第3章 (4) イーシャンテンくらいだよ

文字数 3,695文字

 ヒロシ君の件でだいぶ時間を食ってしまった俺たちが国道1号線に辿り着いたのは、午後二時半を回った頃だった。自販機があったので、恒例のレモンティータイムを取ることにした。モトとハユも今日はずっとレモンティー飲んでいる。俺がきっかけで小さなブームが起こっていることに少し満足感を感じながら、これからの流れをイメージした。ここからたそがれ渓谷キャンプセンターまではあと三十七キロもある。しかも後半はかなりきつそうな山道だ。
「河原田、到着は何時くらいになるかわかる?」ハユが聞いてきた。
「あと三十七キロ、後半きつい山道、最低でもあと四時間半はかかると思う」正直に答えた。
「結構やばいね、着くの夜になっちゃうかもな」モトも不安そうだ。
「まあでも、誰かと待ち合わせをしている訳じゃないから気楽に行こうよ」
 できるだけ皆の空気を重くしないように明るく努める一方で、パンパンに張っている俺の足に限界が近づいてきていることも感じていた。今日頑張れば明日は下り坂も多く、距離的にも六十キロ程なので何とかなるだろう。とにかく今日だけ、あと少しだけ。
「河原田、ヒロシの件もあってだいぶ遅れてる。正直ここからもお前のペースに合わせて行くと何時になるかわからない。だから今日キャンプ場に着くまで俺のチャリと交換しないか?そうしたらかなり楽になると思う」ハユが自転車の交換を申し出てくれた。申し訳ない気がするが、ハユの高性能自転車に乗れると思うと気持ちがだいぶ楽になるのも事実だ。
「ありがとう。実は足がもう限界なんだ。ハユの自転車に乗らせてもらっていいかな」
 俺とハユは自転車を交換した。
 ハユの自転車はかなり快適だった。感覚的には今までの半分くらいのパワーで同じくらい進める気がする。県道332号線の約十キロはあっという間に走り切った。県道21号線に入った時点で時刻は午後三時二十五分。
「ハユ、ありがとう。かなり楽になったよ」
「俺も自転車のおかげで楽させてもらっていたのを実感したよ。本山はこのチャリでよく平気な顔して乗ってるよな。すごいわ」
「まあスタミナは自信があるからな」
 珍しくハユに褒められてモトが頬を赤らめた。
 実際モトは中学の千五百メートル走でもずっと学年一位だ。ハユは二十何番かだったと思う。でも中一の時にはハユは学年二位で、今年のタイムは去年よりも遅いことを俺は知っている。一生懸命走ることがバカバカしくなってしまったのだろうか。それでも俺より遥かに速いのだけれども。
 その後、褒められて勢いづいたのか、モトが快調に飛ばし始めてあっという間に俺とハユからは見えないところに行ってしまった。そして、キャンプ場まで残り十四キロ程の地点で事件は起こった。
 俺とハユが一緒に県道21号線と国道301号線がぶつかるポイントを目指して自転車を漕いでると、ずっと先にスイスイ進んでいた筈のモトが情けない顔をして座り込んでいるのが見えた。
「調子に乗って飛ばしてたら後輪がパンクした。さっき歩いている人にこの辺に自転車屋が無いか聞いたら、国道1号線まで出ないとないって」モトは今にも泣き出しそうだ。
おっ、万が一の為に持って来たパンク修理キットの出番が来たぞ。ちょっぴり嬉しくなってテンションが上がった俺は、モトを驚かせてやろうと思い一芝居打つことにした。
「そっか、ここから1号線まで戻ってパンクを直してからキャンプ場に行くと……そうだな、着くのは八時半過ぎかな。真っ暗な山道を走ることになる」
「マジで?! どうしよう。俺のせいで……」
「俺は疲れたからここで待ってるよ」疲れているのは本音だ。
「河原田、お前ちょっと冷たくねえか! 普通一緒に行くだろ」
俺の言葉にモトより先にハユが反応した。しょっちゅうケンカしているくせに、なんだかんだ言ってハユはモトのことが好きなのだ。
「なーんちゃって。実は俺、そんなこともあろうかとパンク修理キットを持ってきてるんだ」
「マジで! 俺完全に終わったと思ったよ。流石河原田さん、師匠と呼ばせてください!」モトが安堵の表情を浮かべた。
「本山、調子に乗って飛ばしてたけど結局パンクで追いつかれて、ウサギとカメのウサギ状態だな」ハユはモトに憎まれ口を叩いている。さっきモトを庇った照れ隠しだろう。
「パンクを直すには、洗面器的なものと水が必要なんだ」
 俺がそう言うと、ハユが走って近隣の家に聞きに行ってくれた。数は多くないがポツンポツンと民家が見える。十分程でハユが戻ってきた。
「親切そうな婆ちゃんが貸してくれるって」そう言って、五十メートルくらい離れた民家まで俺たちを誘導した。
「こんにちはー」
 俺たちが挨拶をすると、大きいが古い民家から白髪の小さなお婆さんが出てきた。
「パンクしちゃったんだって。はい、洗面器。水はそこの蛇口をひねってね。やることない子は玄関に入ってジュース飲みなさい」
 再び民家の中に消えたお婆さんは、しばらくしてパックの100%フルーツジュースを持って戻ってきた。
「僕アップスジュースいただきます」ハユはもう一仕事終えた顔をしてジュースを手に取った。
 さて、パンクの修理である。まずはタイヤを金属の部分から外さないといけない。バルブを固定しているナットを外し、タイヤと金属部分の間にレバーを差し込んで隙間を作る。そして、もう一本レバーを使って少し離した位置に差し込み、そのまま片方のタイヤレバーをずらしてぐるっと一周させ、タイヤの片側を全て外す。その後チューブを引っ張り出し、石や釘がささっていないか確認した。問題なし。
 次にバルブを戻し、空気入れでチューブに軽く空気を入れる。ここで水をはった洗面器の登場だ。ここにチューブを浸けていくと、穴が空いている箇所からはブクブクと泡が出る。一か所発見した。チューブを水から出し、穴の開いた部分周辺の汚れや水をよくふき取りヤスリをかける。そこに専用の糊を付けて、パッチを貼ってチューブを戻せば修理完了だ。
「ホントありがとう。手際の良さが自転車屋レベルだわ。助かったよ」俺の作業を黙って眺めていたモトが感心したように言った。実は、実際にパンクを修理したのは初めてだった。説明書を読んでイメージトレーニングをしておいた成果が出た。手先の器用さには自信があったので、それが役に立ったのがなんだか無性に嬉しかった。
 俺とモトもジュースをいただくことにした。玄関ではお婆さんとハユがゲラゲラ笑って話している。
「おばちゃん麻雀するの?」ハユが玄関から見える部屋を覗いて尋ねた。
「ああ、あれはね、昨日お爺さんが友達を呼んでやったの。人数が足りないと私もやらされるんだけど、本当は私の方が強いんで、わざと負けてあげるのが大変なのよ」
「そっか、すげえな。今日は旦那さんは仕事?」
「農家をやってるから今は畑に出てるのよ」
「旦那さんの留守中に若いツバメを三人も家に入れちゃって、今旦那さんが返ってきたら修羅場だよ」
「ヒャッヒャッヒャッ、この子は口が達者だねえ。わたしゃもうそんなことする元気はないよ。あの世にリーチがかかってるから」
「そんなことないよ。イーシャンテンくらいだよ」
 イーシャンテンというのは、あと一手でリーチという状態のことを指す麻雀用語だ。つまりあの世に行くまであと二手だとハユは言っているのだ。俺にはそんな失礼なことは絶対に言えない。でもハユが言うとなんだか上手いこと会話が盛り上がる。
「あんたはほんっと面白い子だねえ」
 お婆さんはご機嫌になって、今夜食べなさいとスルメイカの干物をハユに渡していた。ハユの大人とのコミュニケーション能力は非凡だ。兄弟もいないハユが、大変な家庭環境を独りで生き抜くために身に付けた処世術なのだろうか。
 その時、車の音がした。
「あら、お爺さんが戻ってきたみたい」
 お爺さんは、小柄だが髭もじゃで達磨のような顔をしていた。作業着に長靴を履いて両手で大きな紙袋を抱えている。血管の浮き上がった太い腕がこれまでの生き様を表しているかのようだ。
「今日はジャガイモをたくさん採ってきた」そう言って、ズシンと袋を玄関に置くと、俺たちのことに気付いたので、「お邪魔しています」と頭を下げた。
 モトがこちらに来た経緯をお爺さんに説明した。
「まだ中学生なのに自分らだけで旅行とは偉いなあ」お爺さんが褒めてくれた。「イモやるからホイル焼きにでもして食え」採れたてのジャガイモをビニール袋に詰めてお土産にしてくれたお爺さんから夢のような提案があった。
「今からたそがれ渓谷まで自転車だと二時間近くかかるぞ。車なら二十分くらいだ。自転車ごと乗せていってやろうか?」
俺たちは三人同時に「よろしくお願いします!」と頭を下げた。これ以上自転車に乗らなくて良いのだ。心底ホッとして涙が出そうだった。
「僕が一番体力がなくて、今日も朝から皆に迷惑かけていたんです。本当にありがとうございます」
「一生懸命に正々堂々生きていれば、困難にぶつかっても何とかなる。キミは頑張った。だから今ここにいる」そう言ってお爺さんは笑った。お爺さんが神様に見えた。
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