第8話:公爵様は希望を抱く

文字数 2,564文字

 その晩はみんなが甲板の上に集まり、お酒と肉料理を囲んで宴会が行なわれました。
 海賊達は肩を組み、お世辞にも美しいとは言えないがなり声を上げて歌い、お調子者が人の輪の真ん中へ出てきては、かくし芸を披露したりしていました。
 マリーは大好物の肉料理に大喜びで、いくつものお皿を空にしていましたが、お腹がいっぱいになるや否やその場で眠ってしまいました。
 彼女の隣に座っていたシュプリーは、マリーが眠ってからも海賊達の芸や歌に笑ってばかりいました。彼女の隣では公爵が、やはり楽しそうに宴の様子を見つめていました。
 やがてアントーニオがやってくると、眠りこけているマリーにブランケットを掛け、彼女を抱え上げました。
 マリーの隣でラム酒の瓶をあおっていたヴァイオラ船長が、「悪いな」とアントーニオに一声掛けると、彼は小さく礼をして、マリーを抱えたまま船室へ降りていきました。
 同時に船長の隣に座っていたライラが、「私もそろそろ失礼するわ」と言い置くと、立ち上がって同じように船室に消えてゆきました。
 急に船長の左右が空席になってしまったので、シュプリーは何となくその空白を見つめると、少しだけヴァイオラ船長に近付きました。
 はじめは船長のことを怖いと思っていたシュプリーですが、今では少し船長のことを好きになってきていました。確かに迫力はありますが、彼女はとても頼もしい船長です。それに公爵とシュプリーを、海に沈めずに仲間に入れてくれました。
 シュプリーの動きに気付いた船長は、彼女に向かって小さく微笑みかけました。
「もう船には慣れたか?」
 船長の問いに対して、シュプリーはラム酒のカップを握ったまま首を縦に振りました。船長は満足そうに頷くと、続いて公爵に向かって、「そちらは?」と問いかけました。
「はい、みなさんのおかげで、ずいぶん慣れました」
 公爵の穏やかな声に対して、船長は再び頷きました。
「それはよかった。もっと慣れればそのうち、退屈だった城の中よりここの方がよかったと思えるようになる」
 船長の声に対して頷きつつも、公爵の微笑みにどこか翳りが生まれました。公爵は少しうつむくと、やがて思い切ったように、「ヴァイオラ船長」と声を掛けました。船長の顔が、公爵の方を向きました。公爵は続けました。
「貴方がたは、海軍のウェイン提督とお知り合いなんですね」
「そりゃあ、何度か剣を交えてたら、知り合いにもなるだろう」
 ラム酒の瓶をあおりつつ、船長が答えました。
「そうですが…でも、航海士のライラさんは、もっと彼と親しい様子でした。何よりも、貴方がたは海軍の軍艦を沈めて荷を奪うこともできたのに、そうしませんでした。海賊なのに、おかしなことです。どうしてなんですか?貴方がたには何か特別な事情があるんじゃないですか」
 瓶を口元から離した船長は、少し難しそうな顔をしました。彼女はしばし何かを考えていたようですが、やがて言いました。
「私らは別に殺しをしたいわけじゃない。ただ性に合ってるから、海賊をやってるんだ。陸に上がれば下らん連中が幅を利かせてるだろ、それが面白くないから海にいる。それだけだ」
 公爵はシュプリーもとい船長に近付き、さらに身を乗り出しました。
「じゃあ、南インド会社についてはどうお考えですか。今や彼らは多くの航海ルートを制圧し、商船には海軍並みの設備を整えているものもあります」
 船長は頷きました。
「そうだな。連中ほど気に食わないものもない。実際うちだって、何度か連中とはやり合ってるよ」
 そこで、わずかな沈黙がありました。話がいまいち呑み込めないシュプリーは、船長を見つめる公爵と、遠い水平線に視線を移した船長の顔とを、交互に見比べました。船長が言葉の続きを継ぎ足しました。
「さすがに連中は手強い。うちも沈められたことはないが、連中とはやり合うたびに、毎度痛手を被ってる。まあこっちもやられっ放しってわけじゃないがな。例えばあれだ、今うちにいるアントーニオは元は南インド会社のクルーだったんだ。私が捕虜にしたんだ。今じゃすっかりこっちに馴染んでるけどな。嫌な上司がいたんだとよ」
 シュプリーは、船長が笑い、公爵がさらに身を乗り出すのを見ました。
「それなら、なぜ海軍と結託して南インド会社と闘わないんですか。彼らは世の中のルールを、全部自分達の都合のいいように変えようとしてるんですよ。海軍にだって、それを快く思っていない人はいるでしょう」
 すると今度こそ船長は、声を出して笑い出しました。
「はははデューク、あんたは気でも違ってるんじゃないのか。連中がいかに強引で強欲だろうと、連中は合法なんだ。それがカウンシルのお偉方に金を掴ませて勝ち取ったもんだとしても、正しいのは連中だ。それが陸のルールだ。私達が連中の船を一艘二艘沈めたところで、その事実は変わらないよ」
 しかし公爵は首を振りました。
「いいえ、船長。もしかしたら、私達は入り江から南インド会社を追い払うことができるかもしれません。貴女が力を貸してくれたら」
 シュプリーは思わず公爵の顔を見ましたが、それはヴァイオラ船長も同じでした。船長は声を低くしました。
「…あんたを陸に戻して、暗殺を暴かせろってか」
 公爵は静かに頷きました。が、船長は小さく首を横に振りました。
「駄目だ。考えてもみろ、あまりに無謀だ。あんたが入り江から消えたおかげで、今じゃあの辺は南インド会社が仕切ってる。あんたが陸に上がろうもんなら、裁判所の門をくぐる前に今度こそ刺客に刺されておしまいだ。…連中の支社長、ゴルトリック卿を潰せば話は別かもしれないが」
「じゃあ、」と言いかけた公爵の唇を、船長は人差し指で封じました。
「ゴルトリック卿の船には常にルブっていう化け物みたいな大男が乗ってるんだ。あいつがいる限り、あの男を倒すのは無理だ」
 そこまで言い終えると、船長は話は終わりだとばかりに再びラムの瓶をあおりました。恐らく船長も、あのグリズリーのような大男と戦ったことがあるのでしょう。公爵は肩を落とすと、そのまま黙り込みました。
 シュプリーにはその公爵の横顔を、黙って見つめていることしかできませんでした。



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登場人物紹介

シュプリー


入り江の海の底に住む人魚。

優しい心の持ち主だが、好奇心旺盛で頑固な性格でもある。

声を失う代わりに人間に変身し、陸の上に冒険に出る。

ヘイズリー公爵


入り江の町の領主様。

民を愛する穏やかな青年で、陸に上がってきたばかりのシュプリーを助ける。

巨大商社の搾取から領民を守ろうとし、暗殺されそうになる。

ヴァイオラ船長


海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

なりゆきからシュプリーとヘイズリー公爵を船に乗せることになる。

ゴルトリック卿


巨大商社南インド会社の支社長。

利益のためには手段を選ばず、協力を拒んだヘイズリー公爵に刺客を差し向ける。

一人娘にはかなり嫌われている。

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