第3章 (3) ヒロシ

文字数 4,394文字

 正午を回ったので、何か食べようという話になり、俺たちは通り道にあったローソンで食料を調達した。ハユはざるそば、モトは焼きそば、俺はナポリタンスパゲティを買ったが、からあげ君は三人全員が買った。ローソンの近くの空き地で食べた。からあげ君はハユとモトが部活帰りによく買っているらしく、初めて食べたが確かに美味い。ずっと自転車を漕いで消耗しているから余計美味しいのだろうか。今度は運動していない時に食べてみよう。きっとこれほど美味しくはないのだろうけど。
 それにしても、自転車移動の二日目がこれほどきついとは想像していなかった。四時間半で五十キロしか進んでいない。あと五十五キロもある。湿布が効いてきたのか、身体が温まったからなのか、はたまたハユのエロ話のおかげか、今朝よりは筋肉痛が楽になっているのがせめてもの救いだった。本日早くも三本目のレモンティーを飲みながら、後半も頑張るぞと自分を奮い立たせた。
「なんかデザート食べない? 俺ガリガリ君が食いたい」再び走り始めて三十分もしないうちに、ハユが言い出した。今のペースを考えると休んでいる場合ではないが、筋肉痛に加えてこの暑さだ。アイスの誘惑は強かった。俺たちは通りすがりのドミーというチェーン店らしきスーパーに寄ることになった。
 他に特に目的もなかったので、真っ直ぐにアイスクリーム売り場に行った。ラインナップが充実していて思わず迷う。
「やっぱガリガリ君やめよっかな」ハユも気持ちが揺れているようだ。結局俺はパナップのいちご味、モトはピノに決めたのだが、ハユはまだ悩んでいる。
「うーん、悩むけどこれにしよ」最終的にハユはジャイアントコーンを選んだ。
「僕もこれがいい!」その時、ハユの隣に突然現れた五歳くらいの男の子がジャイアントコーンを持ってハユに話しかけた。
「誰だよお前?」ハユが尋ねると男の子は「ナカヤマヒロシ!」と答えた。
「いや、そういうことじゃなくて、俺はお前のことなんか知らないし。お父さんとお母さんに頼めよ」
「ママたちはおうち」
「じゃあ家に帰って、ママに相談しな。じゃあな」
 ハユは男の子にそう言うと、俺たちに向かって「行こうぜ」と言ってレジに向かった。
 レジは混んでいてどの列も並んでいた。
「どのレジが一番早く進むか予想して並ぼうぜ」
 俺たちは思い思いの列に並んだ。支払いは俺が一番最初に終えて、次にモトが来たので、二人でハユの並んでいる列のところに移動した。ちょうどハユの順番になっていた。
「いらっしゃいませ。こんにちは」パートのおばちゃんがジャイアントコーンをバーコードリーダーに当てている。
「こちらもですねー」おばちゃんはそう言ってもう一つジャイアントコーンを手に取った。ハユの後ろにさっきの男の子が隠れていた。
「お前何なんだよ!」
「ナカヤマヒロシ!」
「だからお前の名前じゃなくて」
「お客様、こちらはどうされますか?」次の客が並んでいるので、パートのおばちゃんが急かしてくる。
「え、あ、うーん、じゃあそれも」
 ハユは渋々男の子のアイスのお金を払って、俺たちのところにやって来た。後ろに男の子もついてきている。とりあえず俺たちはスーパーを出て、駐車場の入り口にある木が植えてある芝生のスペースに座ってアイスを食べることにした。
「ほら食え」苦虫を噛み潰したような顔をしたハユが男の子にアイスを渡した。
「ありがとうお兄ちゃん」男の子は嬉しそうに笑った。
「俺はお前の兄貴じゃないんだよ! お前マジでなんなんだよ」
「ナカヤマヒロシ!」
 ハユとヒロシ君のやり取りは面白かったけど、先を急がないといけない。でも置き去りにするのは気が引ける。
「ねえヒロシ君、ここにはおうちの人とは来てないんだよね?」
「うん」
「おうちの場所はわかる?」
「わかんない」
「どうしてここにいるの?」
「パパが公園で遊んで来いって言った」
「どこの公園?」
「おうちの近く」
「ここからおうちは近いの?」
「わかんない」
「今お母さんはどこにいるの?」
「おうち」
なるほど、段々と状況が見えてきた。
「幼稚園か保育園には行ってるの?」モトもヒロシ君に尋ねた。
「うん、タンポポ保育園」
 今日は水曜日なのでやってる筈だ。
「あっ!」
 その時、ヒロシ君の手からジャイアントコーンが逆さにこぼれ落ちた。アスファルトに逆さに落ちてしまったので、上のアイスの部分は全滅だ。
「大丈夫、まだ食べれるよ」モトがピノに付いていた爪楊枝を使って、地面についた部分を切り取ってヒロシ君に渡したが、見る見るうちにヒロシ君の目に涙が溢れた。
「やだーっ! 半分になっちゃったー」駄々をこね始めてしまった。
「おいヒロシ! 俺のやるからもう泣くな。これ以上泣いたらぶん殴るぞ」ハユがヒロシ君の半分になったジャイアントコーンと自分のものを交換した。
「優しいなあ本橋、本当にヒロシ君の兄貴みたいだぞ」モトがニヤニヤして冷やかしている。
「ギャーギャー泣かれたらうるさいからな」ハユは不満そうに下唇を突き出した。
「とにかくタンポポ保育園に連絡してみようよ。俺電話番号調べてくるよ。モトも一緒に来て。もし保育園が近くならスーパーの店員に場所を聞きに行って欲しいんだ」
 モトと一緒にスーパーに設置してある公衆電話に移動して、電話帳でタンポポ保育園の電話番号を調べて電話をかけた。住所を見ると、そんなに遠くなさそうなので、モトにスーパーに行って行き方を聞くように頼んだ。
「はい、タンポポ保育園です」女の人が電話に出た。
「あのう、僕は河原田という中学生なんですが、ナカヤマヒロシ君という子が、迷子になっててドミー福岡店の所にいるんです。親に公園で遊んで来いと言われてここまで来てしまったみたいなんですよ。それでタンポポ保育園に通っていると言っているので電話したんですが」
「それはご親切にありがとうございます。ドミー福岡店ですよね~。ヒロシ君、結構歩いたわねえ。どうしようかしら」
「住所を見ると、ここからそんなに遠く無いですよね。僕たちがこれからそちらに連れて行きますよ」
そう言って電話を切って皆の所に戻った。アイスを食べ終えたヒロシ君はハユと戦いごっこをしていた。
「ヒロシ君、タンポポ保育園の先生が来ていいよって言ってたから、俺たちと一緒に行こう」
 俺たちはモトが戻ってくるのを待って、自転車にまたがった。モトが聞いてきた話だと、タンポポ保育園には十分くらいで着くそうだ。ヒロシ君はハユの自転車のサドルに乗っけてもらって、ハユは後ろの荷台にお尻を乗せてペダルを漕いでいる。
「ヒロシ、お前仮面ライダー観てる?」
「今は仮面ライダーやってないよ。ブラックとか知ってるけどね」
「そっか、今って仮面ライダーやってないんだなあ。俺がヒロシぐらいの時にはスーパー1ていう仮面ライダーが流行っててさ、スーパー1のヘルメット被って、近所の兄ちゃんにこうやって自転車のサドルに乗せてもらって、ライダーバイクに乗ってる気分になって遊んだんだぜ」そう言うとハユは自転車のスピードを上げた。
「どうだ、仮面ライダー気分になるだろ?」
「すげーっ! ジェットスピーダーみたい!」ヒロシ君は大興奮だ。
「なんだそれ?」
「鳥人戦隊ジャットマンのバイク。僕ジェットマンになりたい」
「お前がずっとなりたいって思ってたら絶対なれるよ、だからその為に一生懸命努力しろ」
「努力って何?」
「ジェットマンになるために頑張ることだよ。なにすりゃいいかはわからんけどな」
「お兄ちゃんもわからないのに僕できないよ」
「できないって自分で決めるんじゃねえ。俺はジェットマンになりたいと思ったことがねえからわからないけど、とにかく思い続けてたら何をすればいいかも見えてくるよ。わかったか」
「うん、わかった」
 最初はウザがっていたのに、ヒロシ君の境遇にシンパシーを感じたのだろうか。モトじゃないけど、二人が本当の兄弟のように見えた。
 俺たちがタンポポ保育園に到着すると、門の前に三十代と五十代くらいの女の先生が立って待っていた。
「ヒロシくーん、心配したわよー」
若い方の先生がすぐにヒロシ君を抱きしめた。
「ご親切にどうもありがとうございました。ヒロシ君、お兄ちゃんたちにありがとうは言ったかな?」
年配の先生に促されヒロシ君が「ありがとう!」とお礼を言った。
「元気でねー」
 俺たちも旅に戻らないといけない。保育園を出ようと思った時、保育園の前に軽自動車が止まって中からサングラスをかけた茶髪の派手な女が飛び出してきた。
「ヒロシ! あんたどこまで行ってたの! 公園で遊んどけって言ったじゃないの! ご迷惑をお掛けしました」そう言うと女はヒロシ君の手を引っ張って足早に車に戻ろうとした。
「ちょっと待てよ」ハユが女に話しかけた。
「あなた何?」女の足が止まる。
「この方たちがヒロシ君を連れてきてくれたんです」先生が説明をした。
「ああ、それはありがとうございました」そう言うと女はすぐに踵を返して車に歩き出した。
「待てよ! お礼とかどうでもいいからちょっとだけ話を聞けよ」ハユが女に詰め寄った。
「俺の親父は飲んだくれで、稼いだ金全部自分で使って飲み歩いてるか、たまに帰ってきたら俺や母さんに暴力を振るう最低なヤツで、俺はいつかぶっ殺してやろうと思ってる。そんな俺が何とかぐれずにやってるのは、母さんだけはいつも俺の味方でいてくれたからだ」
「マザコン坊やの家庭環境なんか興味ないんだけど」女が冷めた目で薄笑いを浮かべている。
「大きなお世話かもしれないけどさ、怒鳴る前に、一人にさせてゴメンねって抱きしめてやってくれよ。いつもヒロシの味方でいてやってくれよ。甘えたいんだよ。頼むからこいつのこと一番に考えてやってくれよ」
 ハユの懸命な訴えも空しく、女はハユを睨みつけ、ヒロシ君の腕を引っ張り連れ去って行った。
 ハユが父親について喋るのを初めて聞いた。腎臓病の母親と飲んだくれの父親、ハユの家庭環境が気の毒に思えた。

 俺たちも保育園を出発して旅に戻った。道中、ハユがヒロシ君の話をした。
「お前らが保育園に電話しに行ってる時にあいつと色々話してさ。ヒロシのパパっていうのが、多分籍とか入れてないあの女の彼氏で割と最近一緒に住み始めたらしい。そんで、いつもヒロシだけ別の部屋でゲームボーイをさせるか、昼間は今日みたいに公園に行けと言うんだってよ。ヒロシはゲームをたくさんさせてくれるからパパが好きって言ってたけど、そいつは単にあの女とやりたいだけだろ。金も稼いでないヒモかもな。で、あの女はヒロシより男の方が大切になっちゃって男の言いなりになってるってわけ。くだらねえよな。ちゃんと親できないなら産んじゃダメだろ。ヒロシがくそみたいな生活からいつか抜け出せるといいけどな」
 きっとハユも抜け出したくてもがいているのだ。
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