第11話:船長の妹は誘拐される
文字数 2,885文字
ほんの少し時は溯って、こちらは南インド会社の船底です。
「離せー!離せこのローストポーク男!ポークマン!」
叫び続けているのはマリーです。あまりの声の甲高さに、彼女を掴んでいるルブは眉をしかめています。
「やっかましいマメガキだなあおい。あんまぎゃーぎゃーうるせえと鍋にぶちこんで豆スープにしちまうぞ」
「こっちこそお前なんかおにぎりの具にしてやるよ!」
やれやれと肩をすくめたルブは、並ぶ扉の一つの前で足を止めると、その扉を開いてマリーを中に放り込みました。
「寝室ではお静かにな。でねえと苦情が来るぜ」
そう言ってルブは扉を閉めました。マリーはベッドの上に着地するなり、すぐに跳ね起きて扉に突進しました。しかし彼女がドアノブに取り付くより早く、鍵の下りる音が室内に響きました。
「……」
寝室は甲板からくぐもった足音が響いてくる以外、至って静かです。その静寂に、マリーは眉を寄せました。
南インド会社の船の寝室――少なくとも彼女が今いる部屋――は、海賊船のものと比べると段違いにきれいで、整っています。
エンパイア号も船長の計らいで、海賊船にしてはずいぶん清潔に保たれてはいますが、マリーの寝床は船長室に吊るしてあるハンモックでしたし、ベッドなんて気の効いたものがあるのは、船長とライラの部屋だけでした。マリーはいやに整ったこの部屋を、どうにも好きになれそうにもありません。彼女はどうにかして扉をこじ開けられないかと色々部屋の中を探し回りましたが、空の引き出しがあるくらいで、部屋にはこれといった道具類はありませんでした。
やがてすることもなくなり、退屈になったマリーは枕を壁に投げつけると、ベッドの上に寝転びました。
*
どのくらいそうしてふて寝していたのでしょうか、マリーがうとうとと眠りの淵に落ちかけ始めていた時、彼女の耳にドアをノックする音が響いてきました。
彼女が目を開いて身体を起こすと同時に、鍵の上がる音がして、扉が開きました。そして部屋に入ってきたのは、何とマリーと同じくらいの年の女の子です。
目を丸々と見開いているマリーに向かって、小奇麗なドレスを着た女の子は悪戯っぽく笑いかけると、扉を閉め、内側から鍵を掛けました。
「あなた、誰か」
マリーの問いに対して、女の子は答えました。
「あたしはアンネリー。あなたは?」
「マリーだよ」
よろしくねマリー、と言ったアンネリーは、何の違和感もなくマリーに並んでベッドの上に腰掛けました。彼女は、彼女の年齢の割にはどこかくたびれたような口調で話しました。
「あたしね、この船のオーナーの娘なの。ついこないだまでロンドンに住んでたんだけど、あの人が入り江の屋敷を増築したからってそっちに引っ越すことになってさ。今引越しの最中なんだよね。船がおっきいのはいいけど、乗ってるのがむさいおっさんばっかりだからうんざりしてて。マリーは海賊なの?」
アンネリーは一気に喋りましたが、マリーにとっては彼女の言葉にはいくつか不可解な点が残っていました。マリーは首をひねりつつ、言いました。
「オーナーの娘?ってことは、アンネリーのパパはもしかして、あのゴルトリック卿か?」
「まあね。でもマリーは海賊なら、あのおじさんのことは嫌いだよね。大丈夫、あたしもそんなに好きじゃないから」
何が大丈夫なのか、アンネリーは暢気そうに言いました。それより、マリーにはもうひとつ引っかかっていることがあります。
「ゴルトリック卿はアンネリーのパパなのにアンネリーはパパのことが好きじゃないか?」
「まあ、そうかもね」
「ふうん…じゃあ、ゴルトリック卿に頼んで、私をおねえちゃんの船に戻して欲しいよ」
しかし、アンネリーは首を振りました。
「ああ、それはダメなの。あの人はそんなやかましいオヤジじゃないんだけど、ビジネスのことになると誰のどんな意見も聞かないから。その代わりマリーがここで嫌な思いすることないよ。せっかく女の子同士出会ったんだし、今日は夕ご飯いっしょに食べよ」
ゆうごはん、その単語を聞いてマリーのお腹が鳴りました。鳴ると同時に、ここを脱出する方法を考えるのは夕ご飯を食べてからでもいいや、という気がマリーの中に起こってきました。
マリーの表情の変化を見取ったアンネリーが、どこかゴルトリック卿を思わせる笑い方で、ふふっと微笑しました。
「もしかして、お腹空いてる?今夜何食べたい?」
リクエストを受けて、とうとうマリーのお腹が音を立てて鳴りました。
「おにぎり…はないと思うから、何か肉が食べたいよ」
*
その二時間後には、マリーは商船の船室で、優雅な赤いテーブルクロスを敷いた食卓を囲んでいました。
小ぶりながらに豪奢なクリスタルのシャンデリアの下には、グレイビーソースのかかったステーキや茹でロブスター、マッシュポテト、様々な果物に加えてトライフルデザートまでが並び、各席の前には装飾の施された銀食器が行儀よく並んでいます。
マリーはいつの間にかオレンジ色のドレスを着、頭にはリボンまで結わえられて、ビロード張りの椅子に腰掛けていました。
彼女の隣にはアンネリーが座り、アンネリーの正面にはゴルトリック卿が座っています。ゴルトリック卿は頭痛を抑えようとするかのように、こめかみに指を押し当てていました。
「アンネリー、教えてほしいんだが、どうして捕虜がお前のドレスを着て、私達と同じテーブルに座っているのかな?」
娘は単調に答えました。
「あたしが着せて、あたしが招待したの。別にマリーを逃がしたわけじゃないし、問題ないと思って」
当のマリーは皿の上の食事に釘付けになっており、二人の会話など耳に入っていないようです。
「そうかもしれないが…」
ゴルトリック卿はぐりぐりとこめかみを押しましたが、アンネリーは父親の頭痛など意に介していないようです。
「じゃあいいでしょ。七日後にあるっていう引渡しの日まで、あたしマリーといっしょにいるから」
どうやらここの家庭では、父親よりも娘の方が強いようです。ゴルトリック卿は不満そうでしたが、アンネリーの希望を尊重したらしく、押し黙ってゆっくりと頷きました。
「じゃあ、食べよっか」
アンネリーが言うが早いか、マリーはヴァイオラ船長の剣捌きのごとき素早さで、銀のフォークを掴み上げ、ステーキに突き立てました。
瞳を輝かせながらステーキにかぶりつくマリーに向かって、アンネリーはこっそり耳打ちしました。
「あの話、忘れないでね」
マリーは口いっぱいにステーキを頬張っているため、ただぶんぶんと頷きます。
もちろん、彼女の正面に座っているゴルトリック卿が、不審そうな視線を娘に向けました。
「あの話?」
しかしアンネリーはにっこりと笑った顔を父親に向けました。
「うん、あたしたちにしかわかんない女の子のはなしー」
疑問を突っぱねられた父親は、ただ閉口するしかありませんでした。
*
「離せー!離せこのローストポーク男!ポークマン!」
叫び続けているのはマリーです。あまりの声の甲高さに、彼女を掴んでいるルブは眉をしかめています。
「やっかましいマメガキだなあおい。あんまぎゃーぎゃーうるせえと鍋にぶちこんで豆スープにしちまうぞ」
「こっちこそお前なんかおにぎりの具にしてやるよ!」
やれやれと肩をすくめたルブは、並ぶ扉の一つの前で足を止めると、その扉を開いてマリーを中に放り込みました。
「寝室ではお静かにな。でねえと苦情が来るぜ」
そう言ってルブは扉を閉めました。マリーはベッドの上に着地するなり、すぐに跳ね起きて扉に突進しました。しかし彼女がドアノブに取り付くより早く、鍵の下りる音が室内に響きました。
「……」
寝室は甲板からくぐもった足音が響いてくる以外、至って静かです。その静寂に、マリーは眉を寄せました。
南インド会社の船の寝室――少なくとも彼女が今いる部屋――は、海賊船のものと比べると段違いにきれいで、整っています。
エンパイア号も船長の計らいで、海賊船にしてはずいぶん清潔に保たれてはいますが、マリーの寝床は船長室に吊るしてあるハンモックでしたし、ベッドなんて気の効いたものがあるのは、船長とライラの部屋だけでした。マリーはいやに整ったこの部屋を、どうにも好きになれそうにもありません。彼女はどうにかして扉をこじ開けられないかと色々部屋の中を探し回りましたが、空の引き出しがあるくらいで、部屋にはこれといった道具類はありませんでした。
やがてすることもなくなり、退屈になったマリーは枕を壁に投げつけると、ベッドの上に寝転びました。
*
どのくらいそうしてふて寝していたのでしょうか、マリーがうとうとと眠りの淵に落ちかけ始めていた時、彼女の耳にドアをノックする音が響いてきました。
彼女が目を開いて身体を起こすと同時に、鍵の上がる音がして、扉が開きました。そして部屋に入ってきたのは、何とマリーと同じくらいの年の女の子です。
目を丸々と見開いているマリーに向かって、小奇麗なドレスを着た女の子は悪戯っぽく笑いかけると、扉を閉め、内側から鍵を掛けました。
「あなた、誰か」
マリーの問いに対して、女の子は答えました。
「あたしはアンネリー。あなたは?」
「マリーだよ」
よろしくねマリー、と言ったアンネリーは、何の違和感もなくマリーに並んでベッドの上に腰掛けました。彼女は、彼女の年齢の割にはどこかくたびれたような口調で話しました。
「あたしね、この船のオーナーの娘なの。ついこないだまでロンドンに住んでたんだけど、あの人が入り江の屋敷を増築したからってそっちに引っ越すことになってさ。今引越しの最中なんだよね。船がおっきいのはいいけど、乗ってるのがむさいおっさんばっかりだからうんざりしてて。マリーは海賊なの?」
アンネリーは一気に喋りましたが、マリーにとっては彼女の言葉にはいくつか不可解な点が残っていました。マリーは首をひねりつつ、言いました。
「オーナーの娘?ってことは、アンネリーのパパはもしかして、あのゴルトリック卿か?」
「まあね。でもマリーは海賊なら、あのおじさんのことは嫌いだよね。大丈夫、あたしもそんなに好きじゃないから」
何が大丈夫なのか、アンネリーは暢気そうに言いました。それより、マリーにはもうひとつ引っかかっていることがあります。
「ゴルトリック卿はアンネリーのパパなのにアンネリーはパパのことが好きじゃないか?」
「まあ、そうかもね」
「ふうん…じゃあ、ゴルトリック卿に頼んで、私をおねえちゃんの船に戻して欲しいよ」
しかし、アンネリーは首を振りました。
「ああ、それはダメなの。あの人はそんなやかましいオヤジじゃないんだけど、ビジネスのことになると誰のどんな意見も聞かないから。その代わりマリーがここで嫌な思いすることないよ。せっかく女の子同士出会ったんだし、今日は夕ご飯いっしょに食べよ」
ゆうごはん、その単語を聞いてマリーのお腹が鳴りました。鳴ると同時に、ここを脱出する方法を考えるのは夕ご飯を食べてからでもいいや、という気がマリーの中に起こってきました。
マリーの表情の変化を見取ったアンネリーが、どこかゴルトリック卿を思わせる笑い方で、ふふっと微笑しました。
「もしかして、お腹空いてる?今夜何食べたい?」
リクエストを受けて、とうとうマリーのお腹が音を立てて鳴りました。
「おにぎり…はないと思うから、何か肉が食べたいよ」
*
その二時間後には、マリーは商船の船室で、優雅な赤いテーブルクロスを敷いた食卓を囲んでいました。
小ぶりながらに豪奢なクリスタルのシャンデリアの下には、グレイビーソースのかかったステーキや茹でロブスター、マッシュポテト、様々な果物に加えてトライフルデザートまでが並び、各席の前には装飾の施された銀食器が行儀よく並んでいます。
マリーはいつの間にかオレンジ色のドレスを着、頭にはリボンまで結わえられて、ビロード張りの椅子に腰掛けていました。
彼女の隣にはアンネリーが座り、アンネリーの正面にはゴルトリック卿が座っています。ゴルトリック卿は頭痛を抑えようとするかのように、こめかみに指を押し当てていました。
「アンネリー、教えてほしいんだが、どうして捕虜がお前のドレスを着て、私達と同じテーブルに座っているのかな?」
娘は単調に答えました。
「あたしが着せて、あたしが招待したの。別にマリーを逃がしたわけじゃないし、問題ないと思って」
当のマリーは皿の上の食事に釘付けになっており、二人の会話など耳に入っていないようです。
「そうかもしれないが…」
ゴルトリック卿はぐりぐりとこめかみを押しましたが、アンネリーは父親の頭痛など意に介していないようです。
「じゃあいいでしょ。七日後にあるっていう引渡しの日まで、あたしマリーといっしょにいるから」
どうやらここの家庭では、父親よりも娘の方が強いようです。ゴルトリック卿は不満そうでしたが、アンネリーの希望を尊重したらしく、押し黙ってゆっくりと頷きました。
「じゃあ、食べよっか」
アンネリーが言うが早いか、マリーはヴァイオラ船長の剣捌きのごとき素早さで、銀のフォークを掴み上げ、ステーキに突き立てました。
瞳を輝かせながらステーキにかぶりつくマリーに向かって、アンネリーはこっそり耳打ちしました。
「あの話、忘れないでね」
マリーは口いっぱいにステーキを頬張っているため、ただぶんぶんと頷きます。
もちろん、彼女の正面に座っているゴルトリック卿が、不審そうな視線を娘に向けました。
「あの話?」
しかしアンネリーはにっこりと笑った顔を父親に向けました。
「うん、あたしたちにしかわかんない女の子のはなしー」
疑問を突っぱねられた父親は、ただ閉口するしかありませんでした。
*