第6話:人魚姫は海賊と出会う
文字数 2,430文字
シュプリーと公爵はあえなく海賊に捕われました。
それも仕方のないことでした。彼らに抵抗する手立てはなく、またその体力も残っていませんでした。陸まで泳いでいこうと考えていたシュプリーですが、一晩じゅう波に揉まれていた彼らは疲れ切っており、海賊の下っ端に抱え上げられて甲板の上に放り出されても、水から上がったあとの重力の重さに、ぐったりとうなだれることしか出来ませんでした。
彼らはとうとう殺されてしまうのでしょうか。しかし殺すつもりなら、水の上に置き去りにすればよかっただけの話です。不思議に思ったシュプリーは怯えながらも、彼らを囲んでいる海賊達を見上げました。
海賊達はまるでこれから楽しいショーでも始まるかのように、二人を囲んでにやにやしています。二人がなすすべなく体を固くしていると、そこに足音高く踏み込んできた影がありました。
「どれどれ、お客人はどこだ」
声には威圧感がありますが、そう低くないそれは女性のもののように聞こえました。そして割れた人垣の間から現れたのは、まさに海賊船の船長に相応しい立派なロングコートを翻し豪勢な羽付き帽子をかぶった、やはり女性だったのです。
女性は背丈こそ高くありませんでしたが、彼女にはただならぬ気迫と存在感がありました。
女船長は値踏みするように二人の捕虜をじろりと睨んだかと思うと、腰に下げていた細剣を目にもとまらぬ速さで抜き放ちました。
気が付けば剣先は何と公爵の顎の先に突きつけられており、それを見たシュプリーは思わず声にならない悲鳴を上げました。
剣の切っ先が公爵の顎を持ち上げましたが、公爵は抵抗しません。船長はやや仰向かせた公爵の顔をまじまじと見ると、少しばかり驚いたように黒い瞳を見開きました。
「まさか、ヘイズリー公爵か」
切っ先が下げられると同時に、公爵の顔もうつむきました。ギャラリーがどよめきます。公爵は掠れた声で答えました。
「その通りです」
船長は肩をすくめると、細剣を鞘に収めました。
「何とまあ、こりゃあ意外な拾いもんだな。昨晩の雨で船が沈んだか?しかし大した嵐でもないように思ったが。公爵家の船は随分とお粗末なんだな」
するとそこへ、人垣を割って新たに女性が現れました。豊かなブロンドを潮風に靡かせ船長に並んで立った彼女は、それはもう太陽も霞むような美女です。男物にも見えるやや風変わりな衣装に身を包んだ彼女は、船長に囁くように言いました。
「昨日東の沖で見た南インド会社の商船と関係あるんじゃないかしら」
美女の言葉に船長が頷くと同時に、公爵の顔も上がりました。
それを見た船長が、「ビンゴらしい」と皮肉っぽく言いました。船長はまだ続けます。
「お気の毒に、公爵様。今頃あんたは、陸じゃ死んだことになってるかもな。一般人なら売り飛ばしておしまいってところだが、あんたを陸へ持ち込むと南インド会社と面倒なことになりそうだ。かわいそうだが売れない商品は水に沈めることになってる。まああんたが、うちの船の乗組員として私の下で働くってなら、話は別だけどな」
公爵の顔が、先ほどまでよりも暗い絶望の色に塗り替えられてゆくのをシュプリーは見ました。何て酷い展開でしょうか。公爵の悲しみを思ったシュプリーは自分まで悲しくなり、彼女の目尻からはぽろぽろと涙がこぼれはじめました。
泣き出してしまったシュプリーに、公爵の顔が向けられました。船長と美女が、それぞれ「あーあ」「あらまあ」と呟いています。公爵はしばし逡巡していたようでしたが、決意を固めたようにびしょぬれのコートの腕でシュプリーの肩を優しく抱き寄せると、船長を見上げました。
「わかりました。そういうことなら、君の下で働かせてほしい。でも、彼女も一緒に」
すると船長は二人を見下ろしつつ、どこか満足そうに腕を組んで頷きました。
「いいだろう。私はヴァイオラ。この船の船長だ」
その声を合図にしたかのように、二人を囲んでいた人垣がばらばらと崩れ始めました。散り始めた船員たちと共にブロンドの美女もその場を離れ、代わりにコートを着た背の高い男が二人に近付いてきました。船長は顎で二人を指しながら、男に向かって言いました。
「アントーニオ、新しいクルーだ。世話を頼む」
アントーニオらしい男は慇懃に頷くと、二人に向かって「立ってください」と低い声で言いました。
離れてゆくヴァイオラ船長の後ろ姿に視線を遣りつつも、シュプリーは立ち上がると、公爵と共にアントーニオに向き直りました。しかめっ面のアントーニオは、「こちらです」とまるで執事のように丁寧な言葉で言いながら、大股で甲板の上を歩き始めました。
彼に従って歩き始めた二人に向かって、アントーニオは説明を始めました。
「ご乗船おめでとうございます。私はアントーニオ、この海賊団の甲板長です。先ほど紹介があったように彼女、ヴァイオラがこの船の船長、彼女の隣に立っていた女性が航海士のライラです。我々に指示を与えるのは主に彼女達二人です。そして公爵殿、貴方には甲板係になってもらいます。それからこちらの女性には――」
「彼女はアンです」
公爵が短く言いました。そう、声の出ないシュプリーは自分の名前を人間達に伝えることもできなかったため、メイド仲間達が彼女の新しい名前を考えてくれたのです。
アントーニオは頷きました。
「ミズ・アンには洗濯係になってもらいましょう。仕事の内容については同じ作業を担当するクルーから聞いてください。今からそれぞれに同僚を紹介しましょう。…ところであなた方はこの船の名前をご存知ですか?」
当然のように心当たりのなかったシュプリーはぽかんとしてアントーニオの顔を見上げましたが、彼女の隣で公爵が、静かに頷きました。
それを見て心なしか誇らしげに微笑んだアントーニオが言いました。
「ようこそ、エンパイア号へ」
*
それも仕方のないことでした。彼らに抵抗する手立てはなく、またその体力も残っていませんでした。陸まで泳いでいこうと考えていたシュプリーですが、一晩じゅう波に揉まれていた彼らは疲れ切っており、海賊の下っ端に抱え上げられて甲板の上に放り出されても、水から上がったあとの重力の重さに、ぐったりとうなだれることしか出来ませんでした。
彼らはとうとう殺されてしまうのでしょうか。しかし殺すつもりなら、水の上に置き去りにすればよかっただけの話です。不思議に思ったシュプリーは怯えながらも、彼らを囲んでいる海賊達を見上げました。
海賊達はまるでこれから楽しいショーでも始まるかのように、二人を囲んでにやにやしています。二人がなすすべなく体を固くしていると、そこに足音高く踏み込んできた影がありました。
「どれどれ、お客人はどこだ」
声には威圧感がありますが、そう低くないそれは女性のもののように聞こえました。そして割れた人垣の間から現れたのは、まさに海賊船の船長に相応しい立派なロングコートを翻し豪勢な羽付き帽子をかぶった、やはり女性だったのです。
女性は背丈こそ高くありませんでしたが、彼女にはただならぬ気迫と存在感がありました。
女船長は値踏みするように二人の捕虜をじろりと睨んだかと思うと、腰に下げていた細剣を目にもとまらぬ速さで抜き放ちました。
気が付けば剣先は何と公爵の顎の先に突きつけられており、それを見たシュプリーは思わず声にならない悲鳴を上げました。
剣の切っ先が公爵の顎を持ち上げましたが、公爵は抵抗しません。船長はやや仰向かせた公爵の顔をまじまじと見ると、少しばかり驚いたように黒い瞳を見開きました。
「まさか、ヘイズリー公爵か」
切っ先が下げられると同時に、公爵の顔もうつむきました。ギャラリーがどよめきます。公爵は掠れた声で答えました。
「その通りです」
船長は肩をすくめると、細剣を鞘に収めました。
「何とまあ、こりゃあ意外な拾いもんだな。昨晩の雨で船が沈んだか?しかし大した嵐でもないように思ったが。公爵家の船は随分とお粗末なんだな」
するとそこへ、人垣を割って新たに女性が現れました。豊かなブロンドを潮風に靡かせ船長に並んで立った彼女は、それはもう太陽も霞むような美女です。男物にも見えるやや風変わりな衣装に身を包んだ彼女は、船長に囁くように言いました。
「昨日東の沖で見た南インド会社の商船と関係あるんじゃないかしら」
美女の言葉に船長が頷くと同時に、公爵の顔も上がりました。
それを見た船長が、「ビンゴらしい」と皮肉っぽく言いました。船長はまだ続けます。
「お気の毒に、公爵様。今頃あんたは、陸じゃ死んだことになってるかもな。一般人なら売り飛ばしておしまいってところだが、あんたを陸へ持ち込むと南インド会社と面倒なことになりそうだ。かわいそうだが売れない商品は水に沈めることになってる。まああんたが、うちの船の乗組員として私の下で働くってなら、話は別だけどな」
公爵の顔が、先ほどまでよりも暗い絶望の色に塗り替えられてゆくのをシュプリーは見ました。何て酷い展開でしょうか。公爵の悲しみを思ったシュプリーは自分まで悲しくなり、彼女の目尻からはぽろぽろと涙がこぼれはじめました。
泣き出してしまったシュプリーに、公爵の顔が向けられました。船長と美女が、それぞれ「あーあ」「あらまあ」と呟いています。公爵はしばし逡巡していたようでしたが、決意を固めたようにびしょぬれのコートの腕でシュプリーの肩を優しく抱き寄せると、船長を見上げました。
「わかりました。そういうことなら、君の下で働かせてほしい。でも、彼女も一緒に」
すると船長は二人を見下ろしつつ、どこか満足そうに腕を組んで頷きました。
「いいだろう。私はヴァイオラ。この船の船長だ」
その声を合図にしたかのように、二人を囲んでいた人垣がばらばらと崩れ始めました。散り始めた船員たちと共にブロンドの美女もその場を離れ、代わりにコートを着た背の高い男が二人に近付いてきました。船長は顎で二人を指しながら、男に向かって言いました。
「アントーニオ、新しいクルーだ。世話を頼む」
アントーニオらしい男は慇懃に頷くと、二人に向かって「立ってください」と低い声で言いました。
離れてゆくヴァイオラ船長の後ろ姿に視線を遣りつつも、シュプリーは立ち上がると、公爵と共にアントーニオに向き直りました。しかめっ面のアントーニオは、「こちらです」とまるで執事のように丁寧な言葉で言いながら、大股で甲板の上を歩き始めました。
彼に従って歩き始めた二人に向かって、アントーニオは説明を始めました。
「ご乗船おめでとうございます。私はアントーニオ、この海賊団の甲板長です。先ほど紹介があったように彼女、ヴァイオラがこの船の船長、彼女の隣に立っていた女性が航海士のライラです。我々に指示を与えるのは主に彼女達二人です。そして公爵殿、貴方には甲板係になってもらいます。それからこちらの女性には――」
「彼女はアンです」
公爵が短く言いました。そう、声の出ないシュプリーは自分の名前を人間達に伝えることもできなかったため、メイド仲間達が彼女の新しい名前を考えてくれたのです。
アントーニオは頷きました。
「ミズ・アンには洗濯係になってもらいましょう。仕事の内容については同じ作業を担当するクルーから聞いてください。今からそれぞれに同僚を紹介しましょう。…ところであなた方はこの船の名前をご存知ですか?」
当然のように心当たりのなかったシュプリーはぽかんとしてアントーニオの顔を見上げましたが、彼女の隣で公爵が、静かに頷きました。
それを見て心なしか誇らしげに微笑んだアントーニオが言いました。
「ようこそ、エンパイア号へ」
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