第17話:人魚姫はハッピーエンドを見届ける
文字数 3,979文字
入り江の上には今日も素晴らしい青空が広がっています。
一羽のカモメが降り立った岩場の陰に、シュプリーはひっそりと隠れて、入り江の様子を窺っています。
入り江の沖合いには堂々たるエンパイア号の雄姿が見て取れますが、そこから降りてきたのは船長と公爵の、二人きりのようでした。
船長が近付きつつある岩場の上には、いつものように高級そうなコートを潮風にはためかせつつ立っているゴルトリック卿と、その部下の姿がありました。ゴルトリック卿の部下は少し離れたところに固まっていますが、二十人はいるように見えます。
「ゴルトリック卿、マリーはどこだ」
歩み寄ってきたヴァイオラ船長が、辺りを見回して言いました。そこにいるのはゴルトリック卿の部下ばかりで、女の子らしい姿はどこにも見当たりません。
「先に公爵を渡してもらおう。君の妹君はその後だ」
ふんとヴァイオラ船長は鼻を鳴らしました。
「…どうせそんなことだろうと思っていた。…愚問かもしれないが、この男をどうする気だ?彼はこれでも一応、今はうちのクルーだからな」
船長が言っているのは公爵のことでしょう。彼女の背後に立っている公爵の顔が上がり、ゴルトリック卿の顔を見つめました。
しかし公爵の視線になど応える様子もなく、ゴルトリック卿は答えます。
「違うな。君の船のクルーになる前に死んでいるはずだった男だ。よって君のものではない。これで妹君との交換も正当だろう?」
そこで、ヴァイオラ船長の口元に微笑が浮かびました。微笑はやがて彼女の顔中に広がったかと思うと、まるで堪えきれなくなったかのように、船長は声を出して笑い出しました。
さすがに奇妙に思ったのでしょう、ゴルトリック卿は眉をひそめて船長を見つめました。
「…何がおかしい」
すると船長が答えるよりも早く、岩場の陰から人影が立ち上がりました。
「ゴルトリック卿、ヘイズリー公爵暗殺の疑いで、貴方を捕らえさせて頂きます!」
そう言って現れたのは、何と海軍のウェイン提督でした。その途端にゴルトリック卿の顔が一瞬で灰のような色に変わったのを、シュプリーは見ました。
それでもゴルトリック卿が辺りを見回したのは、潜んでいた海軍兵の人数が少なければ、自分の手勢で皆殺しにしてしまおうとでも考えたからかもしれません。しかし岩場の陰からはぞろぞろと海軍兵が現れて、とうとう彼らの数は南インド会社の兵の数を上回りました。
ゴルトリック卿が虚ろな目で、ヴァイオラ船長を睨みました。彼の表情は、引きつった笑みに変わりました。
「私としたことが、してやられたようだ。…だがヴァイオラ船長、どうやって海軍と連絡を取った?…入り江は我が社の監視下にあった。君のところの航海士と提督が繋がろうとすれば、我々が気付かなかったはずはない」
船長は得意気に両腕を組みました。
「特別な海のルートを持っててね。お魚さんが運んでくれたんだ」
何をバカな、とゴルトリック卿は呟きました。
そこへ歩いてきたウェイン提督が、ゴルトリック卿の両腕を掴んで、彼の背後に回しました。それでもゴルトリック卿の顔は船長の方を向いています。
「しかしいいのか、君の妹君はここにはいないぞ」
再び船長は鼻息を吐きました。
「そこは提督に任せよう。さっさと吐かなきゃ、痛い目見るのはあんただ」
「ゴルトリック卿、ヴァイオラ船長の妹さんはどこですか。今教えていただければ、貴方の罪状に誘拐を加えなくて済みます」
ウェイン提督が、静かな声でそう付け加えました。ゴルトリック卿が憎々しげに提督を睨みかけたその時、岩場に甲高い声が響き渡りました。
「おねえちゃーーーーん!」
そこにいた誰もが一斉に声のした方を振り返りました。そこにいたのは、そう、黄色いドレスを着てボストンバッグを抱えたマリーです。彼女の隣には、随分と重そうなスーツケースを引き摺っているアンネリーもいました。
「マリー!」「アンネリー?」
船長とゴルトリック卿が声を発したのは、ほぼ同時でした。荷物の軽いマリーが先に駆け寄ってきて、勢い良く船長に飛びつきました。
ヴァイオラ船長は妹を受け止めると力強く抱きしめて、「怪我はなかった?」といつになく優しい声で尋ねました。マリーはすぐに答えました。
「大丈夫だよ。ごちそうもいっぱい食べてきたよ」
一方でゴルトリック卿は、ゆっくりと近付いてくる娘を唖然として見つめていました。アンネリーは灰色をした父親の顔を見ると、彼女が時々するように、悪戯っぽく笑いました。
「やだ、終わってから来るつもりだったのに。気まずいわ、これ」
「お前、何を…」
父の疑問に対して、娘は単調に答えました。
「あたしね、ロンドンにもうんざりしてたけど、入り江で退屈するのはもっとうんざりなの。マリーとの出会いはあたしには運命だったのね。あたし、ずっとエンパイア号とヴァイオラ船長に憧れてたんだもん」
そう言い切ると、アンネリーは呆然としている父親に背を向けて、やはり疑問ありげな表情で彼女を見つめている、ヴァイオラ船長に向き直りました。
「船長、あたしを船に乗せて下さい!あたし、宝飾品の知識ならけっこうあるし、今航海術の勉強もしてるんです!」
ヴァイオラ船長は一瞬何のことやらと思いかけたようですが、マリーの着ている見慣れないドレスとボストンバッグを見て、どうやら状況を飲み込んだようでした。
「まあ…そういうことなら…。マリーっていう貢ぎ物も持ってきてくれたみたいだしな」
「はい!」
アンネリーは既に背後の父親の存在など忘れたかのように、輝く瞳で船長を見上げました。
岩場の状況を見て船を降りてきたのでしょう、彼らのもとに、というよりはウェイン提督に向かって、ライラが歩いてきました。
「どうも、ウェイン」
柔らかな声に引き止められて、ウェイン提督は彼女を振り返りました。
提督の視線を受けたライラが微笑みます。提督は、眩しそうに両目を細めました。
「これで入り江も少しは落ち着きそうね。…びっくりしたわ、まさか貴方が来るなんて」
ウェイン提督は、少し視線を落として答えました。
「…私の方がびっくりだ。まさかヴァイオラ船長から手紙が届くなんて…、しかも配達人は人魚だ。君の職場は、相変わらず退屈しなさそうだ」
提督はもともと寡黙な人なのかもしれません。それきり黙ってしまいましたが、ライラのほうから言葉を継ぎました。
「でも、わからないわよ。退屈しないのに飽きて、また退屈が恋しくなるかもしれないわ。…お父様にも挨拶したいしね」
一瞬、提督の顔にかすかな驚きが浮かびましたが、彼はそれを小さな微笑で隠しました。
「…だったら、どう謝るか考えておいたほうがいい。父上は相当ご立腹だ」
ライラの顔に、満面の笑みが広がりました。
その太陽のような笑顔から視線を滑らせると、提督は後ろ手に縛ったゴルトリック卿を曳いて歩き始めました。
ゴルトリック卿は自分の存在を無視して提督と航海士がやり取りしていたにも関わらず、もうそんな些事は気にもかからないほど燃え尽きているようでした。
その燃えかすを引き摺るようにして進んでゆく提督に続き、海軍兵達がぞろぞろと丘に上がってゆきました。南インド会社の兵達はというと、ゴルトリック卿の腕がウェイン提督に掴まれた時点で、蜘蛛の子を散らしたように逃げ散ってしまい、今は影も形も見当たりません。
いつの間にかエンパイア号からはアントーニオも降りてきていました。彼の姿を見たマリーは一度船長のもとを離れ、彼に突進してゆきました。
「マリー、無事だったのか!」
アントーニオはいつになく目元を緩めて、突進してきたマリーを抱きしめました。しかしそのマリーのあとについてきたもう一人の少女の存在に気が付くと、途端に彼の動きは凍りつきました。
アンネリーはアントーニオを見上げると、父親譲りの微笑を浮かべて、妙にこなれた口調で言いました。
「やだ、裏切り者のアントーニオじゃない、元気にしてる?ところで、あたしのスーツケース運んでほしいんだけど」
エンパイア号からはアントーニオを皮切りにして、次々と海賊達がマリーの出迎えに降りてきています。ヴァイオラ船長は徐々に賑やかになりつつある周囲を見渡すと、彼女の隣に立ったままだった公爵に向かって微笑みかけました。
「よかったな。これで入り江は元通り、あんたも古巣に戻れる」
「古巣、ですか」
おかしそうにうれしそうに、公爵は笑いました。それは本当に和やかな、まったく翳りのない笑顔でした。
船長は一瞬、公爵の顔に視線を奪われたようでしたが、まるでその真っ直ぐな笑いに耐えられなくなったかのように、ふと視線を下げ、足元に落ちている自分達の影に目を遣りました。
「結局あんたの言った通りになったな。今回の勝者はあんただよ」
公爵は首を振りました。
「私が今こうしてここに立ってられるのは、全部シュプリーのおかげです。この作戦も、彼女が手紙を運んでくれなかったら成功しませんでした。私はシュプリーにお礼を言いたくて…」
そうして公爵は、岩場の一角に視線を巡らしました。彼は先ほど、シュプリーが隠れていることに、密かに気付いていたのです。
ですがその岩場に、既にシュプリーの姿はありませんでした。
公爵は船長とともにその水際へ駆け寄りましたが、やはり人魚の姿は見当たりません。
ささやかな波が、岩場に打ち寄せては引いてゆく景色があるのみです。
「…きっと、近いうちにまた遊びにくるさ」
ヴァイオラ船長が、少し寂しそうにしているヘイズリー公爵の背中を、優しく叩きました。
*
一羽のカモメが降り立った岩場の陰に、シュプリーはひっそりと隠れて、入り江の様子を窺っています。
入り江の沖合いには堂々たるエンパイア号の雄姿が見て取れますが、そこから降りてきたのは船長と公爵の、二人きりのようでした。
船長が近付きつつある岩場の上には、いつものように高級そうなコートを潮風にはためかせつつ立っているゴルトリック卿と、その部下の姿がありました。ゴルトリック卿の部下は少し離れたところに固まっていますが、二十人はいるように見えます。
「ゴルトリック卿、マリーはどこだ」
歩み寄ってきたヴァイオラ船長が、辺りを見回して言いました。そこにいるのはゴルトリック卿の部下ばかりで、女の子らしい姿はどこにも見当たりません。
「先に公爵を渡してもらおう。君の妹君はその後だ」
ふんとヴァイオラ船長は鼻を鳴らしました。
「…どうせそんなことだろうと思っていた。…愚問かもしれないが、この男をどうする気だ?彼はこれでも一応、今はうちのクルーだからな」
船長が言っているのは公爵のことでしょう。彼女の背後に立っている公爵の顔が上がり、ゴルトリック卿の顔を見つめました。
しかし公爵の視線になど応える様子もなく、ゴルトリック卿は答えます。
「違うな。君の船のクルーになる前に死んでいるはずだった男だ。よって君のものではない。これで妹君との交換も正当だろう?」
そこで、ヴァイオラ船長の口元に微笑が浮かびました。微笑はやがて彼女の顔中に広がったかと思うと、まるで堪えきれなくなったかのように、船長は声を出して笑い出しました。
さすがに奇妙に思ったのでしょう、ゴルトリック卿は眉をひそめて船長を見つめました。
「…何がおかしい」
すると船長が答えるよりも早く、岩場の陰から人影が立ち上がりました。
「ゴルトリック卿、ヘイズリー公爵暗殺の疑いで、貴方を捕らえさせて頂きます!」
そう言って現れたのは、何と海軍のウェイン提督でした。その途端にゴルトリック卿の顔が一瞬で灰のような色に変わったのを、シュプリーは見ました。
それでもゴルトリック卿が辺りを見回したのは、潜んでいた海軍兵の人数が少なければ、自分の手勢で皆殺しにしてしまおうとでも考えたからかもしれません。しかし岩場の陰からはぞろぞろと海軍兵が現れて、とうとう彼らの数は南インド会社の兵の数を上回りました。
ゴルトリック卿が虚ろな目で、ヴァイオラ船長を睨みました。彼の表情は、引きつった笑みに変わりました。
「私としたことが、してやられたようだ。…だがヴァイオラ船長、どうやって海軍と連絡を取った?…入り江は我が社の監視下にあった。君のところの航海士と提督が繋がろうとすれば、我々が気付かなかったはずはない」
船長は得意気に両腕を組みました。
「特別な海のルートを持っててね。お魚さんが運んでくれたんだ」
何をバカな、とゴルトリック卿は呟きました。
そこへ歩いてきたウェイン提督が、ゴルトリック卿の両腕を掴んで、彼の背後に回しました。それでもゴルトリック卿の顔は船長の方を向いています。
「しかしいいのか、君の妹君はここにはいないぞ」
再び船長は鼻息を吐きました。
「そこは提督に任せよう。さっさと吐かなきゃ、痛い目見るのはあんただ」
「ゴルトリック卿、ヴァイオラ船長の妹さんはどこですか。今教えていただければ、貴方の罪状に誘拐を加えなくて済みます」
ウェイン提督が、静かな声でそう付け加えました。ゴルトリック卿が憎々しげに提督を睨みかけたその時、岩場に甲高い声が響き渡りました。
「おねえちゃーーーーん!」
そこにいた誰もが一斉に声のした方を振り返りました。そこにいたのは、そう、黄色いドレスを着てボストンバッグを抱えたマリーです。彼女の隣には、随分と重そうなスーツケースを引き摺っているアンネリーもいました。
「マリー!」「アンネリー?」
船長とゴルトリック卿が声を発したのは、ほぼ同時でした。荷物の軽いマリーが先に駆け寄ってきて、勢い良く船長に飛びつきました。
ヴァイオラ船長は妹を受け止めると力強く抱きしめて、「怪我はなかった?」といつになく優しい声で尋ねました。マリーはすぐに答えました。
「大丈夫だよ。ごちそうもいっぱい食べてきたよ」
一方でゴルトリック卿は、ゆっくりと近付いてくる娘を唖然として見つめていました。アンネリーは灰色をした父親の顔を見ると、彼女が時々するように、悪戯っぽく笑いました。
「やだ、終わってから来るつもりだったのに。気まずいわ、これ」
「お前、何を…」
父の疑問に対して、娘は単調に答えました。
「あたしね、ロンドンにもうんざりしてたけど、入り江で退屈するのはもっとうんざりなの。マリーとの出会いはあたしには運命だったのね。あたし、ずっとエンパイア号とヴァイオラ船長に憧れてたんだもん」
そう言い切ると、アンネリーは呆然としている父親に背を向けて、やはり疑問ありげな表情で彼女を見つめている、ヴァイオラ船長に向き直りました。
「船長、あたしを船に乗せて下さい!あたし、宝飾品の知識ならけっこうあるし、今航海術の勉強もしてるんです!」
ヴァイオラ船長は一瞬何のことやらと思いかけたようですが、マリーの着ている見慣れないドレスとボストンバッグを見て、どうやら状況を飲み込んだようでした。
「まあ…そういうことなら…。マリーっていう貢ぎ物も持ってきてくれたみたいだしな」
「はい!」
アンネリーは既に背後の父親の存在など忘れたかのように、輝く瞳で船長を見上げました。
岩場の状況を見て船を降りてきたのでしょう、彼らのもとに、というよりはウェイン提督に向かって、ライラが歩いてきました。
「どうも、ウェイン」
柔らかな声に引き止められて、ウェイン提督は彼女を振り返りました。
提督の視線を受けたライラが微笑みます。提督は、眩しそうに両目を細めました。
「これで入り江も少しは落ち着きそうね。…びっくりしたわ、まさか貴方が来るなんて」
ウェイン提督は、少し視線を落として答えました。
「…私の方がびっくりだ。まさかヴァイオラ船長から手紙が届くなんて…、しかも配達人は人魚だ。君の職場は、相変わらず退屈しなさそうだ」
提督はもともと寡黙な人なのかもしれません。それきり黙ってしまいましたが、ライラのほうから言葉を継ぎました。
「でも、わからないわよ。退屈しないのに飽きて、また退屈が恋しくなるかもしれないわ。…お父様にも挨拶したいしね」
一瞬、提督の顔にかすかな驚きが浮かびましたが、彼はそれを小さな微笑で隠しました。
「…だったら、どう謝るか考えておいたほうがいい。父上は相当ご立腹だ」
ライラの顔に、満面の笑みが広がりました。
その太陽のような笑顔から視線を滑らせると、提督は後ろ手に縛ったゴルトリック卿を曳いて歩き始めました。
ゴルトリック卿は自分の存在を無視して提督と航海士がやり取りしていたにも関わらず、もうそんな些事は気にもかからないほど燃え尽きているようでした。
その燃えかすを引き摺るようにして進んでゆく提督に続き、海軍兵達がぞろぞろと丘に上がってゆきました。南インド会社の兵達はというと、ゴルトリック卿の腕がウェイン提督に掴まれた時点で、蜘蛛の子を散らしたように逃げ散ってしまい、今は影も形も見当たりません。
いつの間にかエンパイア号からはアントーニオも降りてきていました。彼の姿を見たマリーは一度船長のもとを離れ、彼に突進してゆきました。
「マリー、無事だったのか!」
アントーニオはいつになく目元を緩めて、突進してきたマリーを抱きしめました。しかしそのマリーのあとについてきたもう一人の少女の存在に気が付くと、途端に彼の動きは凍りつきました。
アンネリーはアントーニオを見上げると、父親譲りの微笑を浮かべて、妙にこなれた口調で言いました。
「やだ、裏切り者のアントーニオじゃない、元気にしてる?ところで、あたしのスーツケース運んでほしいんだけど」
エンパイア号からはアントーニオを皮切りにして、次々と海賊達がマリーの出迎えに降りてきています。ヴァイオラ船長は徐々に賑やかになりつつある周囲を見渡すと、彼女の隣に立ったままだった公爵に向かって微笑みかけました。
「よかったな。これで入り江は元通り、あんたも古巣に戻れる」
「古巣、ですか」
おかしそうにうれしそうに、公爵は笑いました。それは本当に和やかな、まったく翳りのない笑顔でした。
船長は一瞬、公爵の顔に視線を奪われたようでしたが、まるでその真っ直ぐな笑いに耐えられなくなったかのように、ふと視線を下げ、足元に落ちている自分達の影に目を遣りました。
「結局あんたの言った通りになったな。今回の勝者はあんただよ」
公爵は首を振りました。
「私が今こうしてここに立ってられるのは、全部シュプリーのおかげです。この作戦も、彼女が手紙を運んでくれなかったら成功しませんでした。私はシュプリーにお礼を言いたくて…」
そうして公爵は、岩場の一角に視線を巡らしました。彼は先ほど、シュプリーが隠れていることに、密かに気付いていたのです。
ですがその岩場に、既にシュプリーの姿はありませんでした。
公爵は船長とともにその水際へ駆け寄りましたが、やはり人魚の姿は見当たりません。
ささやかな波が、岩場に打ち寄せては引いてゆく景色があるのみです。
「…きっと、近いうちにまた遊びにくるさ」
ヴァイオラ船長が、少し寂しそうにしているヘイズリー公爵の背中を、優しく叩きました。
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