第13話:人魚姫は奥の手を使う

文字数 2,024文字

 海の底の中でも奥の奥の奥深くには、この辺りの海の主ともいえる、偉大な海の王様が住んでいます。
 三日間泳ぎ続けてシュプリーが向かったのは、その海の主の元でした。
 海の宮殿には、海のほかのどんな場所にも勝るほど、美しい景色が広がっています。シュプリーは宝石のようなサンゴ礁の間を抜け、色とりどりの魚たちに挨拶する暇もないまま、宮殿の奥へ泳ぎ進みました。
 宮殿の奥の奥には王様と王妃様の広間があり、その入口には槍を携えた二人のマーマンが、門番として控えています。シュプリーは門番に言いました。
「お願い、王様に会わせて」
 海の生き物に戻ったからでしょう、シュプリーは再び話すことができるようになっていました。しかし彼女を見ると、門番のマーマンは難しそうな顔をしました。
「入れて差し上げたいのはやまやまだが、生憎今王様はお昼寝中だ。誰が声を掛けても起きませんよ」
 そうなのです、海の王様は絶大なパワーを持っていますが、なかなか働きません。というのも、海の世界はいつも平和で、王様がパワーを発揮しなければならないような困った出来事は、滅多に起こらないからです。しかし、シュプリーにとっては、今がまさに困っている時でした。
「でも、今お話したいんです。どうにかして、王様を起こしてもらえないかしら」
 必死に訴えるシュプリーを見て、マーマン達も気の毒に思ったようでした。
 彼らの一人が王様に掛け合ってやろうとヒレを返した時、そこに、艶やかな声が響き渡りました。
「あなた達、何があったの」
 三人が一斉に振り返ったそこには、海の王妃様が漂っていました。
「王妃様!」
 マーマン達が慌てて跪きました。王妃様は彼らに立ち上がるように促しながら、シュプリーの方へ泳いできました。
 海の王妃様は名前をセイレーンといい、海の生き物の中でも最も美しい容姿と声を持っています。
 深海の夜を集めて紡いだかのような豊かな黒い髪、夕陽のような瞳と真珠の肌を持ち、優雅な鱗とヒレは虹のような輝きを放つくれない色です。彼女が泳いだあとには、まるで光の塵が降るようでした。
「私でよければ、話を聞くわ。どうしたの、シュプリー」
 王妃様は疲れ果てた様子のシュプリーに、優しく語りかけました。シュプリーは頷くと、一気に話し始めました。
「王妃様、ごめんなさい。私、三日前まで人間に変身して、人間の船に乗っていたんです。でもそこで、人間同士がケンカを始めて、私の友達の人間が敵の人間に攫われてしまったの。彼女を助けたいけど、敵の中にとても強い人がいて、助けられそうにないんです。人間達はまたケンカをするつもりでいるみたいだけど、そうすれば他の私の友達も、傷ついてしまうかもしれないの。王妃様、どうか私の友達を助けてください」
 涙ながらに訴えるシュプリーを見て、王妃様は悲しそうに眉を寄せました。
「それで、カントリオを訪ねてきたのね。でも彼が力を使えば、敵の船も、あなたの友達の船も、みんな沈めてしまうかもしれないわ。それでは困るでしょう」
 シュプリーはしゃくりあげました。それは本当に困ります。彼女は続けました。
「…一人、一人の人間の男の人をやっつけられれば、大丈夫だって友達は言っていました」
 彼女の脳裏に浮かんでいたのは大男のルブの姿です。彼さえ除いてしまえば、ヴァイオラ船長達は自力でマリーを助けられるに違いありません。
 王妃様は少し考え込むように、首を傾げました。
「一人…それなら私の力でも、何とかできるかもしれないわ」
 それを聞いたシュプリーの瞳はエネルギーを取り戻したかのように、強く輝きました。
「本当ですか!」
 しかしそれと同時に、マーマンの一人が心配そうに申し出ました。
「ですが王妃様、貴女が陸へ行っては…」
 そうなのです、王妃様が人間の世界に行くには、常に二つの問題が付きまといました。
 王妃様は地上に出るには、あまりに美しすぎるのです。欲のうすい海の生き物達は王妃様を見ていても平気ですが、人間達、ことに男性などは彼女の姿を見て声を聞くだけで、すっかり腑抜けてしまって時に我を忘れてしまうことさえあります。さらに王様のカントリオは、王妃様のことを深く愛していると同時に、大変なやきもち焼きなのです。他の男性が王妃様をじっと見つめようものなら、その男性はそれだけで海の王様の怒りを買うことになります。
 マーマンの心配を宥めるように、王妃様は穏やかに首を振りました。
「大丈夫よ。少しの間だもの、私だって振る舞い方はわきまえているわ。カントリオはしばらく起きないでしょうから、あなたと私で用事を済ませてしまいましょう」
 そう言うと王妃様は、まずはシュプリーにひとまず休憩を取るように言いました。
 こうしてシュプリーは、三日ぶりに海の底で、海の生き物達の歌声を聞きながら、ゆっくりと眠りにつくことができたのです。



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登場人物紹介

シュプリー


入り江の海の底に住む人魚。

優しい心の持ち主だが、好奇心旺盛で頑固な性格でもある。

声を失う代わりに人間に変身し、陸の上に冒険に出る。

ヘイズリー公爵


入り江の町の領主様。

民を愛する穏やかな青年で、陸に上がってきたばかりのシュプリーを助ける。

巨大商社の搾取から領民を守ろうとし、暗殺されそうになる。

ヴァイオラ船長


海賊船エンパイア号の女船長。

自由と海を愛し、無暗な略奪や不要な殺生を避ける変わった海賊。

なりゆきからシュプリーとヘイズリー公爵を船に乗せることになる。

ゴルトリック卿


巨大商社南インド会社の支社長。

利益のためには手段を選ばず、協力を拒んだヘイズリー公爵に刺客を差し向ける。

一人娘にはかなり嫌われている。

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