パンをふんだ娘

文字数 9,524文字

OK、最初からもう一度。
僕はルナ。平凡な16歳のJKだったけど、代わり映えのしない毎日に退屈していた。
ある日『骨紳士』と名乗る銀髪赤目のあやしげな男と出会って人生が一変。
瀕死のおじさんの命を救うためにこいつと契約。
仕事は単純、人間界に逃げ出して好き勝手している魔物を切ること。
それなりに楽しんでたら、ある朝突然、鏡の中からもう一人の僕が飛び出した!
もう一つの世界の僕なんだって。しかも、向こうの『おじさん』は女の人!
「別世界の同一存在が集まる時は、必ず意味があるのよ」
「すべきことを果たせば元通りになるわ」
おネェちゃんの言葉を信じて、もう一人の僕……カナと僕と愛猫のヌーは、おとぎ探偵となって歪みに憑かれた本を浄化している。
ゆきしろべにばら、更級日記、青ひげ、人魚姫、赤ずきん、不思議の国のアリス。
これまで6冊のおとぎ話を浄化して、とりあえず汚染の元凶はつかまえたんだけど、まだ浸食は止まらない。
一体どうなる?

     ※


 かきんと冷えた藍色の空、ちりばめられた金銀の星。
 石畳の広場、神殿めいた石の円柱、アーチと青銅の像。
 ここはデンマーク、コペンハーゲンの「王立劇場」。コンゲンス・ニュートー広場の南側に建つ、石造りの劇場。デンマーク最古の劇場にして、最高のステージ。今夜も舞台では王立バレエ団が極上の夢を踊っていた。
 が。
 突如、床が爆発! 漆黒の水が吹き上がる。悲鳴をあげて逃げ惑う観客。夜のバレエ鑑賞にふさわしいフォーマルな装いが、漆黒の水に浸る。
「く、くさい! くさいわ!」
 顏をしかめる貴婦人。
「ものすごく、くさい!」
 (しか)り。突如劇場の床に吹き上がった水は、よどんで腐った沼の水だった。
「真夏の炎天下に放置したゆで卵よりくさいわ!」

 どしゅう。

 一瞬にして貴婦人は泥人形と化した。
 水とともに吹き出した汚泥に立ったまま飲み込まれ、その場で凝固したのだ。

「きゃ、あ、あがっ!」

 ステージ上でプリマドンナが泥人形と化した。
 何たることか、泥と水は美しい女性を狙って片っ端から固めている! この汚泥(おでい)には、この汚水には、悪意がある。邪悪と嫉妬と狂気がある!

 どぱあん!

 汚泥と汚水の大噴出。強烈な硫黄のにおいをまきちらし、漆黒の水の花の上に立つ人影。
 青白い肢体を覆うのは、ぴっちりと体にフィットした青黒いドレス。動きにあわせてぬめぬめと湿った光沢を放つ。見ているだけで肌があわ立つような、不穏で不潔な美しさ。
 何者か?

「我が名はインゲル! 地獄の征服者にして女王!」

 インゲルはとびっきり美しくとびっきり愛らしい微笑を浮かべる。そう、まるで天使、あるいは名匠の刻んだ女神の大理石像のように。
 金色の髪、青い瞳。おそらく彼女はこの劇場にいる女の中で最も美しい。しかしその笑みは邪悪。

「ああっあれはっ」

 舞台のバレリーナが叫ぶ。

「パンをふんだ娘インゲル!」
「神様に背いたインゲル!」
性悪娘(しょうわるむすめ)のインゲル!」
「そうよ! よくご存知(ぞんじ)ね!」
 
 吹き上がる汚泥三筋(さんすじ)。ステージ上に立ちつくす、美しい足の泥人形三つ。
 パンをふんだ娘は口をゆがめてわめきちらす。

「あたしより悪いことしてる奴らはいくらだっているのに、何であたしだけこんな目にあわなきゃいけないのよ!」
 ぐ、ぎ、ぎぃ……ぎこちなく首を(めぐ)らせ、上を見あげる。
「不公平だわ」
 
 どごぉん!

 劇場の天井が吹き飛んだ。満天の星空をにらみ、インゲルが吠える。

「あたくしは地獄を征服した! 見てなさい創造主。今度は、地上を支配してやる」

 ぐにょぉり。

 地獄の女王の足下から、薄汚れた灰色のべとべとしたペーストが膨れ上がる。ごぼごぼと泡立ち、蠢き、インゲルを乗せて上へ、上へ。天井の穴を抜けて、空高く持ち上げる。

「あんた自身の『肉』でね!」

 それは、パンだった。
 地獄の汚水を吸いこみ汚れた、パン。

     ※

何分(なにぶん)彼女、地獄(ごきんじょ)にいたもんですからねえ。通りすがりにちょっと一声(ひとこえ)かけただけなんです。ただこのインゲルさんの場合、悪人が歪むと善人になるケースが適用されなかったんですねぇ」
 不思議な本屋の片隅(かたすみ)で、したり顏で解説する銀髪に赤い目の男。本名不明、便宜上(べんぎじょう)骨紳士(ほねしんし)」と呼ばれている男だ。
「もともと、小さな虫を虐待するのが大好きだった訳ですよ、この女は。他人に一切(いっさい)同情しない、考えるのは自分の利益だけ。ただの悪い子どころじゃない、根っからの異常者だった。ちょっとやそっと『歪んだ』程度で、善人になるはずがないじゃあありませんか!」
 床には青く光る塗料で魔方陣が描かれ、真ん中に()えられた椅子に鎖でぐるぐる巻き。
 その状態でも、あくまで上から目線でどや顔。得意げ。何故ならまったく反省していないからだ。
「まあ、やたら前向きにはなりましたね。不満を行動に移す実行力も身につけた」

 その結果が地獄の女王。
 最悪である。

「だいたいあの本の中の地獄ってゆるいんですよ! 老いぼれ魔女が人間を固めて並べてるってだけで……だから言ってやったんです。『パンがくっついているのならそれはもうあなたの一部です。好きに(あやつ)れるはずですよ』って! いやはや、そこからはもう破竹(はちく)の勢いでしたねぇ〜〜」

 ごいっ!

 飛んできたダンベルが骨紳士の顔を直撃。椅子ごとひっくり返った。

     ※

 パンをふんだ娘。
 神様に(そむい)いたインゲル。
 地獄の女王インゲル。
 地上に現れ、デンマークの首都コペンハーゲンを侵略する。

「見てらっしゃいコペンハーゲン! あたくしのパンで、埋め尽くしてくれるわ」

 足下の国立劇場では、逃げ遅れた紳士淑女バレリーナに裏方。みんなみんな、パンに飲み込まれた。
 パンが(ふく)らむ。人々の血と肉を飲み込んで、際限(さいげん)なく膨れ上がる。

「何で、コペンハーゲン?」
「首都だからよ」
「何で、王立劇場?」
「美人と金持ちがいっぱいいるからよ」
「やれやれ、結局は嫉妬(しっと)か」
「だれよ、さっきっからいちいちいちいち失礼なことほざきやがって!」

 きぃきぃわめく地獄の女王インゲル。

「僕はルナ」
「ぼくはカナ」

 教会の尖塔(せんとう)の上に、すっくと立つ二人の少女。

(おぉっと、こんな位置に都合よく教会があるか、なーんて野暮(やぼ)な突っ込みは無しだよ、よい子たち)

 風にたなびくフードつき姫袖(ひめそで)ロングコート。一人は白、もう一人は赤。
 コートの下は、黒のひざ上スパッツに白いフリルのブラウス、足下はおそろいの赤いバレエシューズ。

 白いコートのルナ。
「そこまでだ、インゲル」
 赤いコートのカナ。
「さっさと地獄に帰れ」

 二秒ほど沈黙が(おとず)れる。

「……それは、まずいんじゃないかな、カナ」
「あ、そうか。本拠地(あじと)に戻るだけだね、ルナ」
「ざっけんな」
「え?」
「ざっけんな……もう二度と。二度と、あーんなじめじめした暗い場所に戻ってたまるかああっ!」
 この女王、自分の領土がお好きじゃないらしい。
「おのれおのれおのれおのれ! お前らも泥人形にしてやるっ!」

 ぶしゃあっ!

 地獄の汚泥がルナカナに襲いかかる。狭い足場で()ける余裕(よゆう)は無い。ピンチだ、おとぎ探偵!

「ほーっほっほっほ、可愛い泥人形のできあがりねぇっ」
 高笑いする地獄の女王。だが! 見よ、泥が。汚水が、押し返された!
「うぶっ」
 逆にインゲルの顏にかかる。 
「甘い、甘い」
「お前の手の内は見切ってる」

 二人の広げた指先からは、透明な糸の膜が広がり盾となっていた。
 レースだ。コートの袖口のレースが糸を生み出したのだ!

「げえっ、そ、それはあっ」
「お前、蜘蛛(くも)、苦手だったよね」

 (しか)り! それは蜘蛛の糸!

「おのれ流行(はや)りにほいほい乗りおって!」
「安易に乗ったわけじゃあないよ」
「このドレス、蜘蛛の魔法使いのお手製なんだ」
「だ、か、ら」

 ぴょんっと二人の少女が飛ぶ。教会の屋根を()って。

「お前の魔力は、通じない」

 ふわりとなびくロングコート。背中から銀色の翼が広がる。翼をはばたかせてルナとカナ、二人並んで宙を舞う。

「それからこれは」
「お前に(いじ)められた、コガネムシの力!」

 どどどどどどっどどっ、どどどどどっ!

 コートの(そで)から飛び出す甲虫(こうちゅう)の群れ。ルナは白、カナは赤。
 二色の甲虫の群れは無数の散弾となって、インゲルに降り注ぐ!

「きゃあああ、痛い痛い痛い、痛ぁい!」
(はち)の巣になれ、インゲル!」
「待って、カナ。手応(てごた)えがない」
「えっ?」

 もしょ、もしょ、もしょ。

 不気味な咀嚼音(そしゃくおん)
「食べてる」
「あいつ、コガネムシを食べてる!」
「ほーっほっほっほ、どんなに数だけ集めようが、所詮(しょせん)は虫ケラよぉ! あたくしのパンの(にえ)とおなり!」

 ぐねぐね(うごめ)く灰色のパン。コガネムシをのみこんで、一段と巨大に膨れ上がる。

「やばいよ、カナ、間合いをとろう」
「OKルナ。退避しよう!」

 ばさばさばさっ!
 銀色の翼ひろげてルナとカナ、地獄と化した広場を飛び去る。

「お待ちぃいなさああい、可愛い子たちぃいい! お前たちもぉおお」

 追いすがる地獄の女王インゲル。

「あたくしのパンの一部におなりなさい!」


     ※


OK、最初からもう一度。
ぼくはカナ。平凡な16歳のJKだったけど、家族を全て亡くして生きる気力を無くしていた。
ある日『両親の友人』を名乗る銀髪赤目のあやしげな男と出会って人生が一変。
「あなたの才能を活かすために」とか何とか言いくるめられて契約。
非実在系美少女モデルとして華々(はなばな)しくデビューしちゃった。しかも人気出ちゃうし。
それなりに仕事をこなしていたら、ある朝突然、鏡に吸いこまれて飛び出した先にはもう一人のぼくがいた!
もう一つの世界のぼくなんだって。しかも、向こうの『姉さん』は中年の男の人!
「別世界の同一存在が集まる時は、必ず意味があるのよ」
「すべきことを果たせば元通りになるわ」
おネェちゃんの言葉を信じて、もう一人のぼく……ルナとぼくと愛猫のヌーは、おとぎ探偵となって歪みに憑かれた本を浄化している。
ゆきしろべにばら、更級日記、青ひげ、人魚姫、赤ずきん、不思議の国のアリス。
これまで6冊のおとぎ話を浄化して、とりあえず汚染の元凶はつかまえたんだけど、まだ浸食は止まらない。
一体どうなる?

     ※

 白いコートをはためかせてルナが飛ぶ。
「しつこいなーあいつ」
 赤いコートをはためかせてカナが飛ぶ。
「けっこう早いよ」
「空中じゃ落ち着いて戦えない」
「低い所じゃ不利」
「よし、あそこに降りよう」
 すたっと降り立ったのは市庁舎の屋根。規則正しく煙突の並ぶ四角い大きな屋根の上に、さらにひときわ高くそびえたつ時計塔の上。
 銀の翼はすうっと背中に収納(しゅうのう)された。

「さあ来い、インゲル」
 ルナは黒のオーバーニーソックスを留めた黒いガーターベルトから、銀の(はさみ)を引き抜いた。
「何、あれ」

 ずっしーん……ずっしーん……どどーう……
 震動。轟音(ごうおん)。飛び散る破片。
 それは、あまりに巨大だった。
 パンで構成された、身の丈30mはあろうかと言う、巨大なヒトガタ。
 建物を蹴散(けち)らし、石畳を踏み抜き、走ってくる。

「パンを踏んだだけで地獄に落とされるのならぁああああ! 世界中のパンを踏みつけてやるぅううう!」

 コペンハーゲン中のパンを吸収したのか、あるいは人間、その他の生き物か。王立劇場から市庁舎まで移動する間に、インゲルは巨大なパンの(よろい)をまとっていた。いや、もはやこれは。
「巨大ロボットだ……」
「これ考えた奴、あたまおかしい」

 顏だけは、オリジナルのインゲルの形を忠実に再現。
 そこだけ妙に生々しい。

「そぉこぉにいたかああっ、ちびどもっ!」
「待ってたよ、パンをふんだインゲル!」

 しゃりん!
 澄んだ音を立てて(はさみ)が二本の銀の刃に分かれる。

「大きさなんか関係ない。僕は、お前を、切る」

 左右の手に刃をかまえ、市庁舎の屋根を疾走。

「どおりゃあああ!」

 巨大なパンの拳がなぐりかかる。
 すばやくルナはサイドステップ!

「遅い遅い」

 空振りした拳! 粉砕された瓦が。レンガが飛び散る!

「どこを狙ってるの?」

 余裕でルナは両足で踏み切り、ジャンプ。しかし。

「え、何これっ」

 落ちる。
 予想外の、重み。
 何たることか! パンが。おぞましい灰色のパンが、ハサミにがっちり(から)みついている。

「重いっ」

 刃を封じる。

「切れないっ」

 ぶぉうっ!
 拳の引き連れたすさまじい風圧。
 バランスを失うルナ。つかみかかるパンの拳。

「あーっはっはっは、ちっぽけな虫ケラめ。ひねりつぶしてやるぅう」
「ルナ! つかまって!」

 投げかけられる赤い蜘蛛の糸。すかさずキャッチ、難を逃れるルナ。

「よっと」

 大きくスウィング、塔に戻る。
 
「とれないっ! 固いよこれ、パンなのに!」

 歪みを断ち切る鋏が封じられた。ピンチだルナカナ!

「ほらほらほらぁ! いつまでも逃げていられないわよ! さあ、さあ、さあ! あたくしにひれふしなさい!」

 インゲルロボはどんどん巨大化を続ける。もう、市庁舎の屋根より背が高い。

「大きさがちがいすぎる」
「この間っからやたらと敵が巨大だ」
「これ考えた奴、ぜったい、あたまおかしい」
「どうやって切ればいい? どうやって?」

 ぐわり、ずしーんっ!

「わっ」
「わわっ」

 足下の壁がえぐられる。とっさにルナカナ、蜘蛛の巣で壁にはりつき難を(のが)れる。
 ぴしゃっと飛び散った泥が、白いコートの裾を汚す。

「やだっ、こいつ、噛んでる!」

 カナはぶんっと裾を振る。
 ぱらり。布がほどけて、裾が落ちる。

「今歌っても、絶対、聞かない」
「うん。念入りに切らないとダメなやつだ」

 追いつめられるおとぎ探偵。時計のさらに上、とがった屋根の上へ、上へ。ついにはてっぺんの旗竿(はたざお)にしがみつく。

「だめだ、ここから上には行けない」
「ユニコーン呼ぶ?」
「なぐられたら取り込まれちゃうよ。それに紙は水に弱い」
「そっか、水吸ってしおしおになっちゃうよね」
「!」
「!」

 高い所に立つと、見えるものがある。

「落ち着こう、ルナ。あれってパンなんだよね」
「そうだよ、カナ、大きいけど、パンなんだ」
「固いパンは」
「ミルクに(ひた)す」
「デンマークは」
酪農(らくのう)王国!」

 二人は同時に屋根を()り、宙に飛ぶ。
 再びひるがえるコート、広がる銀色の翼。
「がんばれ、ヌー、後でいっぱいササミを食べさせてあげるよ!」
「がんばれ、ヌー、後でいっぱい魚を食べさせてあげるよ!」
 スマホに表示したマップを頼りに、市庁舎から南へ。東へ。

「駅をすぎた、もうすぐだ!」

 不意に目の前に出現する、ほほえむ牛の看板。

「あった、牛乳屋さん!」
「がんばれコガネムシ。今度こそ復讐(ふくしゅう)のチャンスだ!」

 だだだだだ、どどどどど。
 工場の中に突入する無数のコガネムシ。

「蜘蛛さんお願い!」

 すさまじい早さで蜘蛛の糸が編み上げられる。靴下? マフラー? いや、ホースだ。蜘蛛糸で編まれた、長い長いホース。コガネムシに運ばれて、牛乳工場の、タンクの中へ!

「まぁてぇまあてぇ、まてぇええええ」

 ずしーん。ずしーん。チボリ公園を踏みつぶし、インゲルロボが(せま)る。

「お前もぉおおおっ泥人形にぃいいしてやろうかぁああ!」

「行くよ、ルナ」
「OK、カナ」

 くいっ。
 カナが引っ張る蜘蛛糸は、工場のバルブにしっかり結ばれている。
 
 ぶしゅうううううっ!

 ルナが狙い定めるホースの先端。どこで見つけたのか入手したのか、消防用ホースの吹き出し口が取り付けられている。

「くらえっ!」

 吹き出す大量のミルクが! 巨大インゲルロボを直撃!

「ぶふぅっ、ま、またしても!」

 顔面が、どろっと溶け落ちる。

「ちょっとぉおお! ゴボっ、ゴボボっ、 何してくださるのっ!」

 ミルクを吸ってほろほろと、巨大インゲルが崩れる。所詮は寄せ集めの急ごしらえ。所詮はパン。
 最初の一箇所が崩れると、冗談みたいにあっけない。ぼろりぼろりと大崩壊。
 あっと言うまに溶け落ちて、ごとりと落ちるパンの首。その中でもがく黒い女。

「見つけたぞ、インゲル!」
「おのれ。パンなどなくても! この地獄の女王がお前らごとき小娘になど!」

 ちょっきん。
 デンマークの酪農家のみなさんが、丹精(たんせい)こめて育てた牛さんから(しぼ)った、清潔なミルクで洗った銀の鋏。
 パンを踏んだインゲルを真っ二つ。

「地獄の女王だし、念入りに刻んでおこう」

 ちょっき、ちょっき、ちょっきん!

「おのっおのれっ、がぼ、ごぼぼっ」

 ばらばらになったインゲル。泥と汚水に飲み込まれ、泡を吹きつつ沈み始める。

「かくなる上はっ、今一度、地獄で力をたくわえて、もどってやるっ」
「それはこまる」
「そうだね、それはこまるね」
「歌ってよ、カナ」
「わかったよ、ルナ」

 カナは歌う。ヒバリのように高く低く。全力で歌う。二度とインゲルが地獄に戻れぬように。天使のような、いや妖精のような清らかな歌声に包まれて、漆黒の地獄の女王は真っ白な羽毛に包まれる。力強き浄化! 圧倒的清浄力!

「あああ、いやああ軽くなるぅうう、体が軽くなるぅうう、ああああ光に包まれるぅうう。復讐したいのに! 復讐したいのにぃいっ」

 悔し涙を流しながら浄化されるインゲル。足下のパンから切り離されて、次第に遠く、高く、天に上り……
 雲を割いてふりそそぐ、金色の光にのみこまれる。

「恨みが……憎しみが消える……こんなはずじゃなかったのにぃい、清められるぅう……悔しい……」

 すがすがしい表情で手を振るルナ。

「もう戻ってくるなよー!」

 歌い終わってがっくり膝をつくカナ。

「疲れた……」
「うん。何か今回は、ものすっごく疲れた……」
「帰ろっか」
「うん」

 にゅっと背中の隠しポケットから顏を出す銀色子猫。

「ぴゃあ」
「ぴゃああ」
「おつかれさま、ヌー」
「帰ったらごちそうだよ、ヌー」

     ※


 本から戻ったルナとカナ。本屋に戻ったルナとカナ。

 約束通り、銀色子猫にゆでたササミをあげた。
「ぴゃあああ! ぴゃあるるる!」
 約束通り、マグロの赤身をあげた。
「ぴぃうるる、うるるぴぃ!」
 うれしそうに何やらしゃべりつつ、しゃぐしゃぐごほうびを食べる子猫たち。半分まで食べたところでポジションチェンジ。
「んぴぃうるる」
「うるるるぴぃ!」
 ササミも、マグロも、どっちも好きらしい。

「新しい味覚に目覚めてしまったか、ヌーさん」
「うち、刺し身買わないからなあ」
「うちも、あまりササミは茹でない」
「お待ちどうさま、パンプディングが焼けましたよ」
「わーい」
「食べる食べる」

 パンをミルクに(ひた)してやわらかくして、卵とバター、リンゴと混ぜて、カリっとオーブンで焼き上げたおいしいお菓子。
 しあげに粉砂糖、おこのみでシナモン。

「これの作りかた知ってたおかげで、アレに勝てたんだよね」
「いいにおいですねー」
「感謝しなきゃね」
「作って良かった……」
「あのー、私の分はー」

 ごんっ!

 ダンベルがめりこみ、骨紳士は沈黙した。

 あっつあつトロットロのパンプディングと、美味しいお茶でティータイム。
 テーブルに広げたノートに書かれた、二つのリストを見比(みくら)べる。

◆今まで汚染された本
 ゆきしろべにばら(グリム)
 更級日記( 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)
 あおひげ(ペロー)
 人魚姫(アンデルセン)
 赤ずきんちゃん(ペロー)
 不思議の国のアリス(ルイス・キャロル)
 パンをふんだ娘(アンデルセン)

◆ロビンの愛読書
 赤いくつ
 みにくいアヒルの子
 おやゆびひめ
 ひうちばこと兵隊
 白鳥の王子
 雪の女王

「共通点は?」
「アンデルセン!」

 どや顏でふんぞりかえる骨紳士。

「やれやれ、やっとそこまでたどりつきましたね」
「お前がもっと早く相談してりゃあ」
(すみ)やかに解決していましたね」
「やっぱ(けず)ろう」
「やめて、石臼(いしうす)はやめてーっ!」

 ごきょぺきばきっ。

 物騒(ぶっそう)な音を聞きながら、ルナカナは腕組み、考える。
 テーブルの上に六冊の本。さっき本棚(ほんだな)から抜き取ってきたアンデルセン童話の本。

「こうなったら」
「しらみつぶしだ!」
「はいはい、あせらないの」

 すっと横から出てきた和装の魔法使い。

「おネェちゃん」
「その前に、骨ちゃんに聞くことがあるでしょう?」

 優雅(ゆうが)な手つきでリストをかかげ、骨紳士につきつける。

「正直におっしゃい、骨ちゃん。このリストの中であなたが入った本は? 早くわかれば、それだけ早くロビンちゃんを助けられるのよ」
「えーっと……これ……」
「他には?」
「……と、これ、とこれ」
「OK。候補は三冊に減った。二分の一だ」
「まだ発症はしてない。今のうちに……あ」
「ああっ」

 ルナとカナの手の中で、一冊の本が、めらめらと透明な炎を上げた。

「これは……」
「一冊に決定したね」
「え、何かあったんですか?」
「見えてないんだ」
「見えてないんだ」
「どうやら、見つけたようね。残念ながら、あたしにも見えないのだけれど」
「そうなの?」
「大人には、見えないのよ」
「はい。特別な才能のある子どもでなければ見抜(みぬ)けないのです」
 本屋の主人はきちんと一礼。
「やはり、ルナさんとカナさんにお任せして正解でした」

 魔法使いのおネェさんが、優雅な手さばきで青い本を広げる。
 銀箔(ぎんぱく)で押されたタイトルは『雪の女王』。

「寒くないように、あったかいドレスを用意しなきゃね」

(パンをふんだら地獄に落とされたので女王になってやりました。これから現世を侵略します!/了)
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