第241話 薄氷 Bパート

文字数 5,606文字


 その後どのくらいの時間が経ったのかは分からないけれど、いつの間にか最後に帰って来た慶に呼ばれる形で汗を流す。その後夜ご飯の為にリビングへ恐る恐る顔を出したら……
「……愛美。さっきは悪かったわね。心配してくれてたってお父さんから聞いたわよ」
 本当にお父さんの言う通り元通り……とまでは行かなくても、幾分元気を取り戻したお母さんの姿が目に入ると同時に得意気なお父さんの姿が面白くない。
「私は気にしなくても良いけれど、お母さんは大丈夫? お父さんに酷い事されていない?」
「愛~美~」
「は? おとんとおかん

喧嘩したのか?」
 だから嫌味を混ぜて聞くと、
「大丈夫よ。むしろお父さんが頑張ってくれたから、お母さんもすぐに元気を取り戻せたのよ。だからお父さんを悪く言わないでちょうだいな」
 お父さんとよく似た内容を口にするお母さん。
「だったら良いけれど……何かあったらちゃんと私にも話してね――慶も。お母さんにもっと優しくしないと駄目だよ」
 慶は喧嘩ってとったみたいだけれど、先にお父さんの話を聞いていた私としては、むしろ私との約束を守ってくれた形になった訳だから、これ以上は余計なことを口にするのは辞めておく。
「……」
 お父さんっ子の慶は嫌そうだけれど。

 それともう一つ。今日はみんなに話しておきたい事があるのだ。
「それとお父さん、お母さん。それに慶も。何回か話を聞いてもらっている学校説明会の話を聞いて欲しいんだけれど良いかな?」
 私のお願いに慶も含めた全員が、首を縦に振ってくれたのは言うまでもなく。みんなの気持ちを受けて、昨日蒼ちゃんとした話を通して、固まりつつある自分の気持ちを口にする。
「こんな短い日数でキレイにはまとまらないけれど私。やっぱり学校側には無かった事にして欲しくないから、あの日。何があったのかは概要だけは話して欲しいって考えているの」
「……それは別に話さなかったとしても、色々な処分もあって小さくではあったけど記事としても出てから、愛美が言わなかった了承しなかったからと言って、無かった事にはならないぞ?」
 私の出した答えに慶は舌打ちをし、お母さんは食べる手を止めてしまう中、先週のようにお父さんが一つずつ噛み砕いて質問してくれる。
「もちろんそうなんだろうけれど、復学してから約二週間。あの事件があってから約一か月。学校の中を見たり友達の話を聞いたりしていてもやっぱり他人事って人も多いし、男の人に対する認識って言うか身の危険を理解していない女子も多いの」
 あんな怒鳴ったり、女の子に平気で服を脱げだなんて言える人に想いを寄せるアホな女とか、軽々しく不用意に男の人に見せるべきではない物を平気で見せるあの若いだけの醜悪後輩女子とか。
「そんなの愛美の責任じゃないじゃない! 大体事件があったにもかかわらずそう言う考えの女子は、いくら言っても分からないわよ」
 私の説明に思わずと言った雰囲気で難色を示すお母さん。
 もちろんだけれど、今は話し合いの場で私の想ってのお母さんの気持ちなんだから、余計な口は挟まない。
「智恵……」
「それにね。先週お父さんが言ってくれていた通り、女の人だけに限定しないで男の人にこそ聞いてもらいたい」
 クラスの男子は意識も変わって来たのか、アホな言い合い下品な会話自体は耳にするけれど、以前メガネから向けられていたようなあからさまに不快な視線は無くなった。だけれど一番肝心なあの人が全く駄目なのだ。
 私たち女の子からしたら到底許せる訳が無い視線や、下世話な想像。そう言うのを平気で向けて来るのだ。だから男子全員がって訳じゃない。
 でも男の人に力ではどうやっても勝てないと身を持って知ってしまった以上、やっぱり男の人にもしっかりと理解・意識を持ってもらわないと駄目だと思ったのだ。
「おい! ねーちゃん。何考えてんだよ! それを知られるのは嫌だ。学校中から変な目で見られるのは嫌だって、ねーちゃん自身が自分で言ってたんじゃねーのかよ。まさか誰かに言えって言われてんのか?」
 なのに次は慶が難色を示す……って言っても、この話をする時はいつも言葉が悪くなってはいるけれど。
「あのね慶。確かに先週まではそう言っていたけれど、学校でいろんな人たちを見て友達とも喋って、その中で変わる考え、気付く事もあるよ」
 ただ慶なりに考えてくれているのも伝わりはするから、私としてもしっかりと向き合って答えるだけだ。
「だったらまた来週には変わるかもしれねーって事じゃねーか」
「そうかも知れないけれど学校側にも期限があるんだから仕方ないじゃない」
 ただあれから一か月以上も開かれていない学校説明会。無制限に私たちの心の整理を待つ訳にもいかない。
「……蒼依さんはどうなんだよ。ねーちゃんの事だから蒼依さんにも会ってるんだろ?」
「何で蒼ちゃんの気持ちを慶に言う必要があんの?」
 確かに蒼ちゃんとは断金の友達だけれど、ここの考え方は少しずつ違うのだ。だからって私に蒼ちゃんと合わせる気はないし、逆に蒼ちゃんにも私に合わせて欲しくない。
「慶久。慶久の気持ちも分かるけど、俺たちはお姉ちゃんの気持ちを尊重しようって先週話しただろ?」
「ですけどお父さん。愛美はまだ嫁入り前の娘ですよ? なのに学校関係者全員に話すなんて……」
 でも今日は驚いた事に、お父さんが私の気持ちを尊重してくれて、完全に食べる手を止めてしまったお母さんが、かなり強く難色を示す姿を目にしてこの話自体みんなが食べ終わってからにすれば良かったと内心で後悔する。
「そんな事は俺だって分かってる。だけど詳細に語る訳じゃないし、個人を特定出来るような説明だけはいかなる理由があろうとも認めないとも伝えるつもりだ。それに愛美の言う通りこう言う問題は男女ともしっかり考えて行かないと――」
「――おいオヤジ! んな綺麗事なんでどうだって良いんだよ。んなことよりもオヤジはねーちゃんが晒し者みたいになっても平気なのかって聞いてんだよ」
 本当にこの件については、慶の態度も口も極端に悪くなる。だけれど私を考えての言動だから私からは注意しないし出来ない。
「あのな慶久。父さんが平気な訳ないだろ。どこの世界に子供を傷つけられて平気な親がいると思う? でもな、これはさっきお姉ちゃんが言ってくれてた通り、むしろ力でどうこう出来てしまう男の方が下手したらしっかり考えないといけないんだ。喧嘩をしてる慶なら分かるだろ?」
 そう言えばお父さんはずっと喧嘩は両成敗、暴力は何があっても駄目だって行ってくれていたっけ。
「それだってさっきオカンが言ったように、何言っても分からない奴に何回言っても同じじゃねーのか? 自分で痛い目に遭うしか分からないんじゃねーのかよ」
「慶久……」
 そして更に驚いたのが、蒼ちゃんラブだからなのかかなり蒼ちゃんに近い考えをする慶。
「だったら慶久は分からない奴は痛い目に遭うまで放っておく。俺ら男だからこそ考えないといけないのも放っておく。学校で無かった事にして欲しく無いってお姉ちゃんの気持ちは全部無視するのか? 一番辛い想いをしたお姉ちゃんの気持ちは誰も聞かなくて良いのか? 慶久は独りよがりな男なのか?」
 それでもお父さんの口調も雰囲気も変わらない。穂高先生を相手にした時のあの激昂ぶりは一体何なのかと言うくらい穏やかに話し続けるお父さん。
「クソッ! 結局学校の思うつぼじゃねーか」
 対してテーブルの足を蹴りつける慶。お母さんが作ってくれたご飯。もう完全に食事の空気じゃなくなってしまっている。
「それでも私は反対です。女って言うのはそんな単純じゃないんです。学校だけじゃなくてご近所でも噂が流れて辛い想いをするのは愛美自身なんです。だからもし無かった事に出来るのであれば、全て無かった事にして欲しいくらいなんです。代われるならその恐怖から受けた傷、辱めまで全て私が代わりたい位なんです」
 そこに漏れるお母さんの想い、嗚咽。
「愛美だって本当はあの告白された男子の時のように、忘れたい。無かった事にしたいんじゃないの?」
そのお母さんからの指摘。あの人からの告白、無かった事……そう。お母さんにだけはバレてしまった、あんな人に見られてしまった下着を捨てて、忘れて……優希君に一点の黒も作りたくない私の気持ち――私以上に私を見ていてくれたお母さんに、再び私の心が迷い出す。
「確かに忘れたいよ『だったら』――でも。告白して来たあの人には、到底認めるなんて出来ないけれど、それでもまだ私への気持ちもあったの。
 それは大抵においては後から振り返った時に甘くも苦くも想い出に変わる。だけれど今回の事件は明確な悪意。それに暴力も脅しもあったの。その上、女の子を道具のように扱った。そこに蒼ちゃんに対する想いは何一つ入っていなかったの。
 告白なら誰にでもありうる話『……』だけれど、今回のような非日常の世界だけはどんな理由があっても、あってはならないと思うの。
 そんなのは想い出にすらもならないと私は、思うの。だからこそ二度と同じ思いをする人を出さないために無かった事にしたらいけないし、男の人だけでなく女の人にも身を守るため、性差を含めた色々を考えて欲しいの」
 だけれど私の考えが変わるまでには至らない。私は自分の気持ちを伝えるのを辞めない。
「どうして? どうして愛美がその役割を受け入れないといけないの? 愛美の人生はまだまだこれからじゃない……先週までは知られたくない。せめて女性だけにして欲しいって言ってたじゃない……」
 最後は嗚咽が酷くなり言葉にならなくなってしまうお母さんに、
「おかん……」
 再度お母さんの名前を口にする慶。
「愛美の気持ちは分かった『おい! クソオヤジ!』今度はおかんの気持ちを無視すんのかよっ!」
「……学校の友達や関係者は、男女の違い、起こりうる身の危険、男子としてどう立ち居振る舞うのか。そう言うのを考えるきっかけにはなるだろう――ただな愛美。次の問題として今、母さんが言ってくれたように、何の説明も受けてないご近所は違うぞ? 同情の目を向けて来る人もいれば噂に尾ひれを付ける人間もいるぞ? それに愛美は耐えられるか?」
 だけれどお父さんの雰囲気は別人のように変わらない。例え慶が口悪く文句を言っても変わらない。そして私もまた、答えられない。
 その怖さがあるからこそ、揺れ動く心が故に即答出来ない。
「……父さんとしても愛美の強さは立派だと思うし、人の為を想う気持ちも大切だと思う。だけど愛美自身はどうだ? それでも平気か? “愛美は愛美自身で

?”」
 そして極めつけは自分では考えた事も無かった、お父さんからの質問に呼吸が止まる。
「もしお父さんの質問に自分自身、愛美自身が納得した上で学校側に話をするって言うなら、父さんは賛成する。ただし自分自身に嘘を付かなければならない、納得出来ないのであれば父さんは反対だ。誰に何を言われようが、俺たちにとって愛美が大切なんだから、相手の男子だけの話にして欲しいって言うぞ?」
 その中で、お父さんの気持ちを最後まで伝えられた私の気持ちは変わらない。
 だけれど考えもしなかった別の視点、ご近所の目と私自身を大切に出来ているのかの二つの質問に答えられない私。
「……それでも私は――」
「――だからって全ての質問に愛美が答える必要なんてない。父さんも母さんも愛美の気持ちを最大限尊重するって初めに伝えてあるんだから自分の心の中で納得出来ればそれで良いんだ――母さんもそれで良いか?」
 今の姿がお母さんが大好きになったお父さんの姿なのか、お母さんの背中をあやすように優しく叩く。その上、私以上に私を理解してくれていたお父さんが、私にも笑いかけてくれる。
 本当に。この話をする時のお父さんは別人みたいだ。
「……すみません。また日を改めて愛美と話をさせてもらってもかまいませんか?」
「もちろんだよ。私だってギリギリの金曜日までは学校に返事はしないし、今お父さんがしてくれた質問も自分なりに考えてみたいよ」
 今のはお父さんに言ったのかもしれない。だけれど少しでも早く私の気持ちを伝えたかったから、私が返事をさせてもらった。
 そんな事よりもお母さんがお父さんに甘えられるって言うなら、私なんて後回しでも良いのだ。
「……ねーちゃんのそのお人好しがどこから来るのか分かんねーけど、ねーちゃんも一度言い出したら聞かねーもんな。だからせめて蒼依さんとくらいはしっかり話。しろよな――悪い。今日はもうメシ良いわ」
 お父さんとの会話に落としどころでもあったのか、不満タラタラに皮肉るその姿が慶らしいと言うか何と言うか。それでも蒼ちゃんを引き合いに出した慶。
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蒼ちゃんの言う事だったらねーちゃんも聞くだろ?
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「だったらせっかくお母さんが作ってくれたんだから、明日の朝ごはんに食べなよ」
 せっかく作った物を捨てないといけない複雑な気持ちを知っているのだから、釘だけはしっかりと刺しておく。

 結局最後。私には悪態をついた慶を、さっきまでのは何だったのかとため息をついて見送った私は、
「話だったら私だってしたいんだから、今日だけはお父さん。お母さんをお願いね」
 何とか食べ終えた食器を、せめて自分の分だけでもと洗って
「ああ。もちろんだ――愛美は立派に育ってくれたな」
「本当にありがとう愛美」
 これ以降は夫婦の時間になるだろうからと、二人の言葉を背に自室へと戻る。

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