第1章 (1) 自転車旅行は突然に

文字数 4,573文字

 本橋悠紀彦(ゆきひこ)から自転車で旅に出ないかと誘われたのはゴールデンウィーク最終日、サッカー部の練習後の帰り道だった。学校の近くにある駄菓子屋でペヤングソース焼きそばを食べながらみかん水を飲むのが俺たちのお決まりコースだ。店の奥にある部屋から、流行中のドラマの主題歌が微かに聴こえる。ラジオかな。あのドラマみたいに俺と同じクラスの長野さんとのラブ・ストーリーも突然始らないかな、なんなら明日にでも… そんな妄想をしていると本橋が突然切り出した。
「あのさ本山、チャリで旅行行こうぜ」
「ん、突然なんだよ。二人で行くのかよ?」
「いや、別に二人じゃなくてもいいよ。俺そっちの趣味はねえし、最悪そっちでもお前は選ばねえけどな。とにかくチャリでどっか行くんだよ。子供だけでさ」
 いつもの事だけど本橋のしゃべり方には無駄に毒が含まれている。
「俺もお前は選ばねーし。それは置いといて中学生だけで旅行ってしてもいいのかな?」
「ゲイなの隠しておけば別にいいんじゃね。まあ考えてといてくれよ」
「ゲイじゃねーから!」

 その時は、それだけで話が変わって、俺たちはロベルト・バッジオが移籍したユベントスで活躍できるのかを熱く語り合った。サッカー部の先輩が持ってきて放課後に理科室で観たセリエAの総集編のビデオが、俺が初めて観たヨーロッパのサッカーだった。本橋とは小三で初めて同じクラスになって仲良くなって以来、小四で一緒にサッカー部に入って、今も同じ中学のサッカー部に所属している。時々いじられて馬鹿にされたりしてムカつくこともあるけど、人懐っこい所もあって、なんとなく一緒にいることが多い腐れ縁だ。
「お疲れ。じゃあな」
軽く手を挙げた本橋は自転車にまたがり颯爽と帰って行った。本橋の家は学校からバスで三十分弱の所にあるが、中二になってからは校則で禁止されているのにも拘らず自転車通学をしている。本橋のチャリは中学の入学祝いに買ってもらった二十四段変速のツーリングバイクだ。自転車旅行かあ。ちょっと楽しそうだけど、俺のオンボロ自転車で行けるのかな。

 翌日、連休明けでおよそ一週間ぶりに中学に行った。校庭の隅に生えている桜の木の葉が、五月晴れの太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。チャイムが鳴り、一時間目の授業の教科書を机の上に出して準備をしていると、遅刻ギリギリで本橋が駆け込んできた。
「おい、旅行どうなった? お前の親いいって?」
「あれマジだったんだ。まだ聞いてないよ」
「当たり前だろ。お前の親許してくれないかな?」
両親は二人とも中学校の教師をしている。中学生として非常識なことは立場上認めてくれないだろう。
「わからんけど、聞いてみるよ。ていうかもう一時間目始まるぞ」
「オッケー、期待してるわ」
 本橋は俺の肩をポンッと叩いて教室を出て行った……と思ったらすぐに踵を返して戻って来た。
「言い忘れてたけどさ、お前の親、学校の許可があれば認めてくれると思ってコブシィに朝一で聞いてみた。旅行の計画書を事前に提出して安全だと認められたら良いらしいぜ」
コブシィというのはサッカー部の顧問で、佐々木拳一と書いてケンイチと読むのだが、皆からはコブシィ先生と呼ばれている。あだ名と違って生徒に鉄拳制裁を加えることはないが、強面と頭の回転の速さで生徒からは一目置かれている。
 なるほど、計画書か。とりあえず今夜母さんに相談してみるか。

「なんだ悠紀彦、そんなに俺の授業が受けたいのか」
計画書について思案している間にいつの間にか教室に入って来た社会科の石橋先生が本橋に絡んでいる。
「イッパゲ先生、遠慮しておきます」
 全校中が知っている石橋先生のあだ名を本橋が口にしたので教室がドッと湧いた。
「こら悠紀彦!そのあだ名はよせ!」
「すみませーん。文明開化の音がしたんで」
「散切り頭は禿げ頭という意味じゃないぞ!」
 逃げるように自分のクラスに去っていく本橋に石橋先生の自虐的講釈は届いたのだろうか。うちの両親も大変な仕事をしてるんだな。

 その夜、俺は母さんに本橋と自転車旅行に行って良いかを相談した。最初は難色を示していた母さんだったが、コブシィ先生が計画書をきちんと作れば行っても良いと言っていた話をすると、「先生がそう言っているなら……」と少し考え始めた。
「でもあんたたち二人で行っていつもみたくケンカしちゃったらお互いに独りぼっちになってしまうから、あと一人か二人一緒に行く子がいれば私は良いと思うよ。お父さんには一亮から自分でお願いしてみなさい」
 厳しい父親に話して怒鳴られるのは怖いので、まずは他に行く人を見つけてからでいいよな。その日は、誰があのアクの強い本橋と一緒に旅行に行くだろうかずっと考えていて中々寝付けなかった。

 日が変わるまで考え抜いた結果、同じクラスの河原田典磨(かわはらだてんま)を自転車旅行に誘ってみた。河原田は中学から受験で入って来たエリートで、中二になって初めて同じクラスになって話すようになったばかりだが、すごく話しやすくて良いヤツだ。最初は秀才ぶった鼻につくヤツじゃないかと警戒していたが、実際話してみると気さくで波長が合った。俺が知らない色々な事を偉ぶらずに教えてくれることも楽しくて、最近の休み時間は河原田と一緒にいることが多い。
 ちなみに、俺と本橋も一応小学校受験に合格して入学したのだが、受験と言っても、部屋を片付けなさいとか、水が入った二つのビーカーとストローが置いてあって、どちらが石鹸水か当てなさいとかその程度の内容だったので、小学校受験のグループは勉強ができるとは限らない。いや、正直に言おう、半分は馬鹿だ。俺はギリギリ馬鹿じゃない方に属していて、本橋はギリギリ馬鹿な方に属しているくらいの立ち位置だろう。一方で河原田たち中学から一クラス分だけ追加で入った連中は、それぞれの小学校で一番出来る子たちが受験して、その中の上位が合格して入学しているトップ・オブ・トップの秀才たちなのだ。冷静な河原田が来てくれたら本橋とケンカしても上手く間に立ってくれるんじゃないかと俺は大いに期待していた。
「モト、自転車旅行の件だけど、親に聞いたら行ってもいいって」
 翌日、早速河原田が親の承諾をもらってきた。俺は、このタイミングで、敢えて伝えていなかった重要事項を河原田に伝えることにした。
「実はさ、この旅行、本橋が一緒に行こうって言ってきたんだ。だから俺たちと本橋の三人で行くことになるんだけど良いかな?」
 河原田が乗り気になる前に悪名高い本橋の名前を出して断られるのが嫌だったのだ。俺は極力自然な感じで『俺たち』の部分は大きな声でゆっくりと、『本橋』の部分は小さめの声でサラッと本橋参加の旨を伝えた。
「本橋ってハユのことだよね?」
 本橋のフルネームは本橋悠紀彦。俺が本山一亮(もとやまかずあき)でモトと皆から呼ばれていたので、本橋もモトだとわかりづらいということで、本橋悠紀彦の『橋悠』を取ってハシユウと呼ばれていたのが短くなってハユになったと説明したらわかるだろうか。俺はアイツをあだ名で呼ぶのは何となく照れくさくて本橋と呼んでいる。ていうかアイツが俺を本山と呼ぶのに俺がハユなんて呼んだら媚びを売ってるみたいで癪だ。
「うん、河原田は本橋と話したことある?」
「ほとんどないかな。でもモトの友達ならいい人でしょ」
 腐れ縁だからついいつも遊んじゃうけど、本橋はいい人では絶対にないなと思いながらも、「まあね」と間髪入れずに答えた。俺たちがしょっちゅう衝突していることは絶対に黙っておこう。

 朝のホームルームが始まる前に河原田加入のニュースを本橋に届けようとヤツのクラスに行ったらまだ来ていないようだった。本橋は週に何度か遅刻をする、それも五分十分ではなく十時過ぎに登校とかそういうレベルで。かと言っていわゆる不良という訳ではない。「眠かった」とか「どうしてもマンガの続きが読みたかった」とか、そういう理由で平気で遅刻をしてくる。中一の時にはドラクエⅣをやりたいからという理由で三日間学校を休んだことがあった。アイツはとにかく自由なのだ。
「えー、マジで! 河原田かよ!! やだよ俺!」
 二時間目と三時間目の間の中休み、二時間目の終盤にようやく登校してきた本橋に、河原田も一緒に行くことになりそうだと伝えると、意外にも全力で拒否されてしまった。
「中一の時、休み時間に教室で麻雀してたらさ、それまで口もきいたことなかったのに河原田が後ろから、『それじゃないでしょ』とか『そこ切るかなあ』とか俺の手見てうじゃうじゃ言うからブチ切れて、あいつの胸ぐらを掴んでふざけんな出てけって言って教室から追い出したんだよ」
 げ、河原田、本橋とほとんど話したことないって言ってたのに、思いっきり揉めてんじゃん。そう言えば去年麻雀が流行って紙で作った牌を使って一部の生徒がやっていたのを思い出した。河原田も結構思ったことそのまま言っちゃうところあるからなあ。でも何とかしないと。
「そんなことがあったんだ。そりゃ余計なこと言うアイツが悪いよな。でもアイツ根は良いヤツだし、俺の母さんがさ、二人だけだと何かあった時に不安だから最低三人以上で行くなら行って良いって言ってるんだよ。俺ほかに行ってくれそうな人知らねえよ」
 本橋は腕組みをしてうーんと唸りながら考え始め、およそ三分後に答えを出した。
「わかった。背に腹は代えられねえな。河原田と三人で行こう」
 よしっ、何とかなった!

 その日の昼休み、俺たち三人は第一回目の作戦会議を開いた。一応俺が二人の共通の友達として引き合わせる形になるので、本橋と河原田を互いに紹介して会議はスタートした。
「あのさあ、お前去年俺が麻雀してる時、後ろでうじゃうじゃ言ってたじゃん。あれすげえムカつくからああいうこと二度とすんなよ」
 おいっ、本橋何言い出してんだよ!
「バカみたいな牌の切り方しなきゃ言わないよ」
 河原田お前もか!
「あん、お前ケンカ売ってんのか!」
「そっちが一年も前のことを根に持ってるから」
「なんだとぉぉぉ!」
 やばい、これじゃあ本当にケンカになる。気がついたら俺は無我夢中で叫んでいた。
「お前らバカか! 本橋と揉めるのは俺の役目なんだよ!!河原田はそれを止めるのが仕事だろ」
 五秒ほどの沈黙のあと、本橋が噴き出した。
「確かに。こいつといるとお前と揉めないかもな。そうか仲裁役でこいつを誘ったのか」
「モトとハユってそんなにケンカするの?」
 河原田が聞いてきた。
「うん、なんかわかんないんだけど、本橋とは結構揉めるね」
「揉めるよな」
「仲良いの?」
「なんだかんだね」
「なんだかんだな」
「変な仲だね」
「お前も、去年俺にあんだけキレられてよく一緒に旅行なんてする気になったよな」
「なんか楽しそうだったから」
「お前、チャレンジ精神旺盛でいいよ。よろしくな」
「こちらこそ」
 あれっ? 本橋と河原田が打ち解けている。

 という訳で何とか足並みがそろった俺たちは、自転車旅行に向けて話し合い、旅行は二泊三日ですること、出発日は夏休み初日の七月二十二日、とりあえずコブシィ先生を納得させる計画書を作るために、それぞれが行きたいルートを考えてくることを決めたのだった。
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