第16話:海賊の船長は一計を案じる

文字数 1,682文字

 その頃入り江の別荘地では、ゴルトリック卿の怒声が瀟洒な館の屋根を揺らしていました。
「ルブが消えただと!」
 彼に報告をもたらした使い走りの男は、豪勢な書斎の戸口で身を縮こまらせました。ゴルトリック卿は撫で付けた額に手の平を押し付けましたが、すぐにそれを離すと、使い走りの男を睨みつけました。
「消えたとは一体どこへだ。あのでかい図体がどこへどうやって消える?」
 使い走りはおずおずと口を開きました。
「それが、昨晩波止場の酒場で大層な美人に声を掛けられて、店を出たらしいんですが…」
「どうせどこかの宿場にしけこんでるんだろう?報告は捜索を完了してからにしてくれ」
「いえ、それがどこの宿場をのぞいても、昨晩ルブの旦那を見たって者はいないんですよ」
 ゴルトリック卿のこめかみに、青い筋が浮かび上がりました。ゴルトリック卿はそのこめかみに指を押し当てると、諦めたように首を振りました。
「…いいだろう。しかし明日になって奴が現れたら、お前はクビだからな。…私は手紙を書かなきゃならん。紙とインクを持ってこい」
 青ざめた使い走りは、慌てて部屋を飛び出してゆきました。
 入れ違いに、戸口からアンネリーの顔が覗きました。
「何かあったの?」
 アンネリーの隣には、クッキーを頬張っているマリーの姿もありますが、ゴルトリック卿は彼女達の方へは視線をやらずに、声だけで答えました。
「ルブのでくのぼうが消えた。引き渡し場所を船上から入り江に変える」
「じゃああたし、ずっとマリーと遊んでてもいい?」
「好きにしろ。あのマメ…マリーを姉のもとに連れていく必要はなくなったからな。お前も友達を悲しませたくなかったら、マリーにはこのことは黙っておくことだ」
 マリーの瞳が、どういうことか?とでもいうようにアンネリーを見つめましたが、アンネリーは悪戯っぽく笑うと、人差し指を唇の前で立てて見せました。
 アンネリーは続けて父親の背中に語りかけます。
「ねえじゃああたし、マリーといっしょにヴァージニアの別荘へ行きたいんだけど」
「好きにしなさい」
 やったー、という作り物の歓声を上げると、アンネリーはマリーの手を引いて、逃げるように父親の書斎から走り去りました。
 彼女と再び入れ違いに、使い走りの男が紙束とインク壷を運んできました。
「お、お待たせしました!」
「遅い」
 そこでやっとゴルトリック卿は振り向きましたが、彼は重大なものを見落としたことに、気付いてはいませんでした。
 アンネリーとマリーは寝室へ向かうと、スーツケースを引っ張り出してきて、早速荷造りに取り掛かりました。







「来た来た、来たぞ」
 そう言いながらヴァイオラ船長が手にしているのは、二つの白い封筒です。
彼女の左右からライラとアントーニオが、ライラの背後から公爵が、船長の手元を覗き込んでいます。
 船長の手は、南インド会社の紋章で封をされた方の封筒を容赦なく引き裂くと、中の手紙を取り出しました。
「やっぱりこちらは…引き渡し場所の変更ですね」
 紙面を見てそう言ったのは公爵です。船長は肩をすくめました。
「しかも一人で来いってか。よくもまあ抜け抜けと…あの男にはプライドってもんがないのか」
 すると脇からアントーニオがぼそりと言いました。
「あそこではプライドのある者は出世できません」
 あら怖い、と呟いたのはライラです。
「まあこれで、ほとんど準備は整ったわけだ」
 船長はにやりと笑い、ゴルトリック卿からの手紙をくしゃくしゃと握りつぶしました。
「ちょっと待って、そっちの封筒は何なの」
 ライラがもう一つの封筒を指して言いました。そちらの封筒には立派な紋章の封などついておらず、中身の察しはライラにもつかないようでした。アントーニオや公爵も、不思議そうにその白い封筒を見つめます。
 ヴァイオラ船長は彼らの疑問を楽しむかのように、にやりと笑うと残りの封筒をコートの内ポケットへ差し入れました。
「これは当日になってのお楽しみだ。明日が待ち遠しいな」



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登場人物紹介

シュプリー


入り江の海の底に住む人魚。

優しい心の持ち主だが、好奇心旺盛で頑固な性格でもある。

声を失う代わりに人間に変身し、陸の上に冒険に出る。

ヘイズリー公爵


入り江の町の領主様。

民を愛する穏やかな青年で、陸に上がってきたばかりのシュプリーを助ける。

巨大商社の搾取から領民を守ろうとし、暗殺されそうになる。

ヴァイオラ船長


海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

なりゆきからシュプリーとヘイズリー公爵を船に乗せることになる。

ゴルトリック卿


巨大商社南インド会社の支社長。

利益のためには手段を選ばず、協力を拒んだヘイズリー公爵に刺客を差し向ける。

一人娘にはかなり嫌われている。

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