹にアジが一匹、そして頭から尻尾まで三十センチ以上あるクロダイが一匹入っていた。
「うわぁ、立派なクロダイですねえ」河原田が感嘆の声をあげた。
「刺身でも美味いけど、塩焼きにしてすだちを絞ると美味いよぉ。日本酒に合う。ああ君らはまだ飲めないな」おじさんは前歯の無い口を大きく開けてガハハハと笑った。
「俺釣り竿持って来たんだけど、今から釣る時間はないよなあ」と本橋。
「あと四十分でフェリーが出ちゃうからちょっと無理だよね」河原田が答える。
「君らはこの辺の子じゃないの?」
「僕たちは浜松から自転車で来ていて、これから知多半島にフェリーで渡って、二泊三日で浜松に戻るんです」ずっと黙っていたら、二人にまだ怒っていると思われるので俺が答えた。
「そりゃ大したもんだ。知多半島でも同じような魚が釣れるから時間があればやってみたらいいよ」
 笑顔のおじさんと接していると些細なことで不機嫌になったのがアホらしく思えてきた。
 俺たちはおじさんにお礼を言って、防波堤の先端まで進んでみた。この防波堤は海岸から100メートルほど伸びていて、高さも5メートル近くありそうだ。先端から20メートルくらい離れた海を見ると魚の大群が泳いでいた。
「あれは多分アジの群れだね」河原田が呟いた。
「やっぱ小遣いから金足して伊良湖丼食べとけばよかったな」
 魚を見て食欲が刺激されたのか、本橋が昼飯の話を蒸し返した。普段から本橋の金銭感覚は俺よりかなりルーズで、いつも予算ギリギリの金額で何を買うか悩んでる俺を尻目に、金額をさほど気にせず欲しい物を買っている。
「本橋、お前小遣い月いくらもらってるの?」
「お前は?」
「俺は月三千円で、それ以外にサッカーシューズを買う時とか、どうしても必要な物があればその都度相談することになってる」
「うちは月六千円」河原田も会話に入ってきた。
「俺は毎日千円で、部活のあとの腹ごしらえとか、土日の昼飯代とか全部自分で出すことになってる。俺鍵っ子だから」
「月三万かよ。羨ましいなあ俺の小遣いの十倍だぜ」
 俺のこの一言に本橋が突然キレた。一瞬で本橋の目が吊り上がり、「羨ましいなら、ここから飛び降りてみろよ。できたら一万円くれてやるよ、この貧乏人が」と突然挑発してきた。
「防波堤の周りは岩場になってて今潮が低いから危ないよ」
「大丈夫だって、こいつそんな根性ねえから」俺の中で何かがプチっと切れた。
「おういいよ、飛び込んでやるよ」
「上等だよ。早く飛べよバカ」
 これ以上こいつになめられる訳にはいかない。背負っていたリュックを降ろして着ていたTシャツを脱いだ。
「見とけよ」防波堤の際まで歩を進める。心臓がバクバク言っている。
「本山、待てっ」本橋が俺の腕を掴んだが、思いっきり振り払った。
「モト、止めようよ」河原田も止めに入った。
「本山、俺が悪かった。危ないから飛び込まないでくれ」
 本橋が真剣な表情で謝ってきた。しばらくもみ合いになったが、段々馬鹿らしくなってきて怒りが静まってきたので飛び込むのを止めにした。内心ホッとした自分がいた。
「ハユ、もしモトが本当に飛び込んだら死んじゃったかもしれないんだよ。冗談でも言って良い事と悪い事がある」河原田が本橋をたしなめた。
「ああ、ごめんごめん」
 本橋の一応謝ってやっていると言わんばかりの態度に、河原田が今度はきつい口調で言った。「二度とやらないと約束してよ。俺は旅を楽しみたいんだ。くだらない理由でケンカして険悪な雰囲気になるのも迷惑だし、怪我人が出て台無しにはしたくない」
「わかったよ。もし同じようなことしたりケンカしたら俺だけ旅を止めて一人で帰るから」本橋が真剣な表情でそう言ったことで、ようやく河原田も納得した。
 河原田がいてくれて本当に良かった。もし本橋と二人だったら、今頃伊勢湾に血まみれで浮かんでいたかもしれない。
「やばい、もう一時五十分だよ。戻ろう」
 腕時計を確認した河原田が慌てた表情で号令をかけた。走らないと間に合わない。俺たちはダッシュでフェリー乗り場へ向かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み