第2章 (2) 我儘な一人っ子

文字数 2,235文字

 本橋の家には六時五分前に到着した。もう既に河原田は到着していて本橋のお母さんと家の前で談笑している。河原田はLeeのグレーのTシャツに、ベージュのチノのハーフパンツ、頭にはバンダナを巻いている。背中にはノースフェイスの大きな登山用リュックを背負っている。
「おはようございます」
「本山君おはよう。ごめんね、悠紀彦がまだ準備が終わらなくて待たせちゃってるの」
 本橋のお母さんは美人の部類だと思うが顔色が悪く幸が薄そうな顔をしている。
「全然大丈夫です。六時出発と言っていたんでまだ五分ありますし」
「ごめんね。我儘な一人っ子だから」
 以前本橋からお母さんは腎臓病で二日に一回通院しないと死んでしまうのだと聞いたことがある。本橋の家には小学生の頃からよく遊びに行っているが、本橋のお母さんはいつも笑顔で接してくれる。この人が二日間病院に行かないと死んでしまうことが信じられない。その一方で明らかに普通の人とは違う顔色を見ると、それが事実だという重い現実をリアルに感じてしまうので、本橋のお母さんのことはできるだけ何も考えないようにしていた。
「おはよ。待たせたな。行こうぜ」
 デニムのハーフパンツに白いTシャツ、頭には黒のヘアバンドをした本橋が家から出てきた。背中にはOUTDOORのリュックを背負って、右手には同じくOUTDOORのダッフルバッグを持っている。
「それじゃあ行ってきます。母さん、身体に気を付けてね」
 お母さんに向けた本橋の声は今まで聞いたことがない優しい口調だった。
「気を付けてね。二人とも悠紀彦をよろしくお願いします」
 俺たちは本橋のお母さんに挨拶をして自転車に飛び乗った。
 本橋の家から数百メートル進んだ分かれ道、先頭にいた本橋が目的地に行くには遠回りになる方に曲がった。
「こっち?」
「ああ、寄りたいところがあるからちょっとついてきてよ」
 本橋は割ときつい傾斜の坂を自転車のギアを軽くして楽々と座りながら登り、俺と河原田は必死で立ちこぎをして本橋を追いかけた。俺と河原田の自転車は年季の入ったロードマンだ。一応スポーツ自転車のカテゴリーには属しているが、その中では最安価のもので、本橋の自転車とは2ランクくらいの差がある。本橋のメタリックブルーの自転車が一層輝いて見えた。
 坂を登り切ると、そこから五十メートル程進んだ惣菜屋「あさひや」の前で本橋は自転車を降りた。
「俺朝飯食ってないから、ちょっと食わせてよ」
 朝飯くらいちゃんと食っておけよと思ったが、いきなりケンカするのも嫌だったので一緒に店内に入った。
「すみません。味噌焼肉弁当三つください」
 本橋がなぜか弁当を三つ頼んでいる。
「ハユ、俺朝飯食べてきたよ」
 河原田が慌てて言った。
「まあまあ、成長期なんだから食っとけよ。母ちゃんから何もしてあげられないから朝ごはんくらいご馳走してあげてくれって金もらってるんだよ」
病気のお母さんが気を使ってくれたのだと思うと断るのも悪い気がして、俺も一緒に弁当を食べることにした。
「これマジ美味いから」
 本橋はそう言うが早いか蓋を開けて、すごい勢いで弁当をかっこんでいる。
「確かに美味い!」
 河原田も満足そうだ。俺も食べてみた。肉がすごく柔らかく味噌だれが後を引く。これなら二度目の朝食でも全然いける。
「ごめんな。朝飯食ってたのに。うちの母ちゃん身体がしんどいからさ、つい金でなんとかしようとしちゃうとこあんだよね」
 弁当を半分くらい一気に食べて落ち着いたのか、本橋が話し出した。
「いや、そんなことないよ。ありがたいよ」
 本橋のお母さんを悪く言いたくない一心でそう答えた。続いて河原田も口を開いた。
「ハユのお母さんって病気なの?」
 そういうことストレートに聞いちゃうんだ。
「ああ、うちの母ちゃん腎臓病なんだよ」本橋は顔色一つ変えないで返答した。「二日に一回病院に行って、人工透析して体中の血液を綺麗にしないと死んじゃうんだ。元々腎臓があまりよくなかったらしいんだけど、俺を産んだ時に悪化して、その結果腎臓病になった。さっき見たと思うけど、顔色悪くて顔が少しむくんでただろ。あれ人工透析の副作用。毎回何本か腕に針刺してるから、腕も穴だらけでさ。昔はすごい綺麗で芸能界にもスカウトされたくらいだったんだぜ。でも今じゃ病院通いで、食事制限で飲み物もろくに飲めない。好物のメロンだって月に一度、ほんのちょっとしか食べられないし」
「全然知らなかった」河原田はショックを受けているようだ。俺もお母さんの病気は知っていたが、食事制限や腕に無数の針の痕があることは知らなかった。
「まあ、生きてりゃ色々あんだよ。今日から三日間は余計なこと考えず純粋に旅を楽しみたいと思ってるんでよろしく」そこまで言うと本橋は残っていた味噌焼肉弁当を再び食べ始めた。俺の母さんが同じような病気だったらと想像すると、どんよりした気持ちになる。この旅行が本橋にとって良い気分転換になることを願った。
「よし、じゃあ三日間、普段の生活は忘れて楽しもうぜ」
「うん、絶対に三日間やりきろう」おそらく河原田も俺と同じ気持ちでいるのだろう。
 本橋が弁当を食べ終わって、右手の甲で口の周りを拭った。
「さあ、俺たちの旅の始まりだ!」まだ俺と河原田は食べているのに、本橋は自分だけ店を出てしまった。相変わらず自分本位な本橋の行動に普段ならムカついている場面だが、この時ばかりは、今のままお前らしく頑張れよと応援している自分がいた
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