雪の女王その7

文字数 3,582文字

私は最初、氷姫(こおりひめ)として意識を得た。
真冬の窓ガラスに手を広げてはりついていた。
寒くて、暗くて。家の中に入りたかった。
「俺が死ぬ時は、あの氷姫がむかえに来るぞ」
私を名付けた男が言った。けれど彼は私のものにはならなかった。

少しずつ大きくなった私は「雪の女王」として知られるようになり
ある日、可愛い男の子を見つけた。
最初は窓の外から見るだけ。
あの子のいる家の中では熱いストーブが燃えていて、入れなかった。
何よりもあの子は神様のもので、私の手が届かない存在だった。

しかしある時、あの子は目と心臓に『鏡』を宿した。

きれいはきたない、きたないはきれい。

悪魔の作った歪んだ鏡。
あの子は歪み、神の手から離れた。

これなら、私の手も届く!

冬の寒い日、私はあの子を連れ去った。氷のお城に。
ああそれなのに。
創造主は、私をあの子から引き離した!
一度はあの子を与えておきながら、ほんの気まぐれから私を物語から追い出した。

ああ愛しいカイ!

一度手に入れて、永遠に失った。
この物語は私の物語じゃなかったのだ。
私はただの舞台装置。
カイをゲルダから引きはがし、遠くにつれ去るための張りぼて。
用が済めば退場。
あの子とお城で共にすごすことすら許されなかった。

こんなことってあるだろうか?

私はもういちど氷姫になった。
氷河の裂け目の下で、あの子と同じくらい愛らしい少年を見つけた。
約束の口づけをかわした。
「お前は永遠に私のもの」
私は待った。夏もなお冷たい湖の底で。
そしてあの子を手に入れた……
冷たく横たわり二度と物言わぬルーディを。

ちがう。これは私の欲しかったものじゃない!

「何故、創造主は私を(もてあそ)ぶの」
「何故、私は永遠に一人なの!」

与えられないのなら、奪ってやる。

     ※

「今の、何?」
「たぶん、雪の女王の記憶だ……」

 はらはらと舞う雪の花。
 はかなく光る雪の結晶。もはや実体を失い、ルナカナをするりと通り抜ける。

『私の物語は、どこにも無い』

「………」
「………」

 あまりにも冷たく、あまりに虚ろな叫び。二人の少女の動きが止まる。
 刹那(せつな)

 ぱきーん!

 (あるじ)を失った氷のお城。あっさり砕けて飛び散った。虚空(こくう)に投げ出されるルナとカナ。

「わわっ」
「んぴゃーっ」
「わわあっ」
「ぴゃああっ」

 ひしと銀色子猫をかき(いだ)く。

「マイ・プリンセス、手を!」
「姉さん!」
「がうっ」
「おじさん!」

 カナと子猫は王子の腕の中。
 ルナと子猫は狼さんの背に。
 しがみつき、一緒になって、くるくる回って飛ばされる。
 どこまでも落ちて行く。どこまでも、どこまでも……

「あ」
「あれっ?」

 止まった。
 落下が止まった。
 ぼすっと蜘蛛の巣に受け止められた。星のきらめく絶対零度(ぜったいれいど)虚無(きょむ)の夜のただ中で、ほのかに赤く光る糸。

「あ、これは」
「おネェちゃんの結界(けっかい)!」

 守ってくれた。宇宙規模の歪みに切れ切れに引き裂かれながらも、守ってくれた。しっかりと船の帆柱(ほばしら)と甲板にからみついて。

「この船、もしかして」
「人魚姫の王子が乗ってたアレだ」
「変態王子のこだわりに助けられるなんて……」

 震える。震える。宇宙が震える。虚空(こくう)にゆらめく糸、糸、糸。いや、ここから糸に見えるだけだ。宇宙を横切る限りない(ストリング)。ねじれて、よじれてからみ合い、すさまじい早さで巨大化する。まるでピンチしてズームしたように。

「来るよ。歪みがこっちに来る」
「引き寄せられてるんだ。ぼくたちが……別世界の同一存在が集まってるから」

 もつれあう『世界』の糸。一本一本が一つの世界、一つの宇宙。糸が消えれば、そこに住む全ての生命が消える。
 もう、おとぎ話だけじゃない。いくつもの現実世界、いくつもの並行世界がからみ合い、歪んでいる。
 もうじき、一本に溶け合う。完全に融合(ゆうごう)する。

 だがこのか細い糸が、果たして全ての重さに耐えきれるだろうか?

 既にところどころに裂け目ができている。
 融合した一本の糸が切れたら……

「全て消えちゃう」
「斬るんだ。斬って、つなぎなおすんだ!」
「決断はやっ」
「ミシンの糸がからんだらそうするし」
「お裁縫感覚!?
 ルナは鋏を抜き放ち、すっくと立った。
「やろう、カナ」
「無理だよルナ」
 カナが弱々しく首を振る。
「ぼくは戦えない。浄化することしかできない」
 うなだれて、王子の背後に隠れてしまった。
「忘れたの?」
 ルナは手をのばす。
「僕たちは違う世界の同一の存在だ。僕の力は、カナにもある。カナの力は、僕にもある」
 ルナの声が、カナの胸に響く。
「そうだ、ぼくたちは同じ!」
 カナは顏を上げた。王子様の背後から出て、ルナの手を取った。
「そう、同じだから!」

 二人は同時に叫ぶ。
「あの歪みを、斬って、浄化する!」

「ぐるるるるぅ」

 やさしくのどを鳴らす狼さん。

「そうだ、マイ・プリンセス。それでいい」

 ほほ笑み、見守る姉さん王子。

「行くよ、ヌー!」
「ぴゃあっ」
「ぴゃああ!」

 二匹の銀色子猫はつぴーんとしっぽを立てて目を輝かせる。
 やる気満々だ。

「ミラクル!」
 カナがステッキをかかげる。
「マジカル!」
 ルナがステッキを交差させる。
「フェアリーナイツ!」

 かちり!

 赤と白、二つの光が一つになって小さな(はさみ)に宿る。

 ぐんっ!

 巨大化する鋏。もはや物理法則を超えている。持ち手の部分は少女が両手でにぎれるほど軽く華奢(きゃしゃ)
 しかし刃は!
 どこまでも広がり、どこまでも伸びる。迫り来る宇宙の歪みに届くほどに。

 ルナとカナは二人でにぎる。銀の鋏が虹色に輝く。

「全てを斬って」

 ちょっきん!

「全てをつなぐ!」

 断ち切られた糸が(ひるがえ)る。
 めいめいの切り口が手を伸ばし、しっかりとにぎりあう。
 広がる糸、繋がる糸。

 全てがゼロに戻り、再び始まる。

     ※

 からっぽの氷の広間。
 凍てつく湖の真ん中で、雪の女王は一人、氷の玉座にたたずむ。肩を落として、うなだれて。
「……ま」
 枠だけになった鏡から響く声。可愛くあどけない少女の声。
「……さま」
 それは、まぎれもなく女王を呼んでいた。女王は顏を上げる。
「おねえさま」
 鏡から、細い手がのびる。
 すがりつき、女王は鏡の中へ。

     ※

「ねぇ、ルナ。派生作品(マルチバース)ってもしかしたら……」
「うん、そうだね、カナ」
「創造主さえ忘れたキャラクターを、救っちゃうのかもね」
「二次創作も」
「ちっちゃい子が、お話しながらクレヨンで描いた絵も」

(つく)るって」
「すごいね」
「ぼくたちも、だれかが創ったお話の中にいるのかも?」
「逆だよ。だれかが、僕たちのお話を書いてるんだよ」
「そして読んでる」
「きっと読んでる」
「ぴゃあ」
「ぴゃああ」

 ぽんっと本から飛び出すルナとカナ。

「お帰り、ルナ」
「お帰り、カナ」

 雪の女王は浄化された。さかさまのおとぎの国はもう見えない。
 いつもの笑顔。いつもの二人が迎えてくれる。

「ただいま!」

     ※

 こうして、いつもの日常が……

「戻らないし」
「ぼくら、まだ二人だし」
「ねえおネェちゃん、どうなってるの?」
「やる事がまだ、残ってるってことかしらねぇ」
 魔法使いが言い終えるより早く、電話が鳴った。
『ルナさん、カナさん、本が汚染されました』

 不思議な本屋にかけつければ、もはやおなじみ。ウジュウジュ(うごめ)く、黒い染みに汚染された本が一冊。

「そーいやまだ三冊残ってたっけ」
「アンデルセン童話の、どれ?」
「それが……今回発症したのは『白雪姫』なんです」
「……骨ぇえっ!」
「あと何冊隠してるかっ!」
「なぁに、数多の並行世界(マルチバース)を救ったお二人なら、造作も無いことでしょう!」
 骨紳士はすまして優雅にお茶を飲み干した。
「さあ、おとぎ探偵、出動ですよ!」

 ごすっと飛んできたサバ缶(業務用)が、顔面にめりこんだ。あわてて駆け寄る少年ロビン。

「こうなったら、一冊残らず浄化してやる」
「行こう、ルナ」
「OK、カナ」

「さあ、浄化をはじめよう」

 めでたし、めでたし。

(おとぎ探偵ルナカナ〜雪の女王/了)
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