第13話 一言で退散

文字数 1,862文字

 次の会場に移動中の伴。
先生は走る車内で白いジャージ上下に着替えている。
伴が、

 「党三役との打ち合わせは本日の日程にはありませんが」
 「うるさい! 日程は随時変わる」
 「えッ?」

 グランドの駐車場に『公用車(アルファード)』が静かに停まる。
後部ドアーが開き、ジャージで決めた先生が車から降りて来る。
伴が先生の靴を見て、

 「アッ、先生! 靴」
 「おお、そうだ。皮靴じゃなあ。運動靴、ウンドウグツ。・・・よしッ」

公用車の中には『サンダルからゴム長靴』まで種々の履き物が置いてある。
先生は運動靴に履き替え、軽快に走って来賓席に向かう。
車のドアーが閉まり、伴は急いで先生の後を追う。

Aグランドで、先生がにこやかに選手と話しをしている。

 「イヤ~、イヤ、ご苦労さん。鈴木さん、赤いシャツが似合うねえ。還暦みたいだ」

先生はゴルフのショットホームを見せて、

 「バッチリじゃがね」

それを見て鈴木が、

 「先生、それはゴルフだんべサー。ゲートはこうだべさ」

鈴木が玉を地面に置き、

 「カーン」
 「一番ゲート通過。ナイスショット!」
 「何だ先生、知ってるでないの。今日は俺んとこのチームで頑張ってもらおうかのう」
 「何言ってんの。オラ~、自民党スポーツ議連の副会長だべさ。俺が鈴木さんとこのチームに入ったら皆に嫌われっちまうよ。ねえ、皆さん。ハハハハ」

 Bグランドでひたすら練習中の博文(先生の祖父)。
ゲートに向かって玉を打っている。

仮設テントの中では、先生の座る折りたたみ椅子の隣に伴が立っている。
女性司会者が、

 「皆さま。身体は暖たまりましたか。それではいよいよ第八回敬老者市民ゲートボール大会を始めたいと思います。え~、早速ですが、本日のスペシャルゲスト『中尾博康財務副大臣』が先程この会場に到着しました。是非、『一言』賜りたいと思います。先生、宜(ヨロ)しくお願いします・・・」

急に市長が立ち上がり力強く拍手をする。
すると助役、教育長も立ち上がり拍手。
先生は笑いながらおもむろに席を立ち、後(ウシロ)の来賓者に深々と頭を下げる。
すると何処からか『一声』が。

 「中尾博康君、万~歳ッ!」

先生は司会者からマイクを預かり壇上に上がって来る。
一声の方向かって深々と一礼し、マイクの調子を確かめる。

 「ア~、あ、ウンッ! 本日は晴天・・・」

参加者全員に深々と一礼し、持参のペーパーを開き、うやうやしく『一言』を始める。
が!
ペーパーの中身はどこで間違えたのか次の会場の『一言』が。
先生は冷や汗をかきながら「アカペラで一言」をはじめる。

 「えー、只今ご紹介にあずかりました中尾博康です。素晴らしい晴天に恵まれました。本日はこの富士見市壮年部ゲートボール大会優勝戦と云う事で、同じ市内に身を置く者として是非参加させてもらおうと、この姿で張り切って参りました。が、政治は一時(イットキ)の休息も許してはくれません。たった今、石田総裁から電話が有りました。それは、『明日の年金改正法の法案答弁の件で是非相談したい事がある。至急官邸に来てくれないか』との電話です。残念でたまりません。しかし皆さん! この不肖、中尾博康! 郷土を支えて来た皆さんをしっかりと支える義務が有ります。これこそが中尾に与えられた大きな、オオキナ、オオキナ使命なのです。・・・富士見市壮年部の皆さん! 本日は思いっ切り楽しんで下さい。時間が無いので本日はこの辺で。ご清聴、真(マコト)に有り難う御座いました」

すると、またどこからか『一声』が、

 「頑張れーッ! 中尾博康!」

満場からまばらな拍手。
先生が壇上から降りて女性司会者にマイクを渡し伴に目配(メクバ)り。
伴は急いで車に戻り、トランクの中から『博ちゃん音頭』のCDと、著書の『博康の未来都市構想』の入った段ボール箱を取り出し、携帯キャリーにCDと本を載せ参加者に配り始める。

急いで先生が車に戻り、後部座席よりスマホで伴に電話。
伴が背広のポケットからスマホを取り出し、

 「ハイ! 伴です」
 「何やってる」
 「ハイ、いま配ってます」
 「バカ者ッ! 選挙違反だぞ。すぐ回収しろ! そんなモノ、受付の隅にでも置いておけば良いんだ。興味の有るヤツに持って行かせれば良いッ!」
 「あ、ハイッ!」
 「ッたく、もう」

 公用車の運転席。
伴は汗だくで戻って来る。
黒いアルファードがゆっくり動き始める。
競技者の数人が手を振る。
先生が車のパワーウインドーを下げえ『自衛隊(軍隊)式の敬礼』をしながら去って行く。
                    つづく
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