第18話:人魚姫は願いをかなえる
文字数 4,512文字
シュプリーは、きらきらと輝く海の底を、まっすぐ家に向かって泳いでいました。
彼女は既にマリーと船長の再会を見届け、ゴルトリック卿がウェイン提督に連行されてゆくのも目にしました。楽しそうに話す仲間たちを、にこにこと見つめる公爵の姿も見て、彼女は心の底から安心しました。やっと静かに眠れる夜がやってきたのだと、久し振りに思えたのです。
そこで彼女は、魔法使いのダリーが言ったように、てっきり自分が死んでしまうものだと思いました。そして覚悟を決めて目を閉じたのですが、彼女はまだ死んではいませんでした。そして彼女は、まだ自分がすべきなのにしていないことに気が付いたのです。
彼女がやり残していること、それは彼女のフィアンセに、本当のことを伝えることです。
シュプリーがどれくらいぶりかに訪れた彼女たちの家は、彼女がここを離れた時と全く変わりありませんでした。
見慣れきっている造りの入口を抜けて奥の居間へ入ると、そこには彼女のフィアンセの姿がありました。しかし彼はいつものように楽譜を読んでいるわけではなく、ぐったりと床の上でたゆたっていました。
一瞬、シュプリーは声を上げかけましたが、彼女はその前にフィアンセのもとへ泳いでゆきました。
「ソロンさん、ソロンさん」
彼女が声をかけても、ソロンはすぐには反応しませんでした。自分が幻聴を聞いているとでも思っていたのでしょうか。しかしやがてゆっくりと瞳を動かしてそこにシュプリーがいることに気が付くと、彼の瞳は大きく見開かれました。
「シュプリー」
ソロンはむっくりと起き上がると、目の前に漂っているフィアンセを見つめました。
「君は、陸の上で人間と結婚したんじゃなかったのか」
やはり大きな勘違いをしたままだったフィアンセに向かって、シュプリーは首を振りました。
「違うの。あの人は友達で、私はあの人を助けたかっただけなの。私、人間に変身するために、声をダリーさんに預けてしまったから、あなたとお話できなかったのよ」
その説明を受けると、みるみるうちにソロンの表情が緩み、崩れてゆきました。
彼は耐えられなくなったかのように両手の平で顔を覆うと、その手の平の向こうから、くぐもった声で言いました。
「もう、二度と君には会えないかと思った…」
シュプリーは微笑みながら、彼の肩を引き寄せました。彼女のフィアンセは、陸の上の人間達と違って、何と静かで臆病なんでしょう。きっとそれが、彼が陸から海へやってきた理由でもあり、彼女が彼のことを愛している理由でもあるのでしょう。シュプリーはやはり、人間のことは大好きだけれど、自分は海の生き物なのだということをはっきりと悟りました。
彼女はソロンの顔が彼の両手から離れるのを待って、やがて彼の瞳が彼女の方を向いてから、その両目に向かって言いました。
「心配させてしまってごめんなさいね。私が好きなのは、ソロンさんだけよ」
そう言ってシュプリーが微笑むと、彼女の目の前のソロンの顔は、彼女のそれ以上にうれしそうに微笑みました。
シュプリーはそれを見て彼女もうれしくなりましたが、その途端、彼女はヒレの先に、今まで感じたことのない奇妙な感覚を感じて、そちらに目を向けました。
そこに視線を向けたのは、ソロンも同じでした。何とシュプリーのヒレはしゅわしゅわと泡を立てながら、みるみるうちに消えはじめているではありませんか。
ソロンの顔が一気に蒼白になりました。
「まさか、君はここに戻ってくるために、…」
魔法使いのダリーが毎回依頼を受けるたびに、理不尽な代償を要求することはソロンも知っています。彼はシュプリーの両手を掴みました。
「ダメだ、何てことをしたんだ!そんなことになったら、」
彼が慌てふためいている間にも、シュプリーの身体はどんどん消えてゆきます。すると彼らの隣に、突如として魔法使いのダリーが現れました。
「どうも、こんにちはご両人。約束の時がきたようですので、代物を受け取りに参りました」
今日もダリーはいつものようににやにや笑っています。ソロンの顔が、魔法使いに向けられました。
「頼むダリー、こんなことはやめてくれ。お前のほしいものなら他に何でも探してくるから、彼女だけは」
おやおや、とダリーは被り物の陰で、唇を尖らせました。
「では貴方が代わりになりますか?それですとご両人が離れ離れになってしまうことには変わりございませんけれども」
そう言っている間に、シュプリーの姿はほとんど消えかけようとしています。
「まだそちらのほうがましだ!」
ソロンが喚いたところで、突如そこに大きな水流が起こりました。
居間の中にあったものはみな吹き飛ばされ、ダリーもソロンも身を固くして流されないように岩場にしがみつきました。そして水流が収まったと思うと、そこには何と、海の王様であるカントリオが漂っていたのです。
王様は逞しい胸板の前で腕を組み、しかしどこか眠そうな目付きで、魔法使いとソロンとを交互に睨みました。魔法使いの微笑が、みるみるうちに苦笑いへと変わりました。
「無許可で魔法の売買契約を行っている者がいると、我が妻から聞いてな」
どこか気だるそうな声で、王様は言いました。ダリーがますます口角を吊り上げて、苦笑いをしました。
「これはこれは偉大な海の王様。ご機嫌麗しゅうございます。…無許可とは申しますけれども、私の契約は、お客様と双方の合意を得た上で行っております。全くの詐欺というわけでもございませぬよ。れっきとした商売でございます」
王様はあくびを噛み殺すと、続けて言いました。
「しかしお前、ちゃんと…何だったか、あれ、商品の説明とか、そういうことはしているのか。素人相手にそういうものを売りつけるのはあれ、説明義務が伴うとか何とか、そういうことだろう。お前はその辺り、どうも怪しい…とセイレーンが言っていたぞ」
するととうとう返答に窮したのか、ダリーはいっひっひと笑いました。ソロンが王様と魔法使いとをただならぬ様子で見つめています。王様は続けました。
「そこでだ、とりあえず今回の、シュプリーの件は、なかったことにしてやってくれ…と我が妻が言っていてな。彼女は騙されたようなもんだろう?どうせ」
それを聞いたソロンの顔が輝き、しかし同時にダリーの顔から似非笑いが消えました。魔法使いは不満そうに唇を尖らせます。
「しかしそれじゃあ私はタダ働きじゃぁございませんか。それはあまりに不公平じゃございませんか?両成敗ってわけにはいかないのじゃぁないですか?」
うんうん、と王様は頷きました。
「そう言うだろうと思っていた…というかまあ、ちょうど都合よく、ここにお前にやってもいいたましいがひとつある。これをお前にくれてやろう。それでどうだ」
そこで王様がぱちんと指を弾くと、水中に一匹のタツノオトシゴが現れました。
タツノオトシゴは目を白黒させると、不器用な泳ぎ方で水中を漂い始めました。ダリーが怪訝そうにそのタツノオトシゴを見つめます。
「そういうことなら…まあ、納得できますが、そのタツノオトシゴは何なんですか、陛下」
王様が指をくるくると回すとそこから小さな水流が生まれ、タツノオトシゴはそれに押されてダリーの手元まで流されてゆきます。王様は言いました。
「それはな、何と恐れ知らずにも、我が妻セイレーンに言い寄った上に彼女の手まで掴んだ不届き者の成れの果てだ。セイレーンは陸に戻してやろうとか何とか慈悲深いことを言っていたが、もともとろくでもない人間のようだし、これもいい薬だろう。お前にやる」
ダリーは少しの間タツノオトシゴをどこか不満げに見つめていましたが、とうとう諦めたのか、タツノオトシゴを被り物の内側へ隠してしまいました。
代わりに布の内側からは黄色い光が現れて、それは水中で広がると、瞬く間にシュプリーの姿へと変わりました。
「シュプリー!」
ソロンが声を上げ、まだ目をぱちくりさせているシュプリーに泳ぎ寄りました。彼はシュプリーの手を掴むと、ぴったりと彼女の隣に寄り添いました。
一瞬何が起こったのかわからなかったシュプリーですが、目の前に王様カントリオがいるのを見て、何となく状況を察したようでした。
王様は自分を見つめている面々を一通り見回すと、やはり眠たそうに頷きました。
「とりあえず、これで一件落着だな。ダリー、次から商売のやり方には気をつけろよ。私もいちいち呼ばれてはかなわん」
名指しされた魔法使いは、再び苦笑を浮かべると、肩をすくめてそのまま消えてしまいました。そしてそれを見届けた王様も、再び水流を起こし、あくびをしながら消えてしまいました。
シュプリーとソロンはお礼を言う暇もありませんでしたが、王様は一刻も早く、妻のもとかベッドの上へ戻りたかったに違いありません。
残されたシュプリーとソロンとは、お互いに顔を見合わせました。
先に口を開いたのは、シュプリーのほうでした。
「私また、あなたを心配させてしまったかしら」
シュプリーは冗談めかした口調で言いましたが、ソロンは弱りきったように眉を下げました。
「…本当にその通りだ。今度こそ心臓が止まるかと…いっそのこと止まればいいと思った」
それを聞いて、シュプリーはおかしそうに笑いました。
「笑い事じゃない」
彼女のフィアンセは不満げに訴えましたが、シュプリーは笑うのをやめられませんでした。彼女はきっと、とても安心したのです。
「ごめんなさいね。…ふふふ、ねえでもソロンさん、私がいない間、何してたの?あなた居間にいたじゃない。コンサートは?」
「…心配ごとがあると、音楽を聞いても全く耳に入らないってことがわかった。だから家にいた。…でも少し、気晴らしをしたくて、曲を書いたりもしたよ。君の曲だ」
言葉の最後のほうには、ソロンはどことなく恥ずかしそうに、視線をうつむかせました。シュプリーは瞳を輝かせました。
「私の曲?」
「そうだよ。…でも君も知ってると思うけど、その、聞くのは好きなんだが、書くのは…」
言いかけたソロンの言葉の上からかぶせるように、シュプリーは言いました。
「知ってるわよ。ソロンさんの作曲はひどいもの」
それを聞いた彼女のフィアンセは、一瞬衝撃を受けたような顔をしましたが、シュプリーはすぐに言葉を継ぎ足しました。
「でも私は好きよ。私の曲なんでしょう、うれしいわ。今すぐ聞かせて」
にっこりと笑ったシュプリーの顔を見て、ソロンの顔にも微笑が戻りました。
「今の君の言い方、人間みたいだな」
シュプリーは頷きました。
「そうよ、私まだ、あなたと陸を見に行くのを諦めてないもの。今度こそ付き合ってもらうわよ」
そう言った瞬間、陸の上で新しくできた友達に、海の仲間を紹介することが、彼女の次の目標になりました。
シュプリーには楽しまねばならないことが、まだまだたくさんあるようです。
*
彼女は既にマリーと船長の再会を見届け、ゴルトリック卿がウェイン提督に連行されてゆくのも目にしました。楽しそうに話す仲間たちを、にこにこと見つめる公爵の姿も見て、彼女は心の底から安心しました。やっと静かに眠れる夜がやってきたのだと、久し振りに思えたのです。
そこで彼女は、魔法使いのダリーが言ったように、てっきり自分が死んでしまうものだと思いました。そして覚悟を決めて目を閉じたのですが、彼女はまだ死んではいませんでした。そして彼女は、まだ自分がすべきなのにしていないことに気が付いたのです。
彼女がやり残していること、それは彼女のフィアンセに、本当のことを伝えることです。
シュプリーがどれくらいぶりかに訪れた彼女たちの家は、彼女がここを離れた時と全く変わりありませんでした。
見慣れきっている造りの入口を抜けて奥の居間へ入ると、そこには彼女のフィアンセの姿がありました。しかし彼はいつものように楽譜を読んでいるわけではなく、ぐったりと床の上でたゆたっていました。
一瞬、シュプリーは声を上げかけましたが、彼女はその前にフィアンセのもとへ泳いでゆきました。
「ソロンさん、ソロンさん」
彼女が声をかけても、ソロンはすぐには反応しませんでした。自分が幻聴を聞いているとでも思っていたのでしょうか。しかしやがてゆっくりと瞳を動かしてそこにシュプリーがいることに気が付くと、彼の瞳は大きく見開かれました。
「シュプリー」
ソロンはむっくりと起き上がると、目の前に漂っているフィアンセを見つめました。
「君は、陸の上で人間と結婚したんじゃなかったのか」
やはり大きな勘違いをしたままだったフィアンセに向かって、シュプリーは首を振りました。
「違うの。あの人は友達で、私はあの人を助けたかっただけなの。私、人間に変身するために、声をダリーさんに預けてしまったから、あなたとお話できなかったのよ」
その説明を受けると、みるみるうちにソロンの表情が緩み、崩れてゆきました。
彼は耐えられなくなったかのように両手の平で顔を覆うと、その手の平の向こうから、くぐもった声で言いました。
「もう、二度と君には会えないかと思った…」
シュプリーは微笑みながら、彼の肩を引き寄せました。彼女のフィアンセは、陸の上の人間達と違って、何と静かで臆病なんでしょう。きっとそれが、彼が陸から海へやってきた理由でもあり、彼女が彼のことを愛している理由でもあるのでしょう。シュプリーはやはり、人間のことは大好きだけれど、自分は海の生き物なのだということをはっきりと悟りました。
彼女はソロンの顔が彼の両手から離れるのを待って、やがて彼の瞳が彼女の方を向いてから、その両目に向かって言いました。
「心配させてしまってごめんなさいね。私が好きなのは、ソロンさんだけよ」
そう言ってシュプリーが微笑むと、彼女の目の前のソロンの顔は、彼女のそれ以上にうれしそうに微笑みました。
シュプリーはそれを見て彼女もうれしくなりましたが、その途端、彼女はヒレの先に、今まで感じたことのない奇妙な感覚を感じて、そちらに目を向けました。
そこに視線を向けたのは、ソロンも同じでした。何とシュプリーのヒレはしゅわしゅわと泡を立てながら、みるみるうちに消えはじめているではありませんか。
ソロンの顔が一気に蒼白になりました。
「まさか、君はここに戻ってくるために、…」
魔法使いのダリーが毎回依頼を受けるたびに、理不尽な代償を要求することはソロンも知っています。彼はシュプリーの両手を掴みました。
「ダメだ、何てことをしたんだ!そんなことになったら、」
彼が慌てふためいている間にも、シュプリーの身体はどんどん消えてゆきます。すると彼らの隣に、突如として魔法使いのダリーが現れました。
「どうも、こんにちはご両人。約束の時がきたようですので、代物を受け取りに参りました」
今日もダリーはいつものようににやにや笑っています。ソロンの顔が、魔法使いに向けられました。
「頼むダリー、こんなことはやめてくれ。お前のほしいものなら他に何でも探してくるから、彼女だけは」
おやおや、とダリーは被り物の陰で、唇を尖らせました。
「では貴方が代わりになりますか?それですとご両人が離れ離れになってしまうことには変わりございませんけれども」
そう言っている間に、シュプリーの姿はほとんど消えかけようとしています。
「まだそちらのほうがましだ!」
ソロンが喚いたところで、突如そこに大きな水流が起こりました。
居間の中にあったものはみな吹き飛ばされ、ダリーもソロンも身を固くして流されないように岩場にしがみつきました。そして水流が収まったと思うと、そこには何と、海の王様であるカントリオが漂っていたのです。
王様は逞しい胸板の前で腕を組み、しかしどこか眠そうな目付きで、魔法使いとソロンとを交互に睨みました。魔法使いの微笑が、みるみるうちに苦笑いへと変わりました。
「無許可で魔法の売買契約を行っている者がいると、我が妻から聞いてな」
どこか気だるそうな声で、王様は言いました。ダリーがますます口角を吊り上げて、苦笑いをしました。
「これはこれは偉大な海の王様。ご機嫌麗しゅうございます。…無許可とは申しますけれども、私の契約は、お客様と双方の合意を得た上で行っております。全くの詐欺というわけでもございませぬよ。れっきとした商売でございます」
王様はあくびを噛み殺すと、続けて言いました。
「しかしお前、ちゃんと…何だったか、あれ、商品の説明とか、そういうことはしているのか。素人相手にそういうものを売りつけるのはあれ、説明義務が伴うとか何とか、そういうことだろう。お前はその辺り、どうも怪しい…とセイレーンが言っていたぞ」
するととうとう返答に窮したのか、ダリーはいっひっひと笑いました。ソロンが王様と魔法使いとをただならぬ様子で見つめています。王様は続けました。
「そこでだ、とりあえず今回の、シュプリーの件は、なかったことにしてやってくれ…と我が妻が言っていてな。彼女は騙されたようなもんだろう?どうせ」
それを聞いたソロンの顔が輝き、しかし同時にダリーの顔から似非笑いが消えました。魔法使いは不満そうに唇を尖らせます。
「しかしそれじゃあ私はタダ働きじゃぁございませんか。それはあまりに不公平じゃございませんか?両成敗ってわけにはいかないのじゃぁないですか?」
うんうん、と王様は頷きました。
「そう言うだろうと思っていた…というかまあ、ちょうど都合よく、ここにお前にやってもいいたましいがひとつある。これをお前にくれてやろう。それでどうだ」
そこで王様がぱちんと指を弾くと、水中に一匹のタツノオトシゴが現れました。
タツノオトシゴは目を白黒させると、不器用な泳ぎ方で水中を漂い始めました。ダリーが怪訝そうにそのタツノオトシゴを見つめます。
「そういうことなら…まあ、納得できますが、そのタツノオトシゴは何なんですか、陛下」
王様が指をくるくると回すとそこから小さな水流が生まれ、タツノオトシゴはそれに押されてダリーの手元まで流されてゆきます。王様は言いました。
「それはな、何と恐れ知らずにも、我が妻セイレーンに言い寄った上に彼女の手まで掴んだ不届き者の成れの果てだ。セイレーンは陸に戻してやろうとか何とか慈悲深いことを言っていたが、もともとろくでもない人間のようだし、これもいい薬だろう。お前にやる」
ダリーは少しの間タツノオトシゴをどこか不満げに見つめていましたが、とうとう諦めたのか、タツノオトシゴを被り物の内側へ隠してしまいました。
代わりに布の内側からは黄色い光が現れて、それは水中で広がると、瞬く間にシュプリーの姿へと変わりました。
「シュプリー!」
ソロンが声を上げ、まだ目をぱちくりさせているシュプリーに泳ぎ寄りました。彼はシュプリーの手を掴むと、ぴったりと彼女の隣に寄り添いました。
一瞬何が起こったのかわからなかったシュプリーですが、目の前に王様カントリオがいるのを見て、何となく状況を察したようでした。
王様は自分を見つめている面々を一通り見回すと、やはり眠たそうに頷きました。
「とりあえず、これで一件落着だな。ダリー、次から商売のやり方には気をつけろよ。私もいちいち呼ばれてはかなわん」
名指しされた魔法使いは、再び苦笑を浮かべると、肩をすくめてそのまま消えてしまいました。そしてそれを見届けた王様も、再び水流を起こし、あくびをしながら消えてしまいました。
シュプリーとソロンはお礼を言う暇もありませんでしたが、王様は一刻も早く、妻のもとかベッドの上へ戻りたかったに違いありません。
残されたシュプリーとソロンとは、お互いに顔を見合わせました。
先に口を開いたのは、シュプリーのほうでした。
「私また、あなたを心配させてしまったかしら」
シュプリーは冗談めかした口調で言いましたが、ソロンは弱りきったように眉を下げました。
「…本当にその通りだ。今度こそ心臓が止まるかと…いっそのこと止まればいいと思った」
それを聞いて、シュプリーはおかしそうに笑いました。
「笑い事じゃない」
彼女のフィアンセは不満げに訴えましたが、シュプリーは笑うのをやめられませんでした。彼女はきっと、とても安心したのです。
「ごめんなさいね。…ふふふ、ねえでもソロンさん、私がいない間、何してたの?あなた居間にいたじゃない。コンサートは?」
「…心配ごとがあると、音楽を聞いても全く耳に入らないってことがわかった。だから家にいた。…でも少し、気晴らしをしたくて、曲を書いたりもしたよ。君の曲だ」
言葉の最後のほうには、ソロンはどことなく恥ずかしそうに、視線をうつむかせました。シュプリーは瞳を輝かせました。
「私の曲?」
「そうだよ。…でも君も知ってると思うけど、その、聞くのは好きなんだが、書くのは…」
言いかけたソロンの言葉の上からかぶせるように、シュプリーは言いました。
「知ってるわよ。ソロンさんの作曲はひどいもの」
それを聞いた彼女のフィアンセは、一瞬衝撃を受けたような顔をしましたが、シュプリーはすぐに言葉を継ぎ足しました。
「でも私は好きよ。私の曲なんでしょう、うれしいわ。今すぐ聞かせて」
にっこりと笑ったシュプリーの顔を見て、ソロンの顔にも微笑が戻りました。
「今の君の言い方、人間みたいだな」
シュプリーは頷きました。
「そうよ、私まだ、あなたと陸を見に行くのを諦めてないもの。今度こそ付き合ってもらうわよ」
そう言った瞬間、陸の上で新しくできた友達に、海の仲間を紹介することが、彼女の次の目標になりました。
シュプリーには楽しまねばならないことが、まだまだたくさんあるようです。
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