コーヒータイム

文字数 1,964文字

 その本屋は、求める人の前にだけ姿を現す。
 細い入り組んだ路地(ろじ)を抜けた向こう、あるいは森の中。ぽっかり開けた空間にひっそり()っている。

「やあ、いらっしゃい。本日(ほんじつ)はどのような本をお求めですか?」

 壁を()()くす背の高い本棚(ほんだな)。ぎっしりつまった本、本、本。
 とっくに絶版(ぜっぱん)にされた希少本(きしょうぼん)も。
 今日発売されたばかりの新刊本も。
 求めれば必ず手に入る、夢のような書店。

 決して(ひら)かない大きな窓からは、美しい中庭(なかにわ)が見える。
 そこにいないはずの生き物が、ときどきふらりとやって来る。

「あ、ドードー鳥」
「ハトの仲間なんだよね」
「おじさんが子どもの頃にはまだ生きてたの?」
「いません」
「シーラカンスはぁ?」
「シーラカンスはまだ滅びてません! ってか君知っててやってるだろアラサー世代!」
「ばれたか」

 店の奥にはカフェコーナーがある。丸いテーブルとふかふかの椅子(いす)。コーヒーを飲みつつ本を読むのに最適(さいてき)の場所。
 (みが)かれた木のカウンターの向こうでは、店主がていねいにコーヒーを入れる。
 なおMyマグを持参(じさん)するとちょっと割引、サービスのクッキーも付いてくる。

 カナはキャラメルマキアートがお気に入り。
 ルナは興味(きょうみ)を持ったのをいろいろ(ため)主義(しゅぎ)
 お姉さんはソイラテ。
「自分ん()豆乳(とうにゅう)入れても、絶対この味にはならないんだよねー」
「おそれ入ります」
 そして、おじさんは……。
「マスター、いつもの」
「はい、かしこまりました」
 なにげに気になる、大人の会話。

「……おっきなマグカップ。()(くろ)なコーヒー」
「ぴゃああ」
 おじさんは本を取りに席を離れている。
 本屋の主人もおじさんに本を渡すため、一緒に行っている。
 ちょうど飲もうとした時に本が見つかったので、まだコーヒーに口はつけていなかった。
「ブラックホールみたいだ」
「ぴぃ」
「でも香りはいい」
 それはちょっとした好奇心(こうきしん)だった。
 ルナは両手でマグカップを持ち上げて、ふーふー吹いて、一口。
「うぇあっ」
「んびゃあっ」
 ぼわっと髪の毛が逆立(さかだ)つ。つられて銀色子猫(ぎんいろこねこ)もしっぽがブラシ。
「にがーーーいっ、にがいっ、にっがぁああいっ!」
「どうしたのルナっ」
「カナっ、こ、こ、このコーヒーっ」
「コーヒー?」
「あっ、飲んじゃだめ」
 おそかった。カナはくぴっと黒いコーヒーをひとくち。
「にがーぁああいっっ」
「んびゃっ」

     ※

「どうぞ、ミルクです」
「ありがと……」
「ありがと……」
 ルナとカナ、並んでミルクをごくごく。
 目を半開(はんびら)きにしてにらむのは、おじさんのコーヒー。
「これ人間の飲むもんじゃない」
「この世のものとは思えない」
「何か、ごめん」
 うなだれるおじさん。
危険物(きけんぶつ)を、うかつに置きっぱなしにするんじゃなああいっ」
 歯をむきだしてお姉さんはおかんむり。
「……ごめん」
(まこと)に申し訳ありません」
 店主も困り顏。
「ちょっとした好奇心で焙煎(ばいせん)してみた豆なんです。どこまで()くできるかなって……」
試飲(しいん)たのまれて、飲んでみたら美味(うま)かったんだ」
「いつもとびっきり強くて、苦いコーヒーをご所望(しょもう)でしたから」
「それで『いつもの』が爆誕(ばくたん)しちゃったんだ」
「おじさん専用(せんよう)で」
「そう言うことです」
「よくないです」
「ルナっ?」
 ルナはおじさんにつめよって、ぐいっとネクタイをつかむ。
「こーんな(にが)くて濃いコーヒー! ブラックで飲んで! おじさん、ただでさえ胃が弱いのに」
「……ごめん」
 マグカップを横にのけて、とんっとミルクのコップを置いた。
「牛乳、入れなさい」
「牛乳入れるとコーヒーの味が……」
 じろっとルナににらまれて、おじさん、しゅうんと肩を落とした。
(おおせ)せの(とお)りに」
素直(すなお)でよろしい」
 おじさんは、ルナには決して(さか)らえない。

     ※

 で、その()どうしたかと言いますと。
「マスター、いつもの」
「はい、かしこまりました」
「あと、ミルク一つ」

 ブラックホールのように黒くて苦いコーヒーを、ミルクをチェイサーにして飲んでます。
「これなら味は変わらない」

(コーヒータイム/了)
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