あかずきんちゃん

文字数 7,160文字

 白い雲。風に吹かれて流れる、流れる。切れ切れにちぎれた合間(あいま)から、こぼれおちるまぶしい青空。
 ふんわりもこもこ森は緑。
 あざやかな緑と青の風景に、ぽつりと沈む黒い点。
 黒いフードをすっぽり被った、背の高い大人が一人。
「おいそこの人」
 ぬうっと森から出てきた男。
 狩人(かりゅうど)だ。長い銃を背負(せお)い、腰には大きなナイフを()びて。
 ウサギが二羽(にわ)、ヤマウズラが一羽(いちわ)仕留(しと)めた獲物(えもの)無造作(むぞうさ)に、(なわ)でたばねてぶら()げる。
「この森は狼が出るんだ。(あぶ)ないから、入らん(ほう)がいいぞ」
「ご親切にありがとう」
 黒いフードの下からは、銀色の髪に赤い目。男だ。貴族めいた(ひん)のある顔立ちの男。
(とき)にあなた、一つおたずねしたいことがあるのですが……」

   ※

 ある日、おとぎ話が『(ゆが)み』に汚染(おせん)された。
 歪みはまたたくまに世界中に広がり、勝手に話を書き()える。
 やがては現実をも。

 これは、歪んだおとぎ話を浄化(じょうか)する不思議な双子(ふたご)のお(はなし)

   ※

 灰色の野原(のはら)横切(よこぎ)る、灰色の道。
 行く先は森。灰色にかすんだ空にぽっかりと、黒く焼きつく影の森。
 モノクロームの風景(ふうけい)に、ぽつりとにじむ赤一つ。
 少女だ。赤いずきんをかぶり、大きなバスケットを(かか)えた少女。
 愛らしい(まゆ)の間に深いしわを(きざ)み、ぎゅっと歯を食いしばる。

 びゅう!

 風が吹く。
 少女はびくりとすくんで立ち止まる。
 そわそわ(あた)りをうかがって、そろりと足を前に出す。

「こんにちは、赤ずきん」
「きゃっ」
「ごめんね、びっくりした?」

 目の前には少女が二人。完ぺきなシンメトリーにしてアンシンメトリー。
 (きぬ)黒髪(くろかみ)、お人形のようにぱっちり二重(ふたえ)の目、桜貝(さくらがい)(くちびる)。うり二つの容姿(ようし)に色ちがいの瞳。
 赤ずきんはほっと安心、力を抜く。

「こんにちは。あなたたちはだれ?」
「僕はルナ」
「ぼくはカナ」
「あなたたちもずきんをかぶってるのね」
「うん。おネェさんが作ってくれたんだ」
「そう、私はお母さんに作ってもらったのよ。赤い色は魔除(まよ)けになるから」
「魔除け」
「知ってる? 森には今、恐ろしい狼が出るの。もう女の子が7人も殺されたわ」
「7人も」
「7人も」
「それは怖いね」
「魔除けが必要だね」
「僕たちのずきんも魔除けなんだよ」
「ほら、この刺繍(ししゅう)、赤いでしょ」
「ほんとうだ。私たち似ているわね」
「そうだね、似てるね」

 同じ年ごろ、同じずきん。ちがうのはバスケットの中身。

「ぴゃあ」
「ぴゃあ」
 ぴょこんと顏出す子猫が二匹。ふわふわの銀色の毛並(けなみ)に金色の瞳、こちらもやっぱりうり二つ。。
「まあ可愛い」

 赤ずきんが笑う。白いずきんの二人も笑う。

「どこに行くの?」
「僕たち、おじさんの(いえ)に行くんだ」
「姉さんが心配してるからね」
「そうだね、心配しているね」
「私はおばあさんの(いえ)に行くのよ。お見舞(みま)いに、ワインと甘いパンを届けるの」
「そう。ぼくたち、森を抜けて行くんだ」
「じゃあ途中(とちゅう)まで一緒(いっしょ)ね」
「一緒だね」
「一緒に行こう、赤ずきん」
「三人なら、狼もこわくないよ」
「そうね、三人なら」

 ルナカナが歩く。とことこ歩く。
 赤ずきんが歩く。とことこ歩く。
 白いずきんが二人、赤いずきんが一人。
 ならんで歩く、森の中。

「お菓子(かし)食べる?」
「ありがとう」

 何てあぶない。何て無防備(むぼうび)
 かわいらしい少女が三人。悪い狼が見つけたら、舌なめずりしておおよろこび。
 気をつけて。
 気をつけて。

     ※

 (こけ)むした屋根、石造(いしづく)りの壁、ぎいぎいきしむ木の(ゆか)
 森の中の一軒家(いっけんや)、おばあさんが一人で住んでいる。
 銃をかまえて立つのは狩人。筒先(つつさき)からはまだ煙がたちのぼる。
 (ゆか)の上には、おばあさん。ナイトキャップも寝巻(ねまき)も白い()()さえも赤く()めて。
 その(とな)には大きな狼。口からだらりと舌を出し、(ひたい)にぽつりと赤い穴。
 はっと狩人が身構(みがま)える。耳をすまし、てきぱきと手際(てぎわ)よく弾丸(だんがん)を込める。一寸(いっすん)の乱れもない正確な手さばき。

 一度に撃てるのは一発だけ。

 全ての手順を終えて、ひと息つくのと同時にドアが開く。
 入ってきたのは女の子。あざやかな赤いずきんを目深(まぶか)にかぶった女の子。
 途端(とたん)に狩人、くしゃっと顏をゆがめてうめく。

「ああ、赤ずきん。悲しいことだよ。おばあさんが悪い狼に殺された」
「……」
「安心してくれ、悪い狼は俺が退治(たいじ)した。ああ、もう少し早く来ていればなあ」

 赤ずきんは答えない。とことこ近づき、ひざをつく。無残(むざん)(たお)れたおばあさんの(かたわ)らに。

「おかしいね。おばあさんのこの(きず)は、()(きず)じゃない。銃に()たれて死んでいる」

 白くて(ほそ)い指先で、血に染まった寝巻をつまむ。

「おかしいね。おばあさんは、狼の血溜(ちだ)まりの上に(たお)れている。狼が先に死んだんだ。撃たれて血を流したんだ」

 ゆらぎもしない、ふるえもしない静かな動きで狼を(ゆび)さす。

「だれかが狼を()(ころ)して、それからおばあさんを撃ち殺した」

 すっくと立った赤ずきん。

「赤ずきんが言ってたよ。あなたと町の出口で会ったって。おばあさんの(いえ)にお見舞(みま)い行くと言ったら、『気をつけておゆき』と答えたんだってね」

 狩人が(こお)りつく。わざとらしい()(がお)が、すうっと消えた。

「お前は知っていた。おばあさんが病気で寝込(ねこ)んでいることも。赤ずきんがお見舞いに来ることも」
 狩人を(ゆび)さす赤ずきん。
「犯人は、お前だ」
 狩人の(ひたい)に汗がにじむ。声がひきつり、うらがえる。
「お前は、だれだ?」

『赤ずきん』は胸元(むなもと)のブローチにふっと息をふきかける。一箇所(いっかしょ)だけ欠けた、それ以外は完ぺきな半球(はんきゅう)
 ゆらめく光が走って消える。立っているのは白ずきん

「僕はルナ。お前を切りに来た」
「ふは、ふはははは!」

 狩人はにいっと口をゆがめて、高笑(たかわら)い。

「だれだっていい。俺はなああ! お前みたいな可愛(かわ)い女の子を! いたぶっていたぶって殺すのがだーいすきなんだよぉおお!」
「だと思った」
()んで()にいる(なつ)(むし)だ。お前で楽しませてもらうぜ、おじょうちゃん!」
「笑える」
 ルナは(かま)える。ぴかぴか光る(ぎん)(はさみ)を。
「あぁん? ふざけてんのか。 そんなちっぽけな鋏でぇ、銃に勝てると思ってんのかぁ?」
「かんちがいしないで、狩人さん」
 しゃりん、と()んだ音を立て、鋏が二つに分かれる。右と左に一つつず、小さな(ぎん)(やいば)に変わる。
「狩られるのはお前だよ」
「ふざけるな!」

 白いずきんをひるがえし、ルナがふわりと前に出る。
 狩人が引きがねを引く。

 ぱん!

 銃声(じゅうせい)一発(いっぱつ)(かべ)に穴。

「残念、はずれ」

 ふわり。(ひらめ)く小さな(ぎん)稲妻(いなづま)。かつんと銃をかすめたけれど、狩人はひるまない。
(あぶ)ない、危ない」
 腰のナイフを引き抜いて、かちり。
 銃口脇(じゅうこうわき)金具(かなぐ)にはめる。
 銃剣(じゅうけん)だ。
 ()の届く距離は、鋏より長い。
 両手で(かま)えてルナを(ねら)う。

「おどろいた」
「はっはぁ! 俺は戦争で戦ったんだよ!」

 びゅんっ!

 ()りかかる。

「俺は兵士だ。何人も殺したんだ。何人も、何人もな! お前みたいな(むすめ)()ののど(ぶえ)かき切るなんざ、造作(ぞうさ)もねぇ!」
「よくしゃべるな」
「そらそら、そーらそら! ()すぞ。()るぞ!」

 かつん。
 かつん。
 銃剣が少女を(おそ)う。
 鋏の()で受け流し、じりじりルナは(あと)ずさり。
 (あぶ)ない。
 (あぶ)ない。
 押されてる?
 重たく長い狩人の銃剣。小さく鋭いルナの鋏。間合(まあ)いの差で負けている?

「最初の(いきお)いはどうした、ええ、おじょうちゃん!」
 
 勝ち(ほこ)る狩人。
 黄ばんだ歯をむきだして、ルナを追いかけ前に出る。

「そーら、可愛いのどを串刺(くしざ)しだ!」

 ぐぁおう!

 (おど)りかかる黒い(けもの)。狼だ。大人(おとな)背丈(せたけ)ほどもある狼が、後脚(あとあし)で立って(きば)をむく。
「お、お前、死んだはずっ」
 狩人が大きく姿勢(しせい)(くず)す。
 ルナは(ひざ)()()()をかがめ、左足を(じく)に、右足をつき出しくるりと半回転(はんかいてん)
「うわあっ」
 あっさり足下(あしもと)すくわれて、重たい武器が(わざわ)いし、狩人(たお)れる(ゆか)の上。
 いや、倒れてはいない。空中(くうちゅう)で止まった。
 糸だ。見えないほどの(ほそ)い糸が何本も、何本も(から)みついている。
残念(ざんねん)、これは僕の狼さん」
 ぺらっとルナの指先で、狼が折紙(おりがみ)に戻る。
「うぐぐ、何だこれ。(いて)ぇっ、(いて)ぇっ」
一応(いちおう)言っとく。暴れない方がいいよ?」
 狩人はもがいた。見えない糸がぎりりと()()む。
「やっぱ聞かないか」
 ルナは首をすくめて、くいっと手首をひとひねり。
 ごとり。
 銃が落ちる。
 がっちり(にぎ)った両手ごと。
「さて、聞きたいことがあるんだ。答えて。そうしたら(らく)にしてあげる」

     ※

 そよよ、そよよと風が吹く。
 木々(きぎ)枝葉(えだは)はさらさらと鳴り、小鳥がさえずる、高く低く。
 ここは小さな(いえ)の外。日当(ひあた)たりの良いベンチの上で、すやすや眠る赤ずきん。手には食べかけのマフィン。
 バターたっぷりの美味(おい)しいマフィン。
 魔法使いのおネェさんが焼いた、特製(とくせい)(ねむ)(ぐすり)()り。
 カナは(となり)でじっと見守(みまも)る。こげ茶と緑、色ちがいの瞳で。

「終わったよ、カナ」

 (とびら)(ひら)き、ルナが出てくる。白いずきんが赤くそまっている。

「おつかれさま、ルナ」
「やっぱり知ってたよ」

 手にしたスマホの画面には、男が一人(うつ)っている。
 長くのばした銀髪(ぎんぱつ)、赤い目、黒いシルクハットをかぶった男の写真。
 画像加工(がぞうかこう)アプリでさりげなく、絵画風(かいがふう)変換(へんかん)してある。

「こいつと話した後、女の子を狩り始めたんだってさ」
「ロクでもないね」
「ロクでもないね」
「で、狩人はどうしたの?」
「いつもの通り」
「じゃあ歌おう」

 白いずきんと赤いずきん。二人の少女が歌う。
 声をあわせて。

    ♪
 
 赤ずきんちゃん 森の中
 とことこ歩くよ 森の道
 腕にかかえたバスケット

中味(なかみ)はなあに?」
「ぶどう酒と甘いパン」
「どこに行くの?」
「森の中のおばあさんの(いえ)

 赤ずきんちゃん 気をつけて
 (ねら)っているよ 森の中
 狼さんに 気をつけて

「だけどいちばん怖いのは」
二本足(にほんあし)の狼だ」

     ♪

 浄化(じょうか)の光に(つつ)まれて、しゅわっと消える灰色雲(はいいろぐも)
 帰ってくる。戻ってくる。
 (かがや)く青空。
 白い雲。
 やわらかな日差(ひざ)し。
 緑の森が、よみがえる。

「ぴゃああ」
「ぴゃああん」

 バスケットからそろって顏出(かおだ)銀色子猫(ぎんいろこねこ)。ぺろりと舌出(しただ)し、()づくろい。

「あっ」
「食べちゃった!」
「お見舞(みま)いの甘いパン」

 おばあさんも
 狼も
 殺されちゃった女の子
 食べられちゃった甘いパン
 (ゼロ)に戻れば元通(もとどお)り。

     ※

 ぽんっと本から飛び出すルナとカナ。腕にしっかりと、銀色子猫を()きかかえて。
 (ゆか)()()つなり、二人同時(どうじ)に口を(ひら)く。

「やっぱり(ほね)だったよ!」
「あいつのせいだったよ!」

     ★

 黒いずきんの男は狩人に見せた。
 絵のように加工(かこう)した写真を一枚(いちまい)

「この子を見かけませんでしたか」
「いいや」

 狩人は首を(よこ)に振る。

「そうですか……しかし狼ですか。物騒(ぶっそう)ですねえ」
「ああ。悪いことは言わない。早いとこ町に戻んな」
「そんなに(あぶ)ない森ならば、一つ二つ死体が増えたってだれも気にしないでしょうねぇ」
「そうだな……」

 空は灰色、森は(かげ)

「みぃんな狼のせいですよ」
「そうか、みぃんな狼のせいか」

 狩人は笑う。銃を(かま)えて。

「みぃんな狼のせいだ」

     ★

「……だってさ」
「うーむえげつない」
「言わないでいいことを、何でわざわざ言うのかな」
 湯気(ゆげ)の立つカップを手に、テーブル(かこ)むルナとカナ、おじさんとお姉さん。
 お(ぼん)を手に本屋の主人(しゅじん)はぶるぶる(ふる)えてる。
「許せない……私の店で」
 彼は(おこ)っていた。
 ほんとうに滅多(めった)にないことだけど。
 深く、静かに怒っていた。
「何と言う(ぼう)とく……ふざけたマネを……」
 ガタガタと本棚(ほんだな)がゆれる。もちろん地震じゃない。(ゆか)も壁もゆれていないのに、本棚だけがゆれる。
 まるで本が(あば)れているよう。
 中から何やら物騒(ぶっそう)(うな)(ごえ)も聞こえる。
「マスターおちついて、おちついて!」
「出てくる、(なん)か出てくる!」
「よくも……私の本に……っ」
 震える本屋におじさんが、えんじ色の本をにぎらせる。
「赤ずきんは! 赤ずきんの本はほら、浄化(じょうか)完了(かんりょう)してるから!」
「おお」
 我に返った本屋さん。
 ひょこっとルナカナ、顏を出す。
「一つ収穫(しゅうかく)があったよ。あいつ、シルクハットを無くしてるんだ」
「この子たちがとっちゃったから」
「ぴゃあん」
「ぴゃあ」
「……そうでしたね」
 本棚の震動(しんどう)が、止まった。
「あいつの性格からして、帽子(ぼうし)調達(ちょうたつ)しようとするでしょうね」
「赤ずきんに帽子屋(ぼうしや)は出てこないからなあ」
「ずきんしか手に(はい)りませんよね」
「確かに、黒いフード(かぶ)ってたって言ってた」
「さぞかし不本意(ふほんい)だったでしょうね」
「あいつ、かっこつけだからな」
「スタイルには、こだわりがあるのです」
帽子屋(ぼうしや)……帽子屋(ぼうしや)、わかった、次の本は!」
「そうか、次の本は!」

 ルナとカナは同時に、一冊の本を(ゆび)さした。
「なぁるほどねぇ」
 横合(よこあ)いからひょいとのびた手が、本を()()りぱらりと(ひろ)げる。
「あ、おネェちゃん」
「いつのまに」
「まかせて。とびっきり可愛(かわい)いドレスを作ってあ、げ、る。この本の中で、ルナちゃんとカナちゃんが最大限に能力(ちから)発揮(はっき)できるようにね」

     ※

 その(ころ)極彩色(ごくさいしょく)の森の中、黒装束(くろしょうぞく)の男が一人。()きあう人に声をかける。
「ちょーっとおたずねしたいんですが……この子を見かけませんでしたか?」
 手にした写真は、藍色(あいいろ)の髪に(きん)の瞳の男の子。(おさな)く、はかなげ、(あい)らしい。
「……そうですか、ありがとうございます。(とき)にあなた、(なに)かお(なや)みのようですね?」

(あかずきんちゃん/了)
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